81 / 99
第三章 さくらさく
80 わがまま
しおりを挟む
寝る準備を済ませた私たちは、初めて一緒のベッドに横たわった。
何となく距離を置こうとする咲也の手を探り当て、握る。
咲也はためらいがちに、私の手を握り返した。
静かな暗闇の中に、互いの息遣いだけが聞こえる。
握った手の平に、相手の温もりを感じる。
生きている。隣で、確かに。
その温もりは私に、そう教えてくれていた。私は咲也に分からないように、そっと息を吐き出した。
「映画見た後」
私は沈黙を破って、口を開いた。
「言ってたね。生きていく必要があるのか、って」
咲也はうん、と頷く。
「病気のこと、考えてたの?」
咲也はわずかな間の後、また、うん、と言った。
「あの時は、まだ、簡易検査の結果だけだったけどね。覚悟はしておこうと思ってた」
私は、そう、と静かに頷き、いつの間にか乾いた唇を舐めた。
「咲也はーー」
絞り出すように言葉を紡ぐ。
「ーー生きていく気は、ないの?」
問いながら、答えを聞きたくない、と思う自分がいた。
咲也の口から、前向きな言葉が聞けるような気はしなかったから。
咲也は黙った。表情の見えない暗闇の中で、彼が少しだけ、微笑んだように感じた。
私もそれ以上聞けずに、黙った。
何か言うには、あまりに私の知識は少なくーー
そして、咲也との関係は曖昧過ぎた。
そのことが、もどかしくて、苦しい。
ーー咲也を、失いたくない。
ただひたすらそう思い、暴走しそうになる自分を抑えようと、咲也の手を握る手に力を込めた。
咲也は、握り返すことなく、私の手の甲を指先でトントンと叩いた。
「ーーねぇ、あきちゃん」
しばらくの沈黙の後、不意に、咲也が言った。暗闇の中に、その声が静かに響く。
「なぁに」
私は返した。隣り合わせて横たわった互いの温もりが、ほとんど触れそうな腕に、繋がった手の平に、感じられる。
「俺のこと、馬鹿だと思う?」
私はふと息を吐き出した。
「あんたが馬鹿なら、私はもっと馬鹿でしょ」
咲也がひそやかに笑う。
「そうかもね」
再び、沈黙が訪れた。
私は目をつぶった。
自分の心音が聞こえる。
トクトクと身体に響くリズミカルな音は、私が生きている証だ。
咲也のそれも確認してみたかったが、繋いだ手のひらからはさすがに伝わってこなかった。
「ねぇ、あきちゃん」
また、咲也が小さな声で呼んだ。
「何よ」
私は極力不機嫌そうに返す。瞼は閉じたまま。
「俺、馬鹿なんだ」
咲也の台詞に、私はわざとらしく嘆息した。
「今さら何言ってるの」
「うん」
咲也の声は、不思議な揺らぎを孕んでいた。
「ちょっとだけね……嬉しいと思ったんだ」
私は黙る。暗闇の中、見えもしない彼の横顔に目をやった。
「病気になって……これが、彼が俺に、残してくれたものなのかもって」
――抱くか、殺して行ってくれ。
最愛の人にそう迫った、数年前の咲也。
見たこともないその姿を瞼に思い描いてしまってから、私は呼吸をした。一回。二回。
それから、口を開く。
「……咲也」
「うん」
「あんた、馬鹿」
「うん」
咲也は静かに笑った。私はおやすみと言った。私の頬を、生温かい涙が伝って、枕に落ちた。
ーーほんとに、馬鹿。
咲也に気付かれないように、寝返りを打ってそれを拭った。
嗚咽を抑えて、込み上げる涙を飲み込む。
言いたい言葉は、自分のわがままに思えて口にできなかった。
今の私には、彼の生き方にも死に方にも、口を出す権利はない。結局名前のない関係の私には――
それでも、思わずにはいられなかった。
だから、心中で、隣に眠る咲也に呼びかけた。
ねぇ、咲也。
ーー私は、君に、生きていて欲しい。
何となく距離を置こうとする咲也の手を探り当て、握る。
咲也はためらいがちに、私の手を握り返した。
静かな暗闇の中に、互いの息遣いだけが聞こえる。
握った手の平に、相手の温もりを感じる。
生きている。隣で、確かに。
その温もりは私に、そう教えてくれていた。私は咲也に分からないように、そっと息を吐き出した。
「映画見た後」
私は沈黙を破って、口を開いた。
「言ってたね。生きていく必要があるのか、って」
咲也はうん、と頷く。
「病気のこと、考えてたの?」
咲也はわずかな間の後、また、うん、と言った。
「あの時は、まだ、簡易検査の結果だけだったけどね。覚悟はしておこうと思ってた」
私は、そう、と静かに頷き、いつの間にか乾いた唇を舐めた。
「咲也はーー」
絞り出すように言葉を紡ぐ。
「ーー生きていく気は、ないの?」
問いながら、答えを聞きたくない、と思う自分がいた。
咲也の口から、前向きな言葉が聞けるような気はしなかったから。
咲也は黙った。表情の見えない暗闇の中で、彼が少しだけ、微笑んだように感じた。
私もそれ以上聞けずに、黙った。
何か言うには、あまりに私の知識は少なくーー
そして、咲也との関係は曖昧過ぎた。
そのことが、もどかしくて、苦しい。
ーー咲也を、失いたくない。
ただひたすらそう思い、暴走しそうになる自分を抑えようと、咲也の手を握る手に力を込めた。
咲也は、握り返すことなく、私の手の甲を指先でトントンと叩いた。
「ーーねぇ、あきちゃん」
しばらくの沈黙の後、不意に、咲也が言った。暗闇の中に、その声が静かに響く。
「なぁに」
私は返した。隣り合わせて横たわった互いの温もりが、ほとんど触れそうな腕に、繋がった手の平に、感じられる。
「俺のこと、馬鹿だと思う?」
私はふと息を吐き出した。
「あんたが馬鹿なら、私はもっと馬鹿でしょ」
咲也がひそやかに笑う。
「そうかもね」
再び、沈黙が訪れた。
私は目をつぶった。
自分の心音が聞こえる。
トクトクと身体に響くリズミカルな音は、私が生きている証だ。
咲也のそれも確認してみたかったが、繋いだ手のひらからはさすがに伝わってこなかった。
「ねぇ、あきちゃん」
また、咲也が小さな声で呼んだ。
「何よ」
私は極力不機嫌そうに返す。瞼は閉じたまま。
「俺、馬鹿なんだ」
咲也の台詞に、私はわざとらしく嘆息した。
「今さら何言ってるの」
「うん」
咲也の声は、不思議な揺らぎを孕んでいた。
「ちょっとだけね……嬉しいと思ったんだ」
私は黙る。暗闇の中、見えもしない彼の横顔に目をやった。
「病気になって……これが、彼が俺に、残してくれたものなのかもって」
――抱くか、殺して行ってくれ。
最愛の人にそう迫った、数年前の咲也。
見たこともないその姿を瞼に思い描いてしまってから、私は呼吸をした。一回。二回。
それから、口を開く。
「……咲也」
「うん」
「あんた、馬鹿」
「うん」
咲也は静かに笑った。私はおやすみと言った。私の頬を、生温かい涙が伝って、枕に落ちた。
ーーほんとに、馬鹿。
咲也に気付かれないように、寝返りを打ってそれを拭った。
嗚咽を抑えて、込み上げる涙を飲み込む。
言いたい言葉は、自分のわがままに思えて口にできなかった。
今の私には、彼の生き方にも死に方にも、口を出す権利はない。結局名前のない関係の私には――
それでも、思わずにはいられなかった。
だから、心中で、隣に眠る咲也に呼びかけた。
ねぇ、咲也。
ーー私は、君に、生きていて欲しい。
0
お気に入りに追加
63
あなたにおすすめの小説

【完結】家族にサヨナラ。皆様ゴキゲンヨウ。
くま
恋愛
「すまない、アデライトを愛してしまった」
「ソフィア、私の事許してくれるわよね?」
いきなり婚約破棄をする婚約者と、それが当たり前だと言い張る姉。そしてその事を家族は姉達を責めない。
「病弱なアデライトに譲ってあげなさい」と……
私は昔から家族からは二番目扱いをされていた。いや、二番目どころでもなかった。私だって、兄や姉、妹達のように愛されたかった……だけど、いつも優先されるのは他のキョウダイばかり……我慢ばかりの毎日。
「マカロン家の長男であり次期当主のジェイコブをきちんと、敬い立てなさい」
「はい、お父様、お母様」
「長女のアデライトは体が弱いのですよ。ソフィア、貴女がきちんと長女の代わりに動くのですよ」
「……はい」
「妹のアメリーはまだ幼い。お前は我慢しなさい。下の子を面倒見るのは当然なのだから」
「はい、わかりました」
パーティー、私の誕生日、どれも私だけのなんてなかった。親はいつも私以外のキョウダイばかり、
兄も姉や妹ばかり構ってばかり。姉は病弱だからと言い私に八つ当たりするばかり。妹は我儘放題。
誰も私の言葉を聞いてくれない。
誰も私を見てくれない。
そして婚約者だったオスカー様もその一人だ。病弱な姉を守ってあげたいと婚約破棄してすぐに姉と婚約をした。家族は姉を祝福していた。私に一言も…慰めもせず。
ある日、熱にうなされ誰もお見舞いにきてくれなかった時、前世を思い出す。前世の私は家族と仲良くもしており、色々と明るい性格の持ち主さん。
「……なんか、馬鹿みたいだわ!」
もう、我慢もやめよう!家族の前で良い子になるのはもうやめる!
ふるゆわ設定です。
※家族という呪縛から解き放たれ自分自身を見つめ、好きな事を見つけだすソフィアを応援して下さい!
※ざまあ話とか読むのは好きだけど書くとなると難しいので…読者様が望むような結末に納得いかないかもしれません。🙇♀️でも頑張るます。それでもよければ、どうぞ!
追加文
番外編も現在進行中です。こちらはまた別な主人公です。

結婚30年、契約満了したので離婚しませんか?
おもちのかたまり
恋愛
恋愛・小説 11位になりました!
皆様ありがとうございます。
「私、旦那様とお付き合いも甘いやり取りもしたことが無いから…ごめんなさい、ちょっと他人事なのかも。もちろん、貴方達の事は心から愛しているし、命より大事よ。」
眉根を下げて笑う母様に、一発じゃあ足りないなこれは。と確信した。幸い僕も姉さん達も祝福持ちだ。父様のような力極振りではないけれど、三対一なら勝ち目はある。
「じゃあ母様は、父様が嫌で離婚するわけではないんですか?」
ケーキを幸せそうに頬張っている母様は、僕の言葉にきょとん。と目を見開いて。…もしかすると、母様にとって父様は、関心を向ける程の相手ではないのかもしれない。嫌な予感に、今日一番の寒気がする。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
20年前に攻略対象だった父親と、悪役令嬢の取り巻きだった母親の現在のお話。
ハッピーエンド・バットエンド・メリーバットエンド・女性軽視・女性蔑視
上記に当てはまりますので、苦手な方、ご不快に感じる方はお気を付けください。

セレナの居場所 ~下賜された側妃~
緑谷めい
恋愛
後宮が廃され、国王エドガルドの側妃だったセレナは、ルーベン・アルファーロ侯爵に下賜された。自らの新たな居場所を作ろうと努力するセレナだったが、夫ルーベンの幼馴染だという伯爵家令嬢クラーラが頻繁に屋敷を訪れることに違和感を覚える。
5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?
gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。
そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて
「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」
もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね?
3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。
4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。
1章が書籍になりました。
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。

【完結】会いたいあなたはどこにもいない
野村にれ
恋愛
私の家族は反乱で殺され、私も処刑された。
そして私は家族の罪を暴いた貴族の娘として再び生まれた。
これは足りない罪を償えという意味なのか。
私の会いたいあなたはもうどこにもいないのに。
それでも償いのために生きている。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる