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第一章 こちふかば
36 認めたくない
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晃さんからは、ちょいちょいメッセージが送られてきた。なかなかのしつこさに気にしない訳にもいかず、自然寝不足になっていく。
しかし、うだうだしていても仕方ない。平日昼間は仕事に集中、いやむしろ夜も仕事して、とにかく仕事して、疲れきって帰宅する。
心身がくたくたであれば面倒なこともくだらないことも考えずに済むーーが、なにぶん元が行動的な人間なので、身体を動かさないとあんまり質のいい睡眠にならない。
と気づいて、昼休みにストレッチしてみたりする。
まあそれを廊下でやってた私が悪いんだけど、見た神崎さんに呆れられた。
「お前それスカートでやんなよ。中見えるぞ」
って、見んなよ既婚者!変態!セクハラで訴えるぞ!
赤面して憤慨した私に、
「見たくもないもの見せられるのもセクハラだろうが」
神崎さんは心底嫌そうに言う。
「身体動かしたいんなら、ジャージに着替えて外走ってきたら」
「流行りに乗ったランナーだと思われたくないです」
「何だその無駄なプライド」
「プライドがなくては人は生きていけません!」
「ああ言えばこう言う……」
「どっちが!」
神崎さんは後ろ頭をかいて嘆息した。
「江原」
「何ですか」
「溜まってるなら吐き出せ。溜め続けてると結局悪循環だぞ」
相変わらず面倒見のいい言葉だ。私は黙った。
悔しいけれど、この人のこういう言葉は、すんなり心に入ってくる。それはきっと、それを口にする彼自身のどこにも力みや邪気がないからだろう。
ーーいいなぁ。
彼のように、肩の力を抜いていられれば。そんな生き方ができれば、どれだけいいだろう。
思って、馬鹿なと首を振った。諦めたはずなのに。そんな生き方は到底私にはできないと、だいぶ昔に悟ったはずなのに。
そんな私の様子を見ている神崎さんの目は、珍しいほど穏やかな優しさを宿していた。直視できない。直視したらきっと泣いてしまう。
「俺や阿久津が嫌なら彩乃を貸してやる。名取さんだって聞いてくれるぞ。ただの飲み友達だと思うな」
俯く私の頭を、神崎さんの大きな手がぐしゃぐしゃと撫でた。
「ぎゃー!何するんですか!」
ぐっちゃぐちゃに乱れた髪からその手を押し退けながら、わざとらしいくらいの声をあげる。神崎さんは笑った。
不意に、言葉が降ってきた。
「江原、笑ってろ」
ーーただ、一言。
私が顔を上げたときには、神崎さんは背中を見せて歩いて行ってしまった。
シワの寄らないスーツの背中。まっすぐに歩いていく姿を見ながら、私は下唇を噛む。
出血しないギリギリのところまで、強く、強く、噛む。
ーー悔しい。
私は腰の横で拳を握った。
ーー悔しい。
今、一瞬ーー
すごく嬉しいと思った自分が。
しかし、うだうだしていても仕方ない。平日昼間は仕事に集中、いやむしろ夜も仕事して、とにかく仕事して、疲れきって帰宅する。
心身がくたくたであれば面倒なこともくだらないことも考えずに済むーーが、なにぶん元が行動的な人間なので、身体を動かさないとあんまり質のいい睡眠にならない。
と気づいて、昼休みにストレッチしてみたりする。
まあそれを廊下でやってた私が悪いんだけど、見た神崎さんに呆れられた。
「お前それスカートでやんなよ。中見えるぞ」
って、見んなよ既婚者!変態!セクハラで訴えるぞ!
赤面して憤慨した私に、
「見たくもないもの見せられるのもセクハラだろうが」
神崎さんは心底嫌そうに言う。
「身体動かしたいんなら、ジャージに着替えて外走ってきたら」
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「ああ言えばこう言う……」
「どっちが!」
神崎さんは後ろ頭をかいて嘆息した。
「江原」
「何ですか」
「溜まってるなら吐き出せ。溜め続けてると結局悪循環だぞ」
相変わらず面倒見のいい言葉だ。私は黙った。
悔しいけれど、この人のこういう言葉は、すんなり心に入ってくる。それはきっと、それを口にする彼自身のどこにも力みや邪気がないからだろう。
ーーいいなぁ。
彼のように、肩の力を抜いていられれば。そんな生き方ができれば、どれだけいいだろう。
思って、馬鹿なと首を振った。諦めたはずなのに。そんな生き方は到底私にはできないと、だいぶ昔に悟ったはずなのに。
そんな私の様子を見ている神崎さんの目は、珍しいほど穏やかな優しさを宿していた。直視できない。直視したらきっと泣いてしまう。
「俺や阿久津が嫌なら彩乃を貸してやる。名取さんだって聞いてくれるぞ。ただの飲み友達だと思うな」
俯く私の頭を、神崎さんの大きな手がぐしゃぐしゃと撫でた。
「ぎゃー!何するんですか!」
ぐっちゃぐちゃに乱れた髪からその手を押し退けながら、わざとらしいくらいの声をあげる。神崎さんは笑った。
不意に、言葉が降ってきた。
「江原、笑ってろ」
ーーただ、一言。
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出血しないギリギリのところまで、強く、強く、噛む。
ーー悔しい。
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ーー悔しい。
今、一瞬ーー
すごく嬉しいと思った自分が。
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