モテ男とデキ女の奥手な恋

松丹子

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第三章 きみのとなり

112 ペアリング

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 そのまま俺の家に泊まった翌朝、食後にコーヒーを煎れようと台所に立った。まるで決まったことのように、橘は洗い物に立つ。
 蒸らすコーヒーの香りに包まれながら、橘が機嫌よく口ずさむ鼻歌を聞いていると、ふとまた小さな不安が胸中に湧いた。
「……あのさ」
 コーヒーに湯をかけながら、ぽつりと呟く。
「悪いけど、やっぱり俺、お前より昇進するのはムリな気がする」
 自分が格好悪いことを言っている自覚はある。が、言っておかないといけないような気がしたのだ。
 橘は皿を洗いながら笑った。
「そんなこと?気にしないわ。私は」
 学歴も年収も地位も、全て自分より優れた女。
「神崎は?気にならない?」
 橘が首を傾げると、切り揃えた髪が肩上をさらりと流れた。
「俺?」
 俺はコーヒーに最後の湯をかけながら考え、
「別に、肩書きと結婚するわけじゃないし」
 湯が落ち切る前にドリッパーを外す。
「よかった」
 橘は微笑んでから、言いづらそうに、
「……うちの親にも言っていい?その……プロポーズされたって」
 俺は苦笑した。
「いいけど、何て言われたかは言うなよ」
「何で?」
「割とひどかった自覚はある」
 コーヒーを二つのコップに注いで、テーブルへ持って行く。橘はその後ろをついて来た。
「そうかなぁ。神崎らしいと思うけど。はっきり言わないあたりが」
 それを俺らしさで片付けてくれるのがありがたいが、姉だったらやり直しを命じるに違いない。溝落ちへの拳つきで。
 腰掛けて両手にコップを持ちながら、橘は思い出したように言った。
「そういえば、隼人くんの結婚式、近いんじゃなかった?」
「うん、来週」
「そっかぁ」
 橘はコップの淵に口をつけながら相槌を打つ。その様子に何か含みを感じて、どうしたと問うた。
「結婚式って、家族だけじゃないやつよね」
「ああ、友達も来るって言ってたな。大学の仲間とか会社の同期とか」
「……結婚式で出会うカップルって、結構多いのよね」
 橘は気まずそうに目線を反らしながら言った。俺はついつい半眼になる。
「もしかして、俺が二人の友達とどうこうなるかもとか考えてんの?」
 社内で散々撒かれた噂についてはあっけらかんと笑っていたくせに。
 橘は動揺しながら、手をぱたぱたと振った。
「ち、違うのよ。それをほら、まあ二つ目の目的にね、する人もいるって聞くからーーわ、私は違うよ?違うけど」
 俺はほほぅと唇の端を上げた。
「二つ目じゃないが、三つ目の目的にはしたことがあると」
 橘が顔を真っ赤に染め、ぐっと黙った。
 やっぱり否定しきれないらしい。
 俺はついつい噴き出した。
「お前、ほんとからかい甲斐があるよな」
「そんなこと言うの神崎だけだもん」
 悔しそうに俺を睨みつけるが、その顔にはかけらも迫力がない。
「その顔」
「何よ」
「可愛いだけだから無意味」
 コーヒーを飲みながら言うと、橘がますますうろたえた。

「ね、このペアリング可愛い」
 ショーウインドウを見ながら橘が言う横で、俺は苦笑した。
「ペアリングってそういう目的のもの?」
「だって、心配なんだもん」
 橘が唇を尖らせる。
「隼人の結婚式?」
「うんーーまあ、それだけじゃないけど」
 俺の愛が信じられないの?
 などという台詞を俺が言える訳もなく、苦笑して橘の頭をぽんぽんと叩いた。
「試着してみますか?」
「はいっ、お願いします」
 店員の声に答えた橘は、俺を指差し、
「この人の分も」
「何でだよ」
 俺の疑義は完全に無視し、橘は店員の出した指輪を受け取った。
 頬を紅潮させながら、左手の薬指にそろりとはめた。その目が少女のようにキラキラと輝いている。
「シンプルなデザインなので、結婚指輪にも人気ですよ。女性用のリングには小さいですがダイヤも並んでいますし」
 店員が営業スマイルで説明するのに相槌を打ち、橘が俺を見上げた。
「ね、神崎もはめてみてよ」
 俺はしぶしぶ左手を出した。橘が店員から受け取ったリングを薬指に嵌める。
「神崎、手が綺麗でうらやましい」
「家族には働かざる者の手だって言われるけどな」
 答えながら、俺の目は並んだ左手と大小の指輪に向いていた。
 ーー結婚指輪。
 薬指のわずかな圧迫感に、奇妙なくすぐったさを感じる。この違和感にいずれは慣れるのだろうか。
 思いながら見つめていると、橘が他のデザインに目をやった。
「あっ、あれも可愛い。つけてみていいですか?」
 俺は橘の横顔を見ながら、わずかに嫌な予感を感じて苦笑した。
 ここぞとばかりにあれこれ試着して数時間。見た店は5店舗を超え、それでも決めかねた橘は、結局一週間考えてから決めると言い放った。
 もう2店舗目には既にうんざりしていた俺だったが、3店舗目になると心中で滅私を唱え始め、最後の店を出るまでの記憶が曖昧なくらいだ。
 思う存分ジュエリーショップを堪能した橘は、満足げに歩きながら、隣を歩く俺の顔を伺い見た。
「ね、神崎。今回買うのをそのまま結婚指輪にして、結婚したときにはペアウォッチ買うの、どう?」
「あー、なるほどな」
 橘にしてはなかなか合理的な考えをするなと思いながら相槌を打ったが、
「同じ時を刻んでるって、ロマンチックだよね」
「あー、そういうの好きそーな。お前」
 やっぱり橘は橘だった。
「何そのあきれ顔」
 唇を尖らせた橘の頭に触れると、橘は照れ臭そうに微笑んだ。
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