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第一章 こちふかば
34 二人が共に居る理由
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「ねーねーあきちゃん。ところで、政人さん元気?」
「えー。知らない。元気じゃないの」
私は料理を突きながら気のない返事をした。
「何それー。関心なさすぎ」
「ないわ。あの人への関心なんざ」
「えー」
咲也は唇を尖らせる。他の男がやったらドン引きだが、咲也においては可愛らしいので許す。
頬杖と共に切なげな嘆息をついて、咲也はぼやいた。
「また会いたいなぁ」
「自分で誘えば。そのためにタオル持ってるんでしょ」
「た、タオルはそういう訳じゃーーできないよ、既婚者だし、愛妻家だし!お子さんいるし!」
わたわたと赤面する様子が面白い。私は笑った。
「そうだよ、分かってるじゃん。片思いがそんなに楽しいの?」
「違うよー」
咲也は答えてから、
「うーん、でもまあ、そうかも」
グラスを傾け、白ワインを口にした。私は黙って彼が先を続けるのを待つ。
「俺、もう恋愛はしないって決めたからさ」
「言ってたね、そんなこと」
「うん。でも、ときめきって大事でしょ。だから、政人さんくらいの感じがちょうどいいかも」
言いながら目を伏せる。その恋する乙女顔、こっちが照れる。
ついつい目を反らしながら、私はあっそ、と答えた。
「冷たいなぁ」
「ぐいぐい突っ込んだ方がいい?」
「いや、それも困る」
でしょ、と言い放ってムール貝をつるりと飲み込んだ。咀嚼した後味を白ワインで流し込む。うはー。たまらん。仕事の後のプチ贅沢。
「それにしても、そんな後味の悪い恋愛だったの?」
あんまり興味はないのだけれど、話の流れから一応聞いておくか、くらいの感じで私が言うと、咲也は笑った。
「どうかなぁ。後味が悪かったというか、すっきりしすぎたというかーー」
「ああ、そういうパターンもあるか」
咲也が生真面目で一途なたちであるのは色んなところから察している。浮気なことや一時の気の迷いみたいなことはないのだろう。私とは違って。
「すごい、好きだったんだよね。その人のこと」
咲也は遠い目をして話し出した。私は黙って聞いている。
「もうこれ以上の人はいないってくらい、好きでーーでも、その人にはもう会えないから」
私はぎくりとした。会えない。その言葉の意味するところを探ろうと、咲也の表情を伺う。咲也は変わらない笑顔で手を振った。
「大丈夫、死別した訳じゃないよ。それだと、それこそ後味の悪い感じになっちゃうでしょ」
「いや、まあそうだけどーーじゃあ、何で」
「他の人と他の国に行ったから」
咲也はワイングラスの淵を見つめた。
「彼にとって俺は弟みたいな存在で、俺にとって彼は唯一無二の存在だった」
私も黙って、咲也の手元のグラスを見ている。
やや黄色がかった白ワインは、ダウンライトに照らされてピンクがかって見えた。
「初恋だったし、最後の恋だった。ーーと思ってる」
言い終わると、咲也は顔を上げてにこりとした。
私は口を開きかけて、やめる。彼の大切な思い出に口を出すべきではない。一度口を開いた気まずさをごまかすように、残った白ワインを一気に喉に流し込んだ。
飲みきってぷはー、と息を吐くと、咲也が笑っている。
「こういうことすると、神崎さんが呆れるの。お前それワインへの冒涜、とかって」
「ああ、言いそう」
咲也は途端に砕けた笑顔になった。
「育ちがいいよね。あそこの会社の人たち」
「阿久津さんはそうでもない」
「そうかなぁ。でもエリートっぽい感じするよ」
「偉そう、の間違いでしょ」
私は唇を尖らせながら言って、気づく。
「てことは、私も育ちがいい感じ?」
「あきちゃんはーーどうかなぁ」
咲也はいたずらっぽい目で首を傾げた。私が眉を寄せると声を上げて笑う。
「本当に育ちがいいなら」
ワイングラスを持ち上げながら、咲也は言った。
「きっと、俺とあきちゃんは今、一緒にいない」
そのままグラスを口に運ぶ。
琥珀色の液体は、透明な曲線を通って彼の口に流し込まれていく。
私はそれを見送ってから、同意も否定も示さず、ドリンクメニューに手を伸ばした。
「えー。知らない。元気じゃないの」
私は料理を突きながら気のない返事をした。
「何それー。関心なさすぎ」
「ないわ。あの人への関心なんざ」
「えー」
咲也は唇を尖らせる。他の男がやったらドン引きだが、咲也においては可愛らしいので許す。
頬杖と共に切なげな嘆息をついて、咲也はぼやいた。
「また会いたいなぁ」
「自分で誘えば。そのためにタオル持ってるんでしょ」
「た、タオルはそういう訳じゃーーできないよ、既婚者だし、愛妻家だし!お子さんいるし!」
わたわたと赤面する様子が面白い。私は笑った。
「そうだよ、分かってるじゃん。片思いがそんなに楽しいの?」
「違うよー」
咲也は答えてから、
「うーん、でもまあ、そうかも」
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「俺、もう恋愛はしないって決めたからさ」
「言ってたね、そんなこと」
「うん。でも、ときめきって大事でしょ。だから、政人さんくらいの感じがちょうどいいかも」
言いながら目を伏せる。その恋する乙女顔、こっちが照れる。
ついつい目を反らしながら、私はあっそ、と答えた。
「冷たいなぁ」
「ぐいぐい突っ込んだ方がいい?」
「いや、それも困る」
でしょ、と言い放ってムール貝をつるりと飲み込んだ。咀嚼した後味を白ワインで流し込む。うはー。たまらん。仕事の後のプチ贅沢。
「それにしても、そんな後味の悪い恋愛だったの?」
あんまり興味はないのだけれど、話の流れから一応聞いておくか、くらいの感じで私が言うと、咲也は笑った。
「どうかなぁ。後味が悪かったというか、すっきりしすぎたというかーー」
「ああ、そういうパターンもあるか」
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「大丈夫、死別した訳じゃないよ。それだと、それこそ後味の悪い感じになっちゃうでしょ」
「いや、まあそうだけどーーじゃあ、何で」
「他の人と他の国に行ったから」
咲也はワイングラスの淵を見つめた。
「彼にとって俺は弟みたいな存在で、俺にとって彼は唯一無二の存在だった」
私も黙って、咲也の手元のグラスを見ている。
やや黄色がかった白ワインは、ダウンライトに照らされてピンクがかって見えた。
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「ああ、言いそう」
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「阿久津さんはそうでもない」
「そうかなぁ。でもエリートっぽい感じするよ」
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「てことは、私も育ちがいい感じ?」
「あきちゃんはーーどうかなぁ」
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「きっと、俺とあきちゃんは今、一緒にいない」
そのままグラスを口に運ぶ。
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私はそれを見送ってから、同意も否定も示さず、ドリンクメニューに手を伸ばした。
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