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第二章 ふくらむつぼみ
73 温もり
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仕事は年末に向けてハードになり、残業が続いた。
ある夜、帰宅が終電間近になった。家のドアを開けてみると、咲也は先に眠っていた。
私が家に転がり込んで以来、咲也は奥の部屋においてあるベッドを私に明け渡し、自分はリビングで眠っている。私がリビングを使うと言ったのだが、女性は身支度もあるだろうからと譲らなかった。
咲也を起こさないよう、そろりそろりと中に入って行き、眠っている咲也をちらりと目にして自分の部屋に入る。
風呂に入りたい気もしたが、明日の朝シャワーを浴びることにするか、と思いながら着替える。ゆっくり湯舟に浸かれないと疲れが取れない気もしたが、これだけ遅くなったのだし仕方ない。顔だけ洗って来よう、とまた部屋を出た。
他人との共同生活はこういうときに面倒だ。それでも、一人のときの自由さを取り戻したいとは思わなくなっている自分に気づかざるを得ない。
不意に、咲也のかすれた声がした。
「おかえり」
音を忍んで足を運んでいた私は、ふぅ、っと身体の力が抜けるような感覚を覚える。
「ただいま」
答えながら、上体を起こす咲也に目をやる。
残業の疲れがわずかに減ったような気がした。
「ごめんね、起こした?」
「ううん、大丈夫」
咲也はのそのそと起き上がった。
「お風呂、追い炊きすればすぐだよ」
言いながらバスルームに向かう。ぴ、という音の後に、追い炊きのアナウンスが流れた。
私は戸惑いながら、ありがとう、と言った。
「自分でやるから、いいのに」
「うん」
咲也はごしごしと目をこすりながら頷いた。その幼い動きに、思わず私は微笑む。その微笑みに気づいたように、咲也も微笑みを返してきた。
「疲れたでしょ。お疲れさま」
私はうん、と答えながら、胸にじんわりと広がる温かさに、わずかに顔を歪める。
「どうかした?」
「ううん、何でもーーこっちの話」
私は微笑み返しながら、ありがとう、とまた繰り返した。
「入ってくるね。お風呂」
「うん。そうして」
咲也はちょっとだけ寝癖のついた髪のまま、またにこりと笑った。
「疲れはその日のうちに取った方がいいから」
寝ぼけ眼のままの咲也に、私も自然と浮かぶ笑みをそのまま返した。
残業の疲れは、帰宅時の半分ほどになっているように感じた。
お風呂に浸かりながら、私はぼんやり考えていた。
この温かさに、浸ってしまっていて、本当にいいんだろうか。
慣れれば慣れるほど居心地がよくなる咲也との同居は、時々私を不安に追い落とす。
居心地がよくなればよくなるほど、その不安も大きくなった。
どういうものにも、永遠などない。
――この関係が失われるとき、私はどうなるんだろう。
私にはとても想像できなかった。
私から進んで咲也との縁を切る姿が。
であれば、私たちの関係は、咲也が終わらせるのだろう。
湯船の中で自分の膝を抱き寄せる。
あまり広くない湯船は、咲也にとっては窮屈らしいが、私にとってはむしろ安心できる。
ずっと縮こまって生きて来たからかもしれない、と一人、自嘲の笑みを浮かべた。
私たちの関係を、持続できる方法――
一方的な私欲にまみれた発案に、私は小さく首を振った。
翌日、始業前にヨーコさんに声をかけた。
「あの、ヨーコさん。今度、ご自宅にお邪魔してもいいですか?」
ヨーコさんはちらりと私を横目で見て、微笑む。
「ええよ。いつにする?泊まりの話とは別やろか」
「ええと……いつでも。泊まりはまたの機会でいいです」
「さよか。早い方がええなぁ。年末は忙しいし」
首を傾げながら言って、にこりと微笑む。
「まあ、ジョーに聞いてみるわ。アキちゃんも都合教えてな」
「はい」
よろしくお願いします、と頭を下げた。
ある夜、帰宅が終電間近になった。家のドアを開けてみると、咲也は先に眠っていた。
私が家に転がり込んで以来、咲也は奥の部屋においてあるベッドを私に明け渡し、自分はリビングで眠っている。私がリビングを使うと言ったのだが、女性は身支度もあるだろうからと譲らなかった。
咲也を起こさないよう、そろりそろりと中に入って行き、眠っている咲也をちらりと目にして自分の部屋に入る。
風呂に入りたい気もしたが、明日の朝シャワーを浴びることにするか、と思いながら着替える。ゆっくり湯舟に浸かれないと疲れが取れない気もしたが、これだけ遅くなったのだし仕方ない。顔だけ洗って来よう、とまた部屋を出た。
他人との共同生活はこういうときに面倒だ。それでも、一人のときの自由さを取り戻したいとは思わなくなっている自分に気づかざるを得ない。
不意に、咲也のかすれた声がした。
「おかえり」
音を忍んで足を運んでいた私は、ふぅ、っと身体の力が抜けるような感覚を覚える。
「ただいま」
答えながら、上体を起こす咲也に目をやる。
残業の疲れがわずかに減ったような気がした。
「ごめんね、起こした?」
「ううん、大丈夫」
咲也はのそのそと起き上がった。
「お風呂、追い炊きすればすぐだよ」
言いながらバスルームに向かう。ぴ、という音の後に、追い炊きのアナウンスが流れた。
私は戸惑いながら、ありがとう、と言った。
「自分でやるから、いいのに」
「うん」
咲也はごしごしと目をこすりながら頷いた。その幼い動きに、思わず私は微笑む。その微笑みに気づいたように、咲也も微笑みを返してきた。
「疲れたでしょ。お疲れさま」
私はうん、と答えながら、胸にじんわりと広がる温かさに、わずかに顔を歪める。
「どうかした?」
「ううん、何でもーーこっちの話」
私は微笑み返しながら、ありがとう、とまた繰り返した。
「入ってくるね。お風呂」
「うん。そうして」
咲也はちょっとだけ寝癖のついた髪のまま、またにこりと笑った。
「疲れはその日のうちに取った方がいいから」
寝ぼけ眼のままの咲也に、私も自然と浮かぶ笑みをそのまま返した。
残業の疲れは、帰宅時の半分ほどになっているように感じた。
お風呂に浸かりながら、私はぼんやり考えていた。
この温かさに、浸ってしまっていて、本当にいいんだろうか。
慣れれば慣れるほど居心地がよくなる咲也との同居は、時々私を不安に追い落とす。
居心地がよくなればよくなるほど、その不安も大きくなった。
どういうものにも、永遠などない。
――この関係が失われるとき、私はどうなるんだろう。
私にはとても想像できなかった。
私から進んで咲也との縁を切る姿が。
であれば、私たちの関係は、咲也が終わらせるのだろう。
湯船の中で自分の膝を抱き寄せる。
あまり広くない湯船は、咲也にとっては窮屈らしいが、私にとってはむしろ安心できる。
ずっと縮こまって生きて来たからかもしれない、と一人、自嘲の笑みを浮かべた。
私たちの関係を、持続できる方法――
一方的な私欲にまみれた発案に、私は小さく首を振った。
翌日、始業前にヨーコさんに声をかけた。
「あの、ヨーコさん。今度、ご自宅にお邪魔してもいいですか?」
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「ええよ。いつにする?泊まりの話とは別やろか」
「ええと……いつでも。泊まりはまたの機会でいいです」
「さよか。早い方がええなぁ。年末は忙しいし」
首を傾げながら言って、にこりと微笑む。
「まあ、ジョーに聞いてみるわ。アキちゃんも都合教えてな」
「はい」
よろしくお願いします、と頭を下げた。
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