さくやこの

松丹子

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第一章 こちふかば

07 さくやこの花

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 すっかり不動産屋さんの集団と一緒くたの宴会を楽しんでいるとき、私はふと気になっていたことを口にした。
「さくや……って、なんかありませんでしたっけ、さくやこの花~って」
 酒の入った紙コップを口にしつつ首を傾げると、
「百人一首の序歌だろ。えーと……“ 難波津に咲くやこの花冬籠り今を春辺と咲くやこの花 “」
 神崎さんが、さらり、と読み上げる。
「……神崎さん……」
「あ?」
 思わぬ博識な一面に、周りの女子の目がハートになっているのだが本人は全くの無自覚である。
 アヤさーん。あなたがいないところで、ダーリンが女子を魅了してますよー。
 内心で彼の妻に呼びかけつつ、静かに嘆息した。
「……いや、何で覚えてるんですか?」
「中学のとき校内大会があってな。姉貴の練習につき合わされたからいくつか覚えた。最初にこれ覚えろって言われてーー考えてみたら札にない歌だから関係ないんだけどな」
 どうだ、見直したかという目で私を見てくる。が、その前に自分が撒き散らしているフェロモンの有害さに気付け。
 こういうとき、そのフェロモンにやられない自分を少し誇らしく思う。流されない女、江原あきらですから。ふふん。
「でも、春の訪れを感じる歌なんですね。今日にピッタリじゃないですか」
「どうかなぁ。当時、花って言ったら桜じゃなくてーー」
 神崎さんが始めたご高説の最後に、
「梅だから」
 咲也くんの声が綺麗に重なった。
 神崎さんが咲也くんを見やると、咲也くんは照れ臭そうに微笑んでいる。二人の目が合う様が、不思議とドラマのワンシーンのように見えた。
 ーーこれが二人の出会いだった。みたいな。
 脳内のナレーションに、おいおいと首を振る。そんな月九ドラマみたいな。男同士だっていうのに。しかも片方既婚者だっていうのに。
「さすがに自分の名前が入った歌は感心持つよね」
 神崎さんが笑って咲也くんの肩を叩き、コップを一つ渡す。
「何も飲んでないけど、飲めないの?」
「いえ、飲めます。さっきようやく乾杯のビールを空けたところで」
「ビールは苦手?なら何飲む?」
「神崎さん、でしたっけ。は、何飲まれてるんですか?」
「俺?ハイボール」
 神崎さんは昔っからハイボール好きなのだ。子どもたちも、父親に合わせてあげているのか、よく口にする炭酸がそれだからか、嬉しそうにジンジャーエールを飲んでいる。咲也くんは笑って、
「じゃあ、同じもので」
「俺、結構濃いめだけどいいの?」
「はい。大丈夫です」
 二人のやりとりを見ながら、何となくそわそわする。何だろう。神崎さんはいつも通りで変哲はない。咲也くんも一見何も変哲はないように見える。
「ーーうわ、ほんと濃いめですね」
「だろ。もうちょい薄める?」
「ちびちび飲むんで大丈夫です。美味しい」
「無理しなくていいよ」
 二人は自然な会話を続けている。その会話に耳を傾けながら、私は黙って焼酎をあおる。咲也くんはふふ、と笑った。
「優しいんですね、神崎さん」
 神崎さんは一瞬驚いてから苦笑した。
「そうかな。ありがとう」
 優しい。神崎さんにとっては褒め言葉だけで終わらない。彼の優しさは色んな人を翻弄してきたと、誰より彼自身がよく知っている。
「その、神崎さんっての」
 神崎さんは紙コップに入ったハイボールを飲みながら言った。
「最近あんまり呼ばれ慣れないから、マーシーか政人でいいよ」
「え?」
「戸籍上は橘だから。妻側の姓」
 咲也くんは紙コップを持つ神崎さんの左手の薬指を見た。シンプルなプラチナリングは彼のすんなりと長い指を美しく見せている。咲也くんは微笑んだ。
「愛してるんですね。奥様のこと」
 呟くような咲也くんの言葉に、ハイボールを口にした神崎さんは盛大にむせた。
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