さくやこの

松丹子

文字の大きさ
上 下
37 / 99
第一章 こちふかば

36 認めたくない

しおりを挟む
 晃さんからは、ちょいちょいメッセージが送られてきた。なかなかのしつこさに気にしない訳にもいかず、自然寝不足になっていく。
 しかし、うだうだしていても仕方ない。平日昼間は仕事に集中、いやむしろ夜も仕事して、とにかく仕事して、疲れきって帰宅する。
 心身がくたくたであれば面倒なこともくだらないことも考えずに済むーーが、なにぶん元が行動的な人間なので、身体を動かさないとあんまり質のいい睡眠にならない。
 と気づいて、昼休みにストレッチしてみたりする。
 まあそれを廊下でやってた私が悪いんだけど、見た神崎さんに呆れられた。
「お前それスカートでやんなよ。中見えるぞ」
 って、見んなよ既婚者!変態!セクハラで訴えるぞ!
 赤面して憤慨した私に、
「見たくもないもの見せられるのもセクハラだろうが」
 神崎さんは心底嫌そうに言う。
「身体動かしたいんなら、ジャージに着替えて外走ってきたら」
「流行りに乗ったランナーだと思われたくないです」
「何だその無駄なプライド」
「プライドがなくては人は生きていけません!」
「ああ言えばこう言う……」
「どっちが!」
 神崎さんは後ろ頭をかいて嘆息した。
「江原」
「何ですか」
「溜まってるなら吐き出せ。溜め続けてると結局悪循環だぞ」
 相変わらず面倒見のいい言葉だ。私は黙った。
 悔しいけれど、この人のこういう言葉は、すんなり心に入ってくる。それはきっと、それを口にする彼自身のどこにも力みや邪気がないからだろう。
 ーーいいなぁ。
 彼のように、肩の力を抜いていられれば。そんな生き方ができれば、どれだけいいだろう。
 思って、馬鹿なと首を振った。諦めたはずなのに。そんな生き方は到底私にはできないと、だいぶ昔に悟ったはずなのに。
 そんな私の様子を見ている神崎さんの目は、珍しいほど穏やかな優しさを宿していた。直視できない。直視したらきっと泣いてしまう。
「俺や阿久津が嫌なら彩乃を貸してやる。名取さんだって聞いてくれるぞ。ただの飲み友達だと思うな」
 俯く私の頭を、神崎さんの大きな手がぐしゃぐしゃと撫でた。
「ぎゃー!何するんですか!」
 ぐっちゃぐちゃに乱れた髪からその手を押し退けながら、わざとらしいくらいの声をあげる。神崎さんは笑った。
 不意に、言葉が降ってきた。
「江原、笑ってろ」
 ーーただ、一言。
 私が顔を上げたときには、神崎さんは背中を見せて歩いて行ってしまった。
 シワの寄らないスーツの背中。まっすぐに歩いていく姿を見ながら、私は下唇を噛む。
 出血しないギリギリのところまで、強く、強く、噛む。
 ーー悔しい。
 私は腰の横で拳を握った。
 ーー悔しい。

 今、一瞬ーー
 すごく嬉しいと思った自分が。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

【完結】失いかけた君にもう一度

暮田呉子
恋愛
偶然、振り払った手が婚約者の頬に当たってしまった。 叩くつもりはなかった。 しかし、謝ろうとした矢先、彼女は全てを捨てていなくなってしまった──。

【完結】家族にサヨナラ。皆様ゴキゲンヨウ。

くま
恋愛
「すまない、アデライトを愛してしまった」 「ソフィア、私の事許してくれるわよね?」 いきなり婚約破棄をする婚約者と、それが当たり前だと言い張る姉。そしてその事を家族は姉達を責めない。 「病弱なアデライトに譲ってあげなさい」と…… 私は昔から家族からは二番目扱いをされていた。いや、二番目どころでもなかった。私だって、兄や姉、妹達のように愛されたかった……だけど、いつも優先されるのは他のキョウダイばかり……我慢ばかりの毎日。 「マカロン家の長男であり次期当主のジェイコブをきちんと、敬い立てなさい」 「はい、お父様、お母様」 「長女のアデライトは体が弱いのですよ。ソフィア、貴女がきちんと長女の代わりに動くのですよ」 「……はい」 「妹のアメリーはまだ幼い。お前は我慢しなさい。下の子を面倒見るのは当然なのだから」 「はい、わかりました」 パーティー、私の誕生日、どれも私だけのなんてなかった。親はいつも私以外のキョウダイばかり、 兄も姉や妹ばかり構ってばかり。姉は病弱だからと言い私に八つ当たりするばかり。妹は我儘放題。 誰も私の言葉を聞いてくれない。 誰も私を見てくれない。 そして婚約者だったオスカー様もその一人だ。病弱な姉を守ってあげたいと婚約破棄してすぐに姉と婚約をした。家族は姉を祝福していた。私に一言も…慰めもせず。 ある日、熱にうなされ誰もお見舞いにきてくれなかった時、前世を思い出す。前世の私は家族と仲良くもしており、色々と明るい性格の持ち主さん。 「……なんか、馬鹿みたいだわ!」 もう、我慢もやめよう!家族の前で良い子になるのはもうやめる! ふるゆわ設定です。 ※家族という呪縛から解き放たれ自分自身を見つめ、好きな事を見つけだすソフィアを応援して下さい! ※ざまあ話とか読むのは好きだけど書くとなると難しいので…読者様が望むような結末に納得いかないかもしれません。🙇‍♀️でも頑張るます。それでもよければ、どうぞ! 追加文 番外編も現在進行中です。こちらはまた別な主人公です。

結婚30年、契約満了したので離婚しませんか?

おもちのかたまり
恋愛
恋愛・小説 11位になりました! 皆様ありがとうございます。 「私、旦那様とお付き合いも甘いやり取りもしたことが無いから…ごめんなさい、ちょっと他人事なのかも。もちろん、貴方達の事は心から愛しているし、命より大事よ。」 眉根を下げて笑う母様に、一発じゃあ足りないなこれは。と確信した。幸い僕も姉さん達も祝福持ちだ。父様のような力極振りではないけれど、三対一なら勝ち目はある。 「じゃあ母様は、父様が嫌で離婚するわけではないんですか?」 ケーキを幸せそうに頬張っている母様は、僕の言葉にきょとん。と目を見開いて。…もしかすると、母様にとって父様は、関心を向ける程の相手ではないのかもしれない。嫌な予感に、今日一番の寒気がする。 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇ 20年前に攻略対象だった父親と、悪役令嬢の取り巻きだった母親の現在のお話。 ハッピーエンド・バットエンド・メリーバットエンド・女性軽視・女性蔑視 上記に当てはまりますので、苦手な方、ご不快に感じる方はお気を付けください。

セレナの居場所 ~下賜された側妃~

緑谷めい
恋愛
 後宮が廃され、国王エドガルドの側妃だったセレナは、ルーベン・アルファーロ侯爵に下賜された。自らの新たな居場所を作ろうと努力するセレナだったが、夫ルーベンの幼馴染だという伯爵家令嬢クラーラが頻繁に屋敷を訪れることに違和感を覚える。

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

【完結】会いたいあなたはどこにもいない

野村にれ
恋愛
私の家族は反乱で殺され、私も処刑された。 そして私は家族の罪を暴いた貴族の娘として再び生まれた。 これは足りない罪を償えという意味なのか。 私の会いたいあなたはもうどこにもいないのに。 それでも償いのために生きている。

お飾りの侯爵夫人

悠木矢彩
恋愛
今宵もあの方は帰ってきてくださらない… フリーアイコン あままつ様のを使用させて頂いています。

処理中です...