さくやこの

松丹子

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第三章 さくらさく

91 送別会

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 翌月、私は辞令を受けて、海外勤務が決まった。
 勤務先はまさかのドイツで、先輩たちには散々からかわれたーーいちいち特異な奴だ、と。
 さすがに英語圏でないと知って感じた不安を、そうして笑い飛ばしてくれる存在がありがたかった。
 アヤさんのいる人事部も、私やヨーコさんのいる財務部も繁忙期だというのに、送別会を開くと言ってくれた。
 子どもたちのいる神崎さんたちは、外だと夫婦で参加できないから我が家で、と、場所を提供してくれることになった。いわゆる持ち寄りパーティーだ。私は主賓扱いで免除だけど。
「食いたいもんある?」
 神崎さんの言葉に、
「牛肉。寿司」
 と返すと、
「お前なぁ……」
 と呆れられた。
「いっそ素直に高いものと言え」
「あ、それでいいんですか」
 そんな会話を交わすのも、渡独してしまえばしばらく機会がなくなる。そう思うと多少、名残惜しく感じた。

 送別会当日。神崎さんの家へと歩いていると、あちこちに桜の花が咲いていた。この二、三日でぐっと暖かくなった気候に誘われた開花は、例年よりも早まったらしい。
 昨年も、ほとんど同時期に、神崎さんの家に集まったのを思い出す。
 そこで開花を待ちわびる桜のつぼみを見て、私が言い出したのだ。
 ――花見、しましょうよ。私場所取りします!
 あのときの私は、今の私より、ずいぶん幼いように感じる。
 たった一年前なのに。
 桜を見かける度に、そこに咲也を探している自分に気づいて苦笑する。最近、咲也は本当に桜の精で、ひとりぼっちの私をかわいそうに思って姿を現したのではないかと、馬鹿げた妄想をすることがある。
 それがただの妄想であることは、咲也が一緒に暮らした自宅に戻れば分かるのだが――外に出ているときには何となく曖昧になるのだ。
 そう思った方が自分が楽だから、なのかもしれないけれど。

 神崎さんの家に集まると、みんなそれぞれ持って来たものを並べた。
 神崎さんはリクエスト通り、寿司やローストビーフを用意してくれた。寿司はさすがに出前だが、ローストビーフは手作りだ。確認はしないがきっと神崎さんが作ったのだろう。
 安田さんにはラザニアをリクエストした。リクエストを聞いてきたのも、答えたのも、ヨーコさんに対してだったけど。
 お酒と乾きものは阿久津さんの持参物だ。ちびっ子たちのお菓子も準備して来たらしい。一見するとコワモテだし口も悪いが、割と良く気づく人なのである。
 それぞれが飲み物を手にすると、神崎さんがヨーコさんを見た。
「乾杯の音頭は名取さんに」
「こんなときに年の功?嫌やわぁ」
「いや、所属の先輩じゃないですか」
 神崎さんが苦笑すると、ヨーコさんはそういうことならとワインの入ったコップを手にした。子供たちがいるのでガラスの食器は封印してある。
「アキちゃん、向こうは美味しいお酒もたくさんあるやろうけど、飲みすぎて身体壊さんように。またみんなで飲めるように元気に帰って来てな」
「はいっ、洋酒もいけるようになって帰ってきます!」
「そこかよ」
 私の敬礼に阿久津さんがツッコミを入れる。みんなが笑った。
「アキちゃんの門出に乾杯」
 かんぱーい、とみんなでコップを合わせる。子どもたちも思い思いに真似をした。
 賑やかな会話と共に、食事を始める。胸の内に温かさが満ちた。

 橘家の三人の子どもたちは、食事もほどほどに遊び始めた。リビング横に線路を広げ、なかなか凝ったコースを作っている。安田さんも一緒になってそこに参加し、あーでもないこーでもないと子どもたちと騒ぐ。時々神崎さんもあーだこーだ口出しをしていた。
「なんか、不思議な感じ」
 ビールを口にしながら、私は呟いた。ヨーコさんが視線を安田さんから私へ向ける。
「おっきい家族の中にいるみたい」
 ヨーコさんは微笑んだ。
「せやな」
 頷くと、手中のコップを卓上に置き、私の方に手を伸ばした。
「アキちゃん」
 私の肩に優しく手を添え、
「帰っておいでな。待ってるで」
 私はその微笑みに、温かいものがじわりとこみ上げて来るのを感じた。
 二年か三年後、私が帰って来たら、きっとこの人たちが言ってくれるんだろう。
 おかえり、と。
 いつも咲也が出迎えてくれたのと、同じように。
「ありがとうございます」
 私は言った。その笑顔はもう、仮面ではない。
 窓の外に、舞い散る桜が見えたような気がした。

 そして私は、ドイツへと旅立った。
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