112 / 126
第三章 きみのとなり
112 ペアリング
しおりを挟む
そのまま俺の家に泊まった翌朝、食後にコーヒーを煎れようと台所に立った。まるで決まったことのように、橘は洗い物に立つ。
蒸らすコーヒーの香りに包まれながら、橘が機嫌よく口ずさむ鼻歌を聞いていると、ふとまた小さな不安が胸中に湧いた。
「……あのさ」
コーヒーに湯をかけながら、ぽつりと呟く。
「悪いけど、やっぱり俺、お前より昇進するのはムリな気がする」
自分が格好悪いことを言っている自覚はある。が、言っておかないといけないような気がしたのだ。
橘は皿を洗いながら笑った。
「そんなこと?気にしないわ。私は」
学歴も年収も地位も、全て自分より優れた女。
「神崎は?気にならない?」
橘が首を傾げると、切り揃えた髪が肩上をさらりと流れた。
「俺?」
俺はコーヒーに最後の湯をかけながら考え、
「別に、肩書きと結婚するわけじゃないし」
湯が落ち切る前にドリッパーを外す。
「よかった」
橘は微笑んでから、言いづらそうに、
「……うちの親にも言っていい?その……プロポーズされたって」
俺は苦笑した。
「いいけど、何て言われたかは言うなよ」
「何で?」
「割とひどかった自覚はある」
コーヒーを二つのコップに注いで、テーブルへ持って行く。橘はその後ろをついて来た。
「そうかなぁ。神崎らしいと思うけど。はっきり言わないあたりが」
それを俺らしさで片付けてくれるのがありがたいが、姉だったらやり直しを命じるに違いない。溝落ちへの拳つきで。
腰掛けて両手にコップを持ちながら、橘は思い出したように言った。
「そういえば、隼人くんの結婚式、近いんじゃなかった?」
「うん、来週」
「そっかぁ」
橘はコップの淵に口をつけながら相槌を打つ。その様子に何か含みを感じて、どうしたと問うた。
「結婚式って、家族だけじゃないやつよね」
「ああ、友達も来るって言ってたな。大学の仲間とか会社の同期とか」
「……結婚式で出会うカップルって、結構多いのよね」
橘は気まずそうに目線を反らしながら言った。俺はついつい半眼になる。
「もしかして、俺が二人の友達とどうこうなるかもとか考えてんの?」
社内で散々撒かれた噂についてはあっけらかんと笑っていたくせに。
橘は動揺しながら、手をぱたぱたと振った。
「ち、違うのよ。それをほら、まあ二つ目の目的にね、する人もいるって聞くからーーわ、私は違うよ?違うけど」
俺はほほぅと唇の端を上げた。
「二つ目じゃないが、三つ目の目的にはしたことがあると」
橘が顔を真っ赤に染め、ぐっと黙った。
やっぱり否定しきれないらしい。
俺はついつい噴き出した。
「お前、ほんとからかい甲斐があるよな」
「そんなこと言うの神崎だけだもん」
悔しそうに俺を睨みつけるが、その顔にはかけらも迫力がない。
「その顔」
「何よ」
「可愛いだけだから無意味」
コーヒーを飲みながら言うと、橘がますますうろたえた。
「ね、このペアリング可愛い」
ショーウインドウを見ながら橘が言う横で、俺は苦笑した。
「ペアリングってそういう目的のもの?」
「だって、心配なんだもん」
橘が唇を尖らせる。
「隼人の結婚式?」
「うんーーまあ、それだけじゃないけど」
俺の愛が信じられないの?
などという台詞を俺が言える訳もなく、苦笑して橘の頭をぽんぽんと叩いた。
「試着してみますか?」
「はいっ、お願いします」
店員の声に答えた橘は、俺を指差し、
「この人の分も」
「何でだよ」
俺の疑義は完全に無視し、橘は店員の出した指輪を受け取った。
頬を紅潮させながら、左手の薬指にそろりとはめた。その目が少女のようにキラキラと輝いている。
「シンプルなデザインなので、結婚指輪にも人気ですよ。女性用のリングには小さいですがダイヤも並んでいますし」
店員が営業スマイルで説明するのに相槌を打ち、橘が俺を見上げた。
「ね、神崎もはめてみてよ」
俺はしぶしぶ左手を出した。橘が店員から受け取ったリングを薬指に嵌める。
「神崎、手が綺麗でうらやましい」
「家族には働かざる者の手だって言われるけどな」
答えながら、俺の目は並んだ左手と大小の指輪に向いていた。
ーー結婚指輪。
薬指のわずかな圧迫感に、奇妙なくすぐったさを感じる。この違和感にいずれは慣れるのだろうか。
思いながら見つめていると、橘が他のデザインに目をやった。
「あっ、あれも可愛い。つけてみていいですか?」
俺は橘の横顔を見ながら、わずかに嫌な予感を感じて苦笑した。
ここぞとばかりにあれこれ試着して数時間。見た店は5店舗を超え、それでも決めかねた橘は、結局一週間考えてから決めると言い放った。
もう2店舗目には既にうんざりしていた俺だったが、3店舗目になると心中で滅私を唱え始め、最後の店を出るまでの記憶が曖昧なくらいだ。
思う存分ジュエリーショップを堪能した橘は、満足げに歩きながら、隣を歩く俺の顔を伺い見た。
「ね、神崎。今回買うのをそのまま結婚指輪にして、結婚したときにはペアウォッチ買うの、どう?」
「あー、なるほどな」
橘にしてはなかなか合理的な考えをするなと思いながら相槌を打ったが、
「同じ時を刻んでるって、ロマンチックだよね」
「あー、そういうの好きそーな。お前」
やっぱり橘は橘だった。
「何そのあきれ顔」
唇を尖らせた橘の頭に触れると、橘は照れ臭そうに微笑んだ。
蒸らすコーヒーの香りに包まれながら、橘が機嫌よく口ずさむ鼻歌を聞いていると、ふとまた小さな不安が胸中に湧いた。
「……あのさ」
コーヒーに湯をかけながら、ぽつりと呟く。
「悪いけど、やっぱり俺、お前より昇進するのはムリな気がする」
自分が格好悪いことを言っている自覚はある。が、言っておかないといけないような気がしたのだ。
橘は皿を洗いながら笑った。
「そんなこと?気にしないわ。私は」
学歴も年収も地位も、全て自分より優れた女。
「神崎は?気にならない?」
橘が首を傾げると、切り揃えた髪が肩上をさらりと流れた。
「俺?」
俺はコーヒーに最後の湯をかけながら考え、
「別に、肩書きと結婚するわけじゃないし」
湯が落ち切る前にドリッパーを外す。
「よかった」
橘は微笑んでから、言いづらそうに、
「……うちの親にも言っていい?その……プロポーズされたって」
俺は苦笑した。
「いいけど、何て言われたかは言うなよ」
「何で?」
「割とひどかった自覚はある」
コーヒーを二つのコップに注いで、テーブルへ持って行く。橘はその後ろをついて来た。
「そうかなぁ。神崎らしいと思うけど。はっきり言わないあたりが」
それを俺らしさで片付けてくれるのがありがたいが、姉だったらやり直しを命じるに違いない。溝落ちへの拳つきで。
腰掛けて両手にコップを持ちながら、橘は思い出したように言った。
「そういえば、隼人くんの結婚式、近いんじゃなかった?」
「うん、来週」
「そっかぁ」
橘はコップの淵に口をつけながら相槌を打つ。その様子に何か含みを感じて、どうしたと問うた。
「結婚式って、家族だけじゃないやつよね」
「ああ、友達も来るって言ってたな。大学の仲間とか会社の同期とか」
「……結婚式で出会うカップルって、結構多いのよね」
橘は気まずそうに目線を反らしながら言った。俺はついつい半眼になる。
「もしかして、俺が二人の友達とどうこうなるかもとか考えてんの?」
社内で散々撒かれた噂についてはあっけらかんと笑っていたくせに。
橘は動揺しながら、手をぱたぱたと振った。
「ち、違うのよ。それをほら、まあ二つ目の目的にね、する人もいるって聞くからーーわ、私は違うよ?違うけど」
俺はほほぅと唇の端を上げた。
「二つ目じゃないが、三つ目の目的にはしたことがあると」
橘が顔を真っ赤に染め、ぐっと黙った。
やっぱり否定しきれないらしい。
俺はついつい噴き出した。
「お前、ほんとからかい甲斐があるよな」
「そんなこと言うの神崎だけだもん」
悔しそうに俺を睨みつけるが、その顔にはかけらも迫力がない。
「その顔」
「何よ」
「可愛いだけだから無意味」
コーヒーを飲みながら言うと、橘がますますうろたえた。
「ね、このペアリング可愛い」
ショーウインドウを見ながら橘が言う横で、俺は苦笑した。
「ペアリングってそういう目的のもの?」
「だって、心配なんだもん」
橘が唇を尖らせる。
「隼人の結婚式?」
「うんーーまあ、それだけじゃないけど」
俺の愛が信じられないの?
などという台詞を俺が言える訳もなく、苦笑して橘の頭をぽんぽんと叩いた。
「試着してみますか?」
「はいっ、お願いします」
店員の声に答えた橘は、俺を指差し、
「この人の分も」
「何でだよ」
俺の疑義は完全に無視し、橘は店員の出した指輪を受け取った。
頬を紅潮させながら、左手の薬指にそろりとはめた。その目が少女のようにキラキラと輝いている。
「シンプルなデザインなので、結婚指輪にも人気ですよ。女性用のリングには小さいですがダイヤも並んでいますし」
店員が営業スマイルで説明するのに相槌を打ち、橘が俺を見上げた。
「ね、神崎もはめてみてよ」
俺はしぶしぶ左手を出した。橘が店員から受け取ったリングを薬指に嵌める。
「神崎、手が綺麗でうらやましい」
「家族には働かざる者の手だって言われるけどな」
答えながら、俺の目は並んだ左手と大小の指輪に向いていた。
ーー結婚指輪。
薬指のわずかな圧迫感に、奇妙なくすぐったさを感じる。この違和感にいずれは慣れるのだろうか。
思いながら見つめていると、橘が他のデザインに目をやった。
「あっ、あれも可愛い。つけてみていいですか?」
俺は橘の横顔を見ながら、わずかに嫌な予感を感じて苦笑した。
ここぞとばかりにあれこれ試着して数時間。見た店は5店舗を超え、それでも決めかねた橘は、結局一週間考えてから決めると言い放った。
もう2店舗目には既にうんざりしていた俺だったが、3店舗目になると心中で滅私を唱え始め、最後の店を出るまでの記憶が曖昧なくらいだ。
思う存分ジュエリーショップを堪能した橘は、満足げに歩きながら、隣を歩く俺の顔を伺い見た。
「ね、神崎。今回買うのをそのまま結婚指輪にして、結婚したときにはペアウォッチ買うの、どう?」
「あー、なるほどな」
橘にしてはなかなか合理的な考えをするなと思いながら相槌を打ったが、
「同じ時を刻んでるって、ロマンチックだよね」
「あー、そういうの好きそーな。お前」
やっぱり橘は橘だった。
「何そのあきれ顔」
唇を尖らせた橘の頭に触れると、橘は照れ臭そうに微笑んだ。
1
お気に入りに追加
390
あなたにおすすめの小説
極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~
恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」
そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。
私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。
葵は私のことを本当はどう思ってるの?
私は葵のことをどう思ってるの?
意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。
こうなったら確かめなくちゃ!
葵の気持ちも、自分の気持ちも!
だけど甘い誘惑が多すぎて――
ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。
恋煩いの幸せレシピ ~社長と秘密の恋始めます~
神原オホカミ【書籍発売中】
恋愛
会社に内緒でダブルワークをしている芽生は、アルバイト先の居酒屋で自身が勤める会社の社長に遭遇。
一般社員の顔なんて覚えていないはずと思っていたのが間違いで、気が付けば、クビの代わりに週末に家政婦の仕事をすることに!?
美味しいご飯と家族と仕事と夢。
能天気色気無し女子が、横暴な俺様社長と繰り広げる、お料理恋愛ラブコメ。
※注意※ 2020年執筆作品
◆表紙画像は簡単表紙メーカー様で作成しています。
◆無断転写や内容の模倣はご遠慮ください。
◆大変申し訳ありませんが不定期更新です。また、予告なく非公開にすることがあります。
◆文章をAI学習に使うことは絶対にしないでください。
◆カクヨムさん/エブリスタさん/なろうさんでも掲載してます。
ズボラ上司の甘い罠
松丹子
恋愛
小松春菜の上司、小野田は、無精髭に瓶底眼鏡、乱れた髪にゆるいネクタイ。
仕事はできる人なのに、あまりにももったいない!
かと思えば、イメチェンして来た課長はタイプど真ん中。
やばい。見惚れる。一体これで仕事になるのか?
上司の魅力から逃れようとしながら逃れきれず溺愛される、自分に自信のないフツーの女子の話。になる予定。
元カノと復縁する方法
なとみ
恋愛
「別れよっか」
同棲して1年ちょっとの榛名旭(はるな あさひ)に、ある日別れを告げられた無自覚男の瀬戸口颯(せとぐち そう)。
会社の同僚でもある二人の付き合いは、突然終わりを迎える。
自分の気持ちを振り返りながら、復縁に向けて頑張るお話。
表紙はまるぶち銀河様からの頂き物です。素敵です!
推活♡指南〜秘密持ちVtuberはスパダリ社長の溺愛にほだされる〜
湊未来
恋愛
「同じファンとして、推し活に協力してくれ!」
「はっ?」
突然呼び出された社長室。総務課の地味メガネこと『清瀬穂花(きよせほのか)』は、困惑していた。今朝落とした自分のマスコットを握りしめ、頭を下げる美丈夫『一色颯真(いっしきそうま)』からの突然の申し出に。
しかも、彼は穂花の分身『Vチューバー花音』のコアなファンだった。
モデル顔負けのイケメン社長がヲタクで、自分のファン!?
素性がバレる訳にはいかない。絶対に……
自分の分身であるVチューバーを推すファンに、推し活指南しなければならなくなった地味メガネOLと、並々ならぬ愛を『推し』に注ぐイケメンヲタク社長とのハートフルラブコメディ。
果たして、イケメンヲタク社長は無事に『推し』を手に入れる事が出来るのか。
あまやかしても、いいですか?
藤川巴/智江千佳子
恋愛
結婚相手は会社の王子様。
「俺ね、ダメなんだ」
「あーもう、キスしたい」
「それこそだめです」
甘々(しすぎる)男子×冷静(に見えるだけ)女子の
契約結婚生活とはこれいかに。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる