さくやこの

松丹子

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第二章 ふくらむつぼみ

58 言葉

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「おかえり」
 玄関先で出迎えてくれたのは、カジュアルスタイルに着替えを済ませた咲也だった。料理中だったのか、エプロンをしている。
「ーーただいま」
 自然と口をつくその言葉を、こんなに自然に使うのはいつぶりだろう、と思う。
 誰かに出迎えられて、帰ってきた、と思えたのはーー
 咲也は私のどこかぼんやりした表情を見て笑った。
「腑抜けた顔してるよ。何かあった?」
 家の中からはカレーのいい匂いがした。ぴー、と電子音がして、咲也があ、と声を挙げる。
「ご飯炊けた。まだでしょ?カレーだよ」
 咲也はにこりと笑って私に背を向け、家の中へと入っていく。私はのろのろと靴を脱いでその背を追った。
 ダイニングに着くと、壁際にかばんを落とすように置く。
「変なの」
 私は呟いた。咲也はカレーを器に盛りつけながら、何が、と私に問うて来る。
「当然のように帰ってきた場所に誰かがいるって、変な感じ」
 しばらく、そんなの、忘れていた。
 咲也は笑う。
「あきちゃんは大学のときから一人暮らしだっけ」
「うん、そう。ーー咲也は?」
「俺は、社会人になってから」
 言ってから、首を傾げる。
「いや、違うなーー前の会社辞めてから」
「それって、最近でしょ」
 私は笑った。
「えらい、キャリアが違うな」
「そうだね」
 二人で顔を見合わせて笑う。
 咲也は私の前にカレーライスを置いた。私は眉を寄せる。
「こんなに食べらんないよ」
「残したら俺がもらうから」
 咲也は笑う。
「でも、食べなきゃ駄目だよ。大きくならないよ」
「もう横にしか成長しません」
「もう少しくらい、横に成長してもいいと思うよ」
 咲也は言いながら自分の分を卓上に乗せた。
「そしたら、抱きまくら代わりくらいにはなるかもーーはい、スプーン」
 私は黙って銀色のそれを受けとり、椅子に腰掛けた。
 咲也の家のダイニングには、二人用のテーブルと椅子、クッションと小さいテレビがある。隣の寝室にはベッドとクローゼット。
「抱きまくらねぇ」
 私は出された福神漬をカレーに乗せながら言った。
「気持ち悪いんじゃないの、女が横に寝てたら」
 咲也は笑った。
「そうかも。どうかな。試してみる?」
 私はまた眉を寄せる。
「試すくらいならやめとく」
「何で?」
「わざわざトラウマ思い出すリスク、背負う必要ないでしょ」
 私は言いながら大口を開けてカレーを放り込んだ。咲也はそれを見ながら、ふぅん、と不思議な反応をする。
「そっか、こういうの、トラウマって言うのか」
 ーーは?
 私は訝しげな目を咲也に向けた。咲也は普段通り、にこにこしながら私を見ている。いただきます、と両手を合わせてカレーを食べはじめた。
「何、無自覚?」
「いや、言われてみればそうかもしれないって思っただけ。トラウマ、ね」
 咲也は口をモグモグさせながら言った。
「言葉って便利だね」
「何で」
「だって、そうやって名前つけてもらえると、一般化されたような気になるでしょ。こういうものを抱えてるのって俺だけじゃないんだ、って」
 私は、思わず眉を寄せた。
「私はーー嫌だけど」
「言葉にするのが?一般化が?」
「両方」
 言って、また大口を開けてカレーを中に入れる。咲也が作ったカレーは具が大きくて、人参はまだ固かった。顎を大きく上下させながら、その固い人参を細かく砕き、飲み込む。
「あんたたちに何が分かるのよ、って気になる」
 私は言った。目は咲也ではなく、手元のカレーを見ている。咲也は綺麗に半分ずつ、ご飯とルーを盛ってくれたのに、私が気ままに掬い上げたカレーは、汚く入り混じっていた。
 何だかモヤモヤして、更にそれをぐちゃぐちゃに混ぜる。ヨーコさんなら、こんな食べ方しないだろうな、と思った。思いつくこともないかもしれない。きっと、スプーンの上にも、きちんとご飯とルーを盛りつけて、一口ずつ咀嚼していくんだろう。そんな気がした。
 ーーでも、安田さんはぐちゃぐちゃしそうだな。少なくても子供のときにはやったに違いない。
 連想してちょっとだけ笑う。
 咲也はそんな私の表情を見ながら、黙ってスプーンを口元に運んだ。
「聞かないの?」
「何を?」
「俺のトラウマ」
 咲也の台詞に、私は片眉を上げた。
「聞いて欲しいの?」
 咲也の目を見ると、咲也は微笑んだ。
「ううんーーいや、そうかも」
「そうって」
「聞いてほしいのかも」
 私は笑う。
「かも、って言われて、じゃあどうぞ、って聞けないよ」
「そうだね。確かに」
 咲也は言って、壁に貼付けてあるカレンダーに目をやった。世界遺産の写真が載ったカレンダー。
「明日、土曜日だね」
「うん。ーーそれが?」
「あきちゃん、用事ある?」
「ないけど」
「ちょっとだけ、つき合ってもらってもいいかな」
 咲也はカレンダーから視線を戻した。そんなに改まって誘われたことはないので、私は思わず身構える。
「トラウマの話?」
「いや、違うーーけど、関連はしてる」
 咲也は言いながらカレーをまたひと掬い口にした。
「俺の母を紹介するよ」
 私の動きが止まる。
「ーーは?」
 咲也の目が弓なりに細められた。
「どうせ、一緒に住むならその方が都合がいい」
「いや、住むとか言ってないし」
「だってあきちゃん、ストーカー寄せつける気質あるんじゃないの?ああいうの、初めてっぽくなかったし」
「いや、そうだけどーーでもそうじゃなくて」
 私は言いながら、考えていた。まだ出ていない辞令のことを。もし、それが現実になれば、あと半年後には日本を発つ。
 それなら、と検討する自分がいた。
 半年なら、ルームシェアもいいかもしれない。
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