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第二章 ふくらむつぼみ
74 愛情の裏打ち
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ヨーコさんのご自宅へは、金曜の仕事後にお邪魔することになった。
「いいんですか?平日で」
私が聞くと、
「掃除はジョーがしてくれるさかい。夕飯も作っておくて言うてたで。食事が済んだら寝室に引っ込むさかい気にせんでええて言うてた」
「そ、そうですか……ありがとうございます」
「ほな、行こか」
残業もほどほどに、私とヨーコさんは連れ立って外へ出た。夜風はだいぶ冷たくて、吹いた風に思わず首を引っ込める。
「夕飯、鍋やて」
「いいですね、鍋。今月二回目です」
「今月、始まったばかりやで。そんな頻繁でもええのん」
「全然大丈夫です。好きですもん」
家に着くと、エプロン姿の安田さんが出迎えてくれた。トップスはワイシャツのままだが、スラックスだけジーパンに履き替えている。
「おかえりなさい、ヨーコさん」
にこやかな笑顔と甘い視線は平常通りだ。もちろん、私なんて眼中にない。
「ただいま」
ヨーコさんが淡々と応える横で、
「おじゃましまーす」
色んな意味で、と心中付け足しつつ言うと、安田さんはにこりと笑った。
「いらっしゃい。どうぞ」
私はヨーコさんの視線にうながされておずおずと中に入っていく。安田家は二DKのマンション、十一階建ての五階にある。
「いざとなったら階段で降りられるギリギリの線やと思うてな」
というヨーコさんの台詞は、昔、大きな地震を目の当たりにしたからこそだろう。
安田さんはヨーコさんのコートを脱がせてかばんを受け取り、手を伸ばして私のそれも受け取った。
「手、洗ってきたらご飯にしましょう。鍋はもう卓に運んでも?」
「ええよ。おおきに」
ヨーコさんの微笑みを受け取り、安田さんが嬉しそうに笑ってキッチンへと戻っていく。私はその背を見送って息を吐き出し、ヨーコさんの後ろについて洗面所まで向かう。
「緊張する?」
「え?何ですか?」
「ジョー、苦手やろ」
手を洗いながらヨーコさんが鏡越しに微笑んで来る。私は戸惑った。
「苦手……ではないつもりですけど」
ただ、基本的に安田さんはヨーコさんしか見ていない。ので、身の置き場がないというか、自分が透明人間になったような錯覚を起こすのだ。
「安田さんの目には、私、映ってないですよね」
ヨーコさんは笑った。手を拭き、私に流しを譲る。私もちょっと会釈して蛇口を捻り、手を洗い始めた。
「お湯出し。寒いやろ」
「あ、大丈夫です」
蛇口の捻りかたを見てヨーコさんが手を伸ばし、ぬるま湯に変えてくれた。冷たかった水が温くなる。
「年取ると冷たさが身にしみるで」
ヨーコさんの微笑みを見たとき、不意に気づいた。安田さんはまだ三十五にもならない。年齢から考えれば、私とカップルになるのが一番自然に見えるだろう。
「年齢は関係ないですよ」
口をついて出たフォローは、自分でも何の意図があってのものか分からない。ヨーコさんはまた微笑んだ。
「行こか」
私が手を拭くと、ヨーコさんに言われて頷き、その背について行った。
「どれか食べたいものある?」
卓についた私に、安田さんは取り皿を手に言った。
「自分で取りますよ」
私が言うと、
「うん、ついでだから。最初だけね」
答えながら取り皿に具をついでいく。一通り万遍なく具を乗せていって、私の前にはいと差し出した。
「ヨーコさんも、はい」
「おおきに」
「俺、ざっと食べたら引っ込みますね」
「え、いいですよ、ゆっくりーー」
私が慌てると、安田さんはにこりと笑顔を返したが何も言わない。
その振るまいにヨーコさんを見てどきりとする。
安田さんも、ヨーコさんに似て来てるんだろうか。
「寝室で筋トレでもしてます」
「食後は身体に悪いで」
「あ、そっか」
夫婦は言いながら箸を進める。私もいただきますと言って箸を動かし始めた。
鍋はトマト鍋だ。甘い酸味が口に広がる。
「今日は飲まなくていいの?うち、洋酒ばっかりだからなぁ。焼酎、買っておけばよかったね」
安田さんは言って、マーシーだったら買っておいたでしょうねと笑う。
「い、いいです。別に私お酒なくても大丈夫ですから」
私はどれだけ酒とセット扱いなんだろう。思いながら鍋を口に運んだ。
安田さんは本当に短時間で食事を済ませて、席を立った。
「ごゆっくり。ヨーコさん、洗いもの俺がやりますから置いといてくださいね」
「おおきに」
「どういたしまして」
安田さんはにこりと笑って。
「お礼は優しいキスがいいなぁ」
「引っ込むんやないんか」
「引っ込みますよ」
言って、冷蔵庫からペットボトルを一本取りだし、
「じゃ、アキちゃんごゆっくり」
私に手を上げて部屋へ入って行った。
「なんか、すみません」
「ええよ、気にせんで。本当なら、お兄さんの家に行くか言うてたんやし」
「お兄さん?安田さんのですか」
ヨーコさんは頷いた。
「せや。都内やからな」
「へえ。兄弟仲いいんですね」
「せやなぁ。うちにはよう分からんけど、悪くはないな。ジョーの場合、ほとんど親子みたいなもんやけど」
「……歳が離れてるんですか?」
「せや。一番上とは十九、一番下とは十一やな」
私はちょっと眉を寄せる。
「……って、何人兄弟なんです?」
「五人。ジョーは末っ子や」
「ははあ」
私はひどく納得した相槌を打った。安田さんのあのマイペースさは、家族から一身に受けた愛情あってのものなのだろう。
「納得やろ」
「納得です」
二人で顔を見合わせて笑った。
「いいんですか?平日で」
私が聞くと、
「掃除はジョーがしてくれるさかい。夕飯も作っておくて言うてたで。食事が済んだら寝室に引っ込むさかい気にせんでええて言うてた」
「そ、そうですか……ありがとうございます」
「ほな、行こか」
残業もほどほどに、私とヨーコさんは連れ立って外へ出た。夜風はだいぶ冷たくて、吹いた風に思わず首を引っ込める。
「夕飯、鍋やて」
「いいですね、鍋。今月二回目です」
「今月、始まったばかりやで。そんな頻繁でもええのん」
「全然大丈夫です。好きですもん」
家に着くと、エプロン姿の安田さんが出迎えてくれた。トップスはワイシャツのままだが、スラックスだけジーパンに履き替えている。
「おかえりなさい、ヨーコさん」
にこやかな笑顔と甘い視線は平常通りだ。もちろん、私なんて眼中にない。
「ただいま」
ヨーコさんが淡々と応える横で、
「おじゃましまーす」
色んな意味で、と心中付け足しつつ言うと、安田さんはにこりと笑った。
「いらっしゃい。どうぞ」
私はヨーコさんの視線にうながされておずおずと中に入っていく。安田家は二DKのマンション、十一階建ての五階にある。
「いざとなったら階段で降りられるギリギリの線やと思うてな」
というヨーコさんの台詞は、昔、大きな地震を目の当たりにしたからこそだろう。
安田さんはヨーコさんのコートを脱がせてかばんを受け取り、手を伸ばして私のそれも受け取った。
「手、洗ってきたらご飯にしましょう。鍋はもう卓に運んでも?」
「ええよ。おおきに」
ヨーコさんの微笑みを受け取り、安田さんが嬉しそうに笑ってキッチンへと戻っていく。私はその背を見送って息を吐き出し、ヨーコさんの後ろについて洗面所まで向かう。
「緊張する?」
「え?何ですか?」
「ジョー、苦手やろ」
手を洗いながらヨーコさんが鏡越しに微笑んで来る。私は戸惑った。
「苦手……ではないつもりですけど」
ただ、基本的に安田さんはヨーコさんしか見ていない。ので、身の置き場がないというか、自分が透明人間になったような錯覚を起こすのだ。
「安田さんの目には、私、映ってないですよね」
ヨーコさんは笑った。手を拭き、私に流しを譲る。私もちょっと会釈して蛇口を捻り、手を洗い始めた。
「お湯出し。寒いやろ」
「あ、大丈夫です」
蛇口の捻りかたを見てヨーコさんが手を伸ばし、ぬるま湯に変えてくれた。冷たかった水が温くなる。
「年取ると冷たさが身にしみるで」
ヨーコさんの微笑みを見たとき、不意に気づいた。安田さんはまだ三十五にもならない。年齢から考えれば、私とカップルになるのが一番自然に見えるだろう。
「年齢は関係ないですよ」
口をついて出たフォローは、自分でも何の意図があってのものか分からない。ヨーコさんはまた微笑んだ。
「行こか」
私が手を拭くと、ヨーコさんに言われて頷き、その背について行った。
「どれか食べたいものある?」
卓についた私に、安田さんは取り皿を手に言った。
「自分で取りますよ」
私が言うと、
「うん、ついでだから。最初だけね」
答えながら取り皿に具をついでいく。一通り万遍なく具を乗せていって、私の前にはいと差し出した。
「ヨーコさんも、はい」
「おおきに」
「俺、ざっと食べたら引っ込みますね」
「え、いいですよ、ゆっくりーー」
私が慌てると、安田さんはにこりと笑顔を返したが何も言わない。
その振るまいにヨーコさんを見てどきりとする。
安田さんも、ヨーコさんに似て来てるんだろうか。
「寝室で筋トレでもしてます」
「食後は身体に悪いで」
「あ、そっか」
夫婦は言いながら箸を進める。私もいただきますと言って箸を動かし始めた。
鍋はトマト鍋だ。甘い酸味が口に広がる。
「今日は飲まなくていいの?うち、洋酒ばっかりだからなぁ。焼酎、買っておけばよかったね」
安田さんは言って、マーシーだったら買っておいたでしょうねと笑う。
「い、いいです。別に私お酒なくても大丈夫ですから」
私はどれだけ酒とセット扱いなんだろう。思いながら鍋を口に運んだ。
安田さんは本当に短時間で食事を済ませて、席を立った。
「ごゆっくり。ヨーコさん、洗いもの俺がやりますから置いといてくださいね」
「おおきに」
「どういたしまして」
安田さんはにこりと笑って。
「お礼は優しいキスがいいなぁ」
「引っ込むんやないんか」
「引っ込みますよ」
言って、冷蔵庫からペットボトルを一本取りだし、
「じゃ、アキちゃんごゆっくり」
私に手を上げて部屋へ入って行った。
「なんか、すみません」
「ええよ、気にせんで。本当なら、お兄さんの家に行くか言うてたんやし」
「お兄さん?安田さんのですか」
ヨーコさんは頷いた。
「せや。都内やからな」
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「せやなぁ。うちにはよう分からんけど、悪くはないな。ジョーの場合、ほとんど親子みたいなもんやけど」
「……歳が離れてるんですか?」
「せや。一番上とは十九、一番下とは十一やな」
私はちょっと眉を寄せる。
「……って、何人兄弟なんです?」
「五人。ジョーは末っ子や」
「ははあ」
私はひどく納得した相槌を打った。安田さんのあのマイペースさは、家族から一身に受けた愛情あってのものなのだろう。
「納得やろ」
「納得です」
二人で顔を見合わせて笑った。
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