さくやこの

松丹子

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第二章 ふくらむつぼみ

65 空っぽの冷蔵庫

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 すっかり一人暮らしに戻る気力をなくした私は、引っ越しの手筈をぼんやりと考えながら週末を過ごした。翌日は咲也が出社したので、私は一人で自宅に帰り、必要なものをまたひと包み、荷造りする。
 荷物はこうしてぼちぼち運ぼう。大して重いものもないし。
 身辺整理、とアヤさんが口にしたのを思い出した。その言葉に当然のように人間関係を思い浮かべた私。あくまでモノの話に終始したアヤさん。その意識のすれ違いに気づきながらただ笑っていたヨーコさん。
 そういえば、と冷蔵庫も開けて、傷みそうなものがないか確認したが、元々さして自炊しない私の家の冷蔵庫はがらんがらんだ。安心して戸を閉めた後、わずかに虚しさが込み上げる。
「……自炊かぁ」
 一人暮らしだと何の楽しみにもならないが、咲也が一緒に食べると思えばやる気が起きないことも……ない、かもしれない。
 段々尻すぼみになる気持ちを、首を振って振り払った。
「いや、私だってやろうと思えば」
 咲也が昨日作ったカレーを思い出しつつ、小さく拳を握る。あれくらいならできるはず。そうだ、安田さんだってラザニア作ったんだし、文明の理器を使えば、私だって。
 さりげなく安田さんをディスっているが気にしない。ヨーコさんと一緒にいると安田さんへのディスりが仕様過ぎて麻痺しているのかもしれないけど。
 何を作ろうかと考えたが、いい案が浮かばない。どうせ咲也に食べてもらうのだから、咲也に聞こうとメッセージを送った。
【夕飯食べたいものある?】
 咲也からは、しばらくしてから返事があった。
【作ってくれるの?ありがとう】
 少ししてから、さらにメッセージが届く。
【台所壊さなければ、何でもいいよ】
 馬鹿にされた悔しさに、私は頬を膨らませた。

 自宅の片付けと買い物を済ませ帰宅した私は、夕飯の準備に取り掛かった。文明の理器の一つ、料理レシピの掲載された大手サイトを活用すれば、何でも作れるような気がしてきた。
【夕飯、楽しみにして帰るね】
 咲也からのメッセージを受け取り、よし、と気合いを入れ直す。とりあえず炊飯器任せの炊き込みピラフにスープ、そしてハンバーグにしてみた。これまた献立例そのままだけど、初心者は無理しないが吉、と自分に言い聞かせる。
 玉ねぎのみじん切りに泣き、目をこすって更なる激痛にひいひい言いながらどうにかこうにか作り終えたハンバーグは、ひっくり返すと崩れてもろもろになった。唇を噛み締めたとき、鍵の開く音がする。咲也だ、と思って玄関へ顔を覗かせた。
「ただいま」
「おかえり」
「いい匂い。何だろう、楽しみだなぁ」
「うん、形は悪いけど多分味は大丈夫だと思……」
 二人で顔を見合わせる。
「……焦げ臭くない?」
「あああ!」
 私はバタバタとキッチンに戻ってコンロの火を消した。ハンバーグから黒い煙が出ている。隣のスープも沸騰して吹きこぼれそうになっていたので慌てて火を消した。
「大丈夫だった?」
 ネクタイを緩めながら、咲也が問い掛けてくる。私はちょっと泣きそうだ。その顔を見た咲也は苦笑を浮かべてコンロの前に立った。
「大丈夫じゃない?片面だけでしょ」
 咲也はハンバーグをへらで持ち上げて覗き込んだ。
「大丈夫、食べられる食べられる」
 言って手を洗い皿を出しはじめた。
「よくがんばったね、えらいえらい」
 咲也は私の頭を軽く叩いて、さあ食べよう、と微笑んだ。炊飯器を開け、わあ、ピラフだ。すごいじゃない、美味しそう、と明るく驚いて見せる。何だか気を使ってもらっている気がして私は肩を竦めた。
 見た目はイマイチだし、ハンバーグは焦げ臭かったけど、味はまあまあだった。レシピ通りに作ったから当然といえば当然だけど。
 ハンバーグはソースまで手が回らなかったので塩胡椒だけの味付けだが、ちょっとだけいい肉にしたおかげか、なかなかの味に思えた。
「でも、どうしたの?急に。普段自炊なんてしないのに」
 問われて私は答えに迷った。理由らしい理由はない。ただ、何となくーー作ってみようかなという気になっただけだ。
「ま、いいや。ありがとう」
 咲也は微笑んで言った。私はどういたしまして、と答えながら、美味しそうにご飯を頬張る咲也の姿をうれしく思っている自分に気づいた。
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