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第一章 こちふかば
46 気配
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翌週の木曜日、残業で帰宅が遅くなった私は、晩酌用にチーズを買って帰路を歩いていた。
八月も終わり、とうとう九月である。が、まだ夜も空気は湿度を孕み、べたべたと肌に纏わり付いた。
週末にゼンさんのところに行って以来、晃さんの件はすっかり解決済みのつもりでいる。ちなみに例の白い封筒は燃えるゴミとして月曜早々捨てた。あんなもの、いつまでも持ってたくないから当然。呪われそうだもんね。
アパートが見える通りまで来たとき、暗闇にちらりと赤い光が浮いたのが見えた。瞬間、ぞ、と背筋を悪寒が走る。赤い光はだいぶ遠かったのに、ほとんど本能的に私はそれが何を示しているか察した。相手に気づかれたかどうか確認するより先に、回れ右をして走り出す。手に持ったビニール袋がたてる音が大きく感じて、必死で手中に包み込み、気付かれませんように、と祈りながら。
しばらく走った後で、小道に入り、しゃがみこむ。息を整えながら、追いかけて来る気配がないか、身体中の神経を総動員する。
どっどっどっどっ、と早打される鼓動は走ったためだけではない。
気配がしないとわかって、深々と吐息をついた。
「……マジかー」
やたらと粘着質なタイプに気に入られるのは経験上わかっているのだが、社会人になってからはここまでのものは初めてだ。
赤い小さな光、その先からはたなびく煙すら見えたような気がする。ーー男の横顔とともに。
暗闇で見えるはずはないと思うのだが、一方で人間にも備わった動物的な本能が働いた気もする。夜目が効く、というのは生存競争において重要なファクターだろう。
そんなことを考えつつ、ゆっくりと腰を上げる。いまだに周囲の気配に神経を配りつつ、さてどうしようかと考える。
が、今可能な選択はこれに尽きる、とスマホを取り出した。駅に向かいながらコールボタンを押す。咲也は数度のコールで出た。
『どうかした?』
咲也の声に、
「ごめん、今日泊めてもらえる?」
あえて明るく私が言うと、
『いいよ。駅まで迎えに行く』
咲也は何も聞かずに言った。
喉の乾きを感じつつ、私は笑う。
「いいよ、場所分かってるしーー」
言いかけた私の言葉を、
『あきちゃん』
咲也は静かに遮った。
『声、震えてるよ』
私は開いた口を数度開閉してから、は、と息を吐く。
『そっちまで迎えに行こうか?』
優しい声に、頷きそうになって、いや、と首を振った。
「早くここを離れたいの。そっちの駅でいい」
喉はからからで、搾り出すような声になった。
咲也はただ静かに、分かった、と言った。
八月も終わり、とうとう九月である。が、まだ夜も空気は湿度を孕み、べたべたと肌に纏わり付いた。
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