モテ男とデキ女の奥手な恋

松丹子

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閑話(時系列については数字でご確認ください)

82.1 ホワイトデー

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「神崎さーん、これ、今週末まででお願いしまーす」
「はいよ」
 江原さんから書類を受け取って、週末は何日だろうとデスクのカレンダーを確認する。
「あ」
「うん?」
 書類を渡して去ろうとしていた江原さんは振り返り、目をぱちくりと瞬かせる。俺は口元を押さえつつ、何でもないと手を振った。
 ーーホワイトデーか。
 やっべー、何も準備してねぇわ。
 心中の呟きを察したのか、江原さんはにんまりと口の端を上げた。デビルモード発動かと身構える。
「三倍返し、三倍返し」
 歌いながら去っていく。なんだ自分のことだけかとホッとしたとき、急にまた振り返った。
「ちなみに今年は何人にお礼するんですか?」
 小首を傾げてたずねてくるが、その手には乗らない。知るかと答えてパソコンに向き合った。

 ーーということで、博多の百貨店に足を運んだ。もともと定時帰りをモットーとしているのでこういうときには便利だ。
 ぷらぷらと歩きつつ、あちこちに並ぶホワイトデーコーナーにうんざりする。こんな商業戦略に乗せられて、一体何が楽しいのか。まあ多少経済には貢献するのかもしれないがと思いを馳せる。
 つーか、江原さんはまあ三倍返し期待してたからそれとして、橘はあれだろ。俺の誕生日プレゼントなら関係ないよな。
 思いはするが、物理的に離れているところをわざわざ仕事の都合もつけて駆けつけてくれたのであり、スルーする気にもなれない。スルーしたらスルーしたで、寂しいけど誕生日だったんだもんね、仕方ないよねと一人納得する姿が思い浮かんだ。それは避けねばと心中呟く。
 ーーで、問題はヒカルだよな。
 下手なものを返しては、変な期待をさせてしまうかもしれない。が、まあ可愛い教え子であるし、社会人として礼儀のなってない姿を見せるのもどうかと思われた。
 女子中学生が一体どういうものをもらって喜ぶのか、俺には全くわからない。重くならずにそれなりのお礼になるものって何だ?キラキラしいデコレーション雑貨をうんざりした面持ちで見やりつつ、深々と嘆息した。
 ーーこういうのはむしろ、橘の方が好きそうだな。
 可愛いー、と目を細める橘の姿を思い浮かべて、自然と微笑が零れる。
 ヒカルは日頃、俺が男だと勘違いしたくらいシンプルな装いなのだ。
 ーーバスケボールにするかなぁ。
 想像してみて、サイズ的にデカすぎるかと思い直す。もし貰ったことを隠したいと思うのなら、小さいサイズのものがいいだろう。そして自分で買ったと言っても疑われないもの。ならばーー
 俺はぽんと手を打ち、スポーツ雑貨のコーナーに足を運んだ。

「ヒカル、これ」
 休日午前、練習後の去り際、簡単なラッピングを施した包みをぽんと投げると、ヒカルは慌てて受け取った。
「え、何?」
「ホワイトデー」
 俺は答えてポケットに手を突っ込む。
「それが無いと困るくらい走り回れよ」
 俺の言葉にヒカルはいぶかしげな顔をする。
「開けてもいい?」
「どーぞ」
 ヒカルは包みを開いた。入っているのはリストバンドだ。先日ユニフォームの色は見たので、その色に合わせた。某有名スポーツブランドのロゴが入っている。
「うわ、嬉しい」
 ヒカルの顔がほころんだ。内心、ほっと息をつく。
「試合で使うね。ーー先輩たちがいる内は使えるかわかんないけど」
 実力もない奴が変に洒落たことをすると睨まれかねない。その空気感は分かるので、深くは追求しない。
「じゃあな」
「神崎さん」
 ヒカルの目が、いたずらな色を孕んだ。
「カノジョには何あげたの?」
 俺は目を反らす。
「お前に教える義理はねぇ」
「何でよー。教えてよー」
 言ってから、はっと目を見開いた。
「もしかして、エロエロ下着」
「お前、完っ全に女バス一年に洗脳されたな」
「だって教えられないんでしょ?」
「教える義理はないと言っただけだ」
 俺が突き放す言い方をすると、ヒカルは唇を尖らせた。
「ちぇっ。ケチー」
「ケチでも何でも結構。じゃあな」
 俺はひらりと手を振って別れた。

 家に帰り着く頃、スマホがメッセージ受信を告げた。
【今荷物届いたよ。ありがとう。電話してもいい頃、連絡ください】
 俺は見るなりコールボタンを押す。
「もしもし」
『早っ』
 電話口で橘は笑った。俺もつられて笑う。
「無事届いてよかった」
『うん。さっき来て、確認したとこ。ーーでも、よかったの?誕生日プレゼントだったのに、お礼なんて』
「誕生日プレゼントは」
 言いかけてふと周りに人がいないことを確認する。
「……お前だったろ。それはネクタイのお礼」
 橘が電話の向こうで絶句した。ああ今絶対真っ赤になったな。ついつい緩む口元を手で覆い、咳ばらいを一つつく。橘もその間に復活したらしい。
『いきなり大甘仕様になるの、やめてくれる』
「嬉しい癖に」
『う、だ』
 咄嗟に言い返せなかったのだろう。あー、と呻き声がする。
『じゃあさようなら』
「ずいぶん短いな」
『だってあんたが変なことばっかり言うから』
「なんだよ、愛情表現しないならしないで、不安がるんだろ」
『お、乙女心は複雑なんですっ』
 あっそう。
 俺はふと笑った。
「それがあれば仕事中も心強いだろ」
 橘へ送ったのは、スワロフスキーがついた三色ペンだ。仕事にも使えるようにとシンプルなものにしたが、可愛いもの好きな橘が好みそうな小さなチャームがついている。
『そ、そんな仕事中にいちいち神崎のことなんか』
「考えてる癖に」
『な、う、くっ……』
 でも仕事は集中してるもん、ちょっとした息抜きの瞬間だけだもんっ、と言い訳がましい。
「だからネクタイのお礼だっつったろ」
 橘は一瞬の間の後、
『それって、神崎も』
「あー腹減った。これから飯だから切るわ」
『うわ!何それ!勝手!俺様!』
 俺は笑いながら、じゃあなと言って通話を切った。
 ドアの鍵を開けながら思う。

 橘は気づいていただろうか。
 ーーwith youーー
 送ったペンに、そう彫ってあることに。 

* * *

如才ない政人くんでした。
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