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第三章 きみのとなり
107 謝罪
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人事課から連絡があったのは、その翌日の朝一のことだ。連絡どころか、矢原さんと人事課長が直接俺のデスクまで来た。
「いやぁ、おっかない人ですね。福岡織物組合の山口会長」
矢原さんは打ち合わせスペースで向き合うと、苦笑しながら言った。俺ははあ、と相づちを打つ。
そういえば昨日、阿久津から意味深なメッセージがあったことを思い出した。
「神崎さんの後任が、噂について会長の前で口を滑らせたらしくて、うちにご立腹のお電話がありました。そんなことある訳がない、非常に不愉快だとーーむしろ、彼には孫を助けてもらった、感謝してもし足りないくらいなんだと」
矢原さんが言うと、隣に座った人事課長が後を次ぐ。
「神崎さんにきちんと謝らなければ、今までの話はなかったことにしてもらうとまでおっしゃいました」
俺は苦笑した。そんなことをすれば困るのはうちの会社よりも向こうだろうに。でも、山口会長が気に入らないとなれば、それくらいのことはやりそうである。
「謝ると言っても、人事課の方からはただ話を聞かせてくれと言われただけですから」
脅しをかけてきたのはダイバーシティ推進室の方だと言外に示すが、それには人事課の二人は顔を見合わせて苦笑した。
「勝田さんとしては、あくまで処置を決めるのは人事課であって、あちらはアドバイザー、もしくはオブザーバーの立場に過ぎないからと」
「えらい高圧的なオブザーバーでしたね」
「その節は失礼しました」
頭を下げたのは矢原さんだ。俺は頭を上げるよう言ったが、いえ、と首を振る。
「いえ、あのときの話だけではなくて。ただの噂も、我々が動いたと知れればそれなりの信憑性を疑われて、力を持ってしまいます。それが分かっていてうまく立ち回れなかった。名誉毀損と言われても否定できません」
生真面目に言われるとこちらとしても対応に困る。
「まあ、辞めろと言われず済んでよかったです」
とりあえず、冗談になりきれない冗談で返す。ホッとしたのは事実だ。
「お詫びになるか分かりませんが、人事課としても、噂の鎮静化に尽力します」
「尽力って言ったって……どんな風に」
「ええっと、とりあえず彼女を溺愛しているって噂を流してみるとか」
俺が絶句すると、
「まあそれは冗談として」
矢原さんは爽やかに笑った。この人、柔らかく見えてなかなか侮れない。
「とりあえずは、今回こうして出向いて頭を下げるのが一つですよね。後は、話を聞いた人たちにも、一通りご連絡します。どの段階で収まる様子が見えるかにもよりますが、神崎さんもこのことによる不都合がありましたらいつでも私宛てにご連絡ください」
テキパキと説明をして、何かご質問は、と問われる。俺が苦笑して首を振ると、それではと二人は去って行った。
事業部内の目が、遠くから興味深そうに俺に向く。その視線にもう刺さるような棘はない。
山口会長に、恩を売ってしまった。
となると、本当に来年の公式戦に応援に行かなくてはいけないかもしれないな。
そんなことを考えながらやれやれと伸びをして、コーヒーを煎れに向かった。
昼休みになると、阿久津のスマホに電話をかけた。
『よぉ。で、どうなった?』
好奇心を隠そうともしないその声から、実際に何が起こったかは知らないようだと察する。
「山口会長からありがたい電話が人事課にあったらしい。直接謝りに来た」
『だっは』
阿久津が笑う。
『よかったなぁ、変な噂もこれで下火になるだろ』
「さぁな。とりあえずは様子を見ようって話になった」
俺は答えてから、
「高橋さんが口滑らせたって聞いたけど」
『そうそう。話し好きが高じてついついな。山口会長も友好的になるとさすが、人の話を引き出すのがうまくてさ』
話す阿久津はなぜか楽しそうだ。
「何でそんな余裕かましてるの。もしかしたらまたふりだしに戻ったかもしれないっつーのに」
『あ?今回の件はお前の功績だろ。功績者糾弾しといて事業だけうまく行かせようだなんて思う方が間違ってる』
なかなかの正義感である。新たな面を見た気がしつつふぅんと返答した俺に、阿久津が笑った。
『お前こそ、他人事みたいに話すな』
「いや、一応ほっとしたよ。辞めろって言われたら弟の結婚式に無職で参列することになるところだった」
阿久津は噴き出した。
『それはそれでウケるな』
「他人事だと思って」
『他人事だから仕方ないだろ』
面白がって言う阿久津に嘆息して、
「山口会長に伝えてくれる?丁寧な謝罪があったって。ーーあと、社内だけとはいえ、ヒカルに変な噂が立って申し訳ないと」
『了解。俺、すっかり山口会長と飲み友達だから』
「だろうな。お前ら気が合いそうだ」
『酒の好みも合うと分かってな』
阿久津は言って、俺しばらくこっち勤務がいいわと笑った。ずいぶん肩の力が抜けたらしい。
『ま、また何かあったらいつでも連絡寄越せよ』
阿久津の言葉に頷いて電話を切りかけたが、
『挙式の日程も早めに教えろよ』
「お前なぁ」
呆れ返ると、阿久津の楽しげな笑い声が返ってきた。
「いやぁ、おっかない人ですね。福岡織物組合の山口会長」
矢原さんは打ち合わせスペースで向き合うと、苦笑しながら言った。俺ははあ、と相づちを打つ。
そういえば昨日、阿久津から意味深なメッセージがあったことを思い出した。
「神崎さんの後任が、噂について会長の前で口を滑らせたらしくて、うちにご立腹のお電話がありました。そんなことある訳がない、非常に不愉快だとーーむしろ、彼には孫を助けてもらった、感謝してもし足りないくらいなんだと」
矢原さんが言うと、隣に座った人事課長が後を次ぐ。
「神崎さんにきちんと謝らなければ、今までの話はなかったことにしてもらうとまでおっしゃいました」
俺は苦笑した。そんなことをすれば困るのはうちの会社よりも向こうだろうに。でも、山口会長が気に入らないとなれば、それくらいのことはやりそうである。
「謝ると言っても、人事課の方からはただ話を聞かせてくれと言われただけですから」
脅しをかけてきたのはダイバーシティ推進室の方だと言外に示すが、それには人事課の二人は顔を見合わせて苦笑した。
「勝田さんとしては、あくまで処置を決めるのは人事課であって、あちらはアドバイザー、もしくはオブザーバーの立場に過ぎないからと」
「えらい高圧的なオブザーバーでしたね」
「その節は失礼しました」
頭を下げたのは矢原さんだ。俺は頭を上げるよう言ったが、いえ、と首を振る。
「いえ、あのときの話だけではなくて。ただの噂も、我々が動いたと知れればそれなりの信憑性を疑われて、力を持ってしまいます。それが分かっていてうまく立ち回れなかった。名誉毀損と言われても否定できません」
生真面目に言われるとこちらとしても対応に困る。
「まあ、辞めろと言われず済んでよかったです」
とりあえず、冗談になりきれない冗談で返す。ホッとしたのは事実だ。
「お詫びになるか分かりませんが、人事課としても、噂の鎮静化に尽力します」
「尽力って言ったって……どんな風に」
「ええっと、とりあえず彼女を溺愛しているって噂を流してみるとか」
俺が絶句すると、
「まあそれは冗談として」
矢原さんは爽やかに笑った。この人、柔らかく見えてなかなか侮れない。
「とりあえずは、今回こうして出向いて頭を下げるのが一つですよね。後は、話を聞いた人たちにも、一通りご連絡します。どの段階で収まる様子が見えるかにもよりますが、神崎さんもこのことによる不都合がありましたらいつでも私宛てにご連絡ください」
テキパキと説明をして、何かご質問は、と問われる。俺が苦笑して首を振ると、それではと二人は去って行った。
事業部内の目が、遠くから興味深そうに俺に向く。その視線にもう刺さるような棘はない。
山口会長に、恩を売ってしまった。
となると、本当に来年の公式戦に応援に行かなくてはいけないかもしれないな。
そんなことを考えながらやれやれと伸びをして、コーヒーを煎れに向かった。
昼休みになると、阿久津のスマホに電話をかけた。
『よぉ。で、どうなった?』
好奇心を隠そうともしないその声から、実際に何が起こったかは知らないようだと察する。
「山口会長からありがたい電話が人事課にあったらしい。直接謝りに来た」
『だっは』
阿久津が笑う。
『よかったなぁ、変な噂もこれで下火になるだろ』
「さぁな。とりあえずは様子を見ようって話になった」
俺は答えてから、
「高橋さんが口滑らせたって聞いたけど」
『そうそう。話し好きが高じてついついな。山口会長も友好的になるとさすが、人の話を引き出すのがうまくてさ』
話す阿久津はなぜか楽しそうだ。
「何でそんな余裕かましてるの。もしかしたらまたふりだしに戻ったかもしれないっつーのに」
『あ?今回の件はお前の功績だろ。功績者糾弾しといて事業だけうまく行かせようだなんて思う方が間違ってる』
なかなかの正義感である。新たな面を見た気がしつつふぅんと返答した俺に、阿久津が笑った。
『お前こそ、他人事みたいに話すな』
「いや、一応ほっとしたよ。辞めろって言われたら弟の結婚式に無職で参列することになるところだった」
阿久津は噴き出した。
『それはそれでウケるな』
「他人事だと思って」
『他人事だから仕方ないだろ』
面白がって言う阿久津に嘆息して、
「山口会長に伝えてくれる?丁寧な謝罪があったって。ーーあと、社内だけとはいえ、ヒカルに変な噂が立って申し訳ないと」
『了解。俺、すっかり山口会長と飲み友達だから』
「だろうな。お前ら気が合いそうだ」
『酒の好みも合うと分かってな』
阿久津は言って、俺しばらくこっち勤務がいいわと笑った。ずいぶん肩の力が抜けたらしい。
『ま、また何かあったらいつでも連絡寄越せよ』
阿久津の言葉に頷いて電話を切りかけたが、
『挙式の日程も早めに教えろよ』
「お前なぁ」
呆れ返ると、阿久津の楽しげな笑い声が返ってきた。
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