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第二章 はなれる
81 ジョーとヨーコ
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翌週末に行われた本社プレゼンは、阿久津を中心に行われた。
特段大きな問題もなく終わり、いくつかの課題や確認事項を示されただけで、上家さんは福岡に日帰り、阿久津はいつも飲み友達と会うと言ってバラバラと別れた。
「ね、ね、マーシー。ほんとに来るんすよね?」
仕事中からやたらとソワソワしていたジョーは、早々に仕事を切り上げて俺と合流し、ゼロ時会と称して、男二人立ち飲み居酒屋で一杯ひっかけている。
「多分な」
壁のない店のカウンターは、屋根はあるものの外と気温が変わらない。コートもマフラーも身につけたままハイボールを口にすると、ジョーもその横で同じくハイボールを傾けた。
「この一ヶ月半、何度か声かけんですけど、全然脈無しで」
「……結構、頑張ってたのな」
「まあ、それはそれとして他で発散はしてましたけど」
相変わらずさらりと最低なことを言うジョーに、悪気はさらさらないらしい。その横顔をちらりと見て、俺は嘆息する。
「お前、本気なのか?名取さんのこと」
「その、本気とか本気じゃないとかって、何なんすか?」
ジョーは俺の問いに首を傾けた。
「俺、いつでも本気ですけど。いいと思うから誘うし、そうじゃなければ誘いません」
あっさり言い放つ後輩に、俺は言葉を失った。もしかしたら、こいつは俺の想像以上に本能に忠実なタイプなのかもしれない。
「……でも、一晩だけって女もいるんだろ」
「それは、そうなってみたら違うなーって思ったか、向こうも一晩だけでいいって言ったか、どっちかでしょう」
これまた当然のように答えてくる。本人なりに筋は通っているらしい。
俺は、下手に扉を開くと計り知れない世界が広がり始めそうな気配を察して、適当に相槌を返した。
就業時間を1時間ほど過ぎて、橘から電話があった。
『もしもし?今、どこにいる?』
「駅前の立ち飲み。終わった?」
『うん。どこで合流しようか?』
「何食いたい?」
『肉。肉食べようねって、ヨーコちゃんと一日中言ってたの』
「あ、そう」
力強い即答に、俺は苦笑した。ストレス溜まってんだろうなと推測する。
「じゃ、北口の焼肉屋行くか」
『うん。席取っといて』
「4人でいいよな?」
『もちろん』
隣にいるジョーがガッツポーズしたのを横目で見ながら、俺は会計を済ませようと財布を出した。
「かーんぱーいっ」
橘とジョーの明るい声に、俺と名取さんは苦笑しながら杯を掲げた。
橘はぐびぐびとビールを煽ってからぷはぁと一息つく。
「オッサンか」
「30過ぎのオッサンに言われたくないっ」
笑うと、きっ、と隣に座る俺を睨みつけてくる。
「嫌やわぁ。30でオッサンなら、40のオバチャンはどないしよ」
「ヨーコちゃんは永遠の25歳だから大丈夫」
何がどうして大丈夫なのかまったくもってわからない。が、名取さんはくすりと笑った。
そのリラックスした笑みに、きっと名取さんも橘のこういうところが気に入っているのだろうと読み取る。ぼんやりその柔らかい表情を眺めていたが、その視線に気づいた名取さんが、いたずらっぽい目をして俺を見た。
「マーシーは、もううちとは飲みたくないやろうと思うてたけど」
名取さんは、柔らかそうなぽってりとした唇に、ジョッキを押し当てて言った。正直、冗談なのか本気なのか、俺にはよく読み取れない。
「距離があれば大丈夫です。別に名取さんが嫌いなわけじゃないですから」
苦笑を返すと、名取さんはにやりと微笑んだ。
「さよか。ーーテーブルが邪魔やなぁ」
「冗談はやめてください」
苦笑で応じるが、正直、目が本気ぽくて怖い。
「なんですか、その距離とかなんとか」
「なんでもあらへん。ワンコはお利口にしとき」
ジョーの言葉に、名取さんはやっぱり笑っていない笑顔で答えた。ジョーが頬を赤らめる。
ーー恋は盲目、か。
ジョーの本気がどの程度なのかわからないが、少なくとも名取さんにその気はないとはっきり見て取れた。
「東京に戻る時期はまだ未定やの」
「うーん。多分夏くらいには戻れると思うんですけどね。ちょっと色々入り組んでて……仕事なのか何なのか分からない事情で帰れなくて」
「何や、それ」
名取さんに聞かれて、仕方なくかい摘まんで事情を説明すると、
「……それ、もしかして女の子やったりするん」
俺は何も言わず目を反らした。
「ふぅん」
名取さんの笑顔が心からのそれになってギクリとする。
「……へえぇ」
わずかな吐息と共に、名取さんの脚が動く気配を感じたとき、
「名取さん。俺は何もしてないんですけど。だいたい、女の子って言っても中学生っすよ。それも、俺はここ一ヶ月、ずっと男だと思ってたくらいのーー」
慌てて取り繕うと、名取さんは笑いながら動きを止めた。俺は心底ほっとする。
「……いいなぁ」
「何がだよ」
唐突に呟いた橘を見やると、唇を尖らせていた。
「ヨーコちゃん、色気があっていいなぁって」
俺は思わぬ台詞についつい噴き出す。
「お前に色気とか、誰も期待してねぇし」
「な、何よー!」
橘が顔を赤くして怒りながら、ぽかぽかと肩をたたいてきた。
「あっても、邪魔やと思う方が多いけどなぁ」
しみじみとした呟きに、俺はちらりと名取さんを見やり、なんとなく気まずく思えて目線を反らす。
「そういうもんかもしれないですね」
名取さんはふふ、と笑って、またジョッキに口をつけた。その隣で、ジョーがぐいっと身を乗り出す。
「あのっ。俺はっ?俺の色気ってどうですか?」
「知るか」
「知らへん」
俺と名取さんの声が見事に重なった。
特段大きな問題もなく終わり、いくつかの課題や確認事項を示されただけで、上家さんは福岡に日帰り、阿久津はいつも飲み友達と会うと言ってバラバラと別れた。
「ね、ね、マーシー。ほんとに来るんすよね?」
仕事中からやたらとソワソワしていたジョーは、早々に仕事を切り上げて俺と合流し、ゼロ時会と称して、男二人立ち飲み居酒屋で一杯ひっかけている。
「多分な」
壁のない店のカウンターは、屋根はあるものの外と気温が変わらない。コートもマフラーも身につけたままハイボールを口にすると、ジョーもその横で同じくハイボールを傾けた。
「この一ヶ月半、何度か声かけんですけど、全然脈無しで」
「……結構、頑張ってたのな」
「まあ、それはそれとして他で発散はしてましたけど」
相変わらずさらりと最低なことを言うジョーに、悪気はさらさらないらしい。その横顔をちらりと見て、俺は嘆息する。
「お前、本気なのか?名取さんのこと」
「その、本気とか本気じゃないとかって、何なんすか?」
ジョーは俺の問いに首を傾けた。
「俺、いつでも本気ですけど。いいと思うから誘うし、そうじゃなければ誘いません」
あっさり言い放つ後輩に、俺は言葉を失った。もしかしたら、こいつは俺の想像以上に本能に忠実なタイプなのかもしれない。
「……でも、一晩だけって女もいるんだろ」
「それは、そうなってみたら違うなーって思ったか、向こうも一晩だけでいいって言ったか、どっちかでしょう」
これまた当然のように答えてくる。本人なりに筋は通っているらしい。
俺は、下手に扉を開くと計り知れない世界が広がり始めそうな気配を察して、適当に相槌を返した。
就業時間を1時間ほど過ぎて、橘から電話があった。
『もしもし?今、どこにいる?』
「駅前の立ち飲み。終わった?」
『うん。どこで合流しようか?』
「何食いたい?」
『肉。肉食べようねって、ヨーコちゃんと一日中言ってたの』
「あ、そう」
力強い即答に、俺は苦笑した。ストレス溜まってんだろうなと推測する。
「じゃ、北口の焼肉屋行くか」
『うん。席取っといて』
「4人でいいよな?」
『もちろん』
隣にいるジョーがガッツポーズしたのを横目で見ながら、俺は会計を済ませようと財布を出した。
「かーんぱーいっ」
橘とジョーの明るい声に、俺と名取さんは苦笑しながら杯を掲げた。
橘はぐびぐびとビールを煽ってからぷはぁと一息つく。
「オッサンか」
「30過ぎのオッサンに言われたくないっ」
笑うと、きっ、と隣に座る俺を睨みつけてくる。
「嫌やわぁ。30でオッサンなら、40のオバチャンはどないしよ」
「ヨーコちゃんは永遠の25歳だから大丈夫」
何がどうして大丈夫なのかまったくもってわからない。が、名取さんはくすりと笑った。
そのリラックスした笑みに、きっと名取さんも橘のこういうところが気に入っているのだろうと読み取る。ぼんやりその柔らかい表情を眺めていたが、その視線に気づいた名取さんが、いたずらっぽい目をして俺を見た。
「マーシーは、もううちとは飲みたくないやろうと思うてたけど」
名取さんは、柔らかそうなぽってりとした唇に、ジョッキを押し当てて言った。正直、冗談なのか本気なのか、俺にはよく読み取れない。
「距離があれば大丈夫です。別に名取さんが嫌いなわけじゃないですから」
苦笑を返すと、名取さんはにやりと微笑んだ。
「さよか。ーーテーブルが邪魔やなぁ」
「冗談はやめてください」
苦笑で応じるが、正直、目が本気ぽくて怖い。
「なんですか、その距離とかなんとか」
「なんでもあらへん。ワンコはお利口にしとき」
ジョーの言葉に、名取さんはやっぱり笑っていない笑顔で答えた。ジョーが頬を赤らめる。
ーー恋は盲目、か。
ジョーの本気がどの程度なのかわからないが、少なくとも名取さんにその気はないとはっきり見て取れた。
「東京に戻る時期はまだ未定やの」
「うーん。多分夏くらいには戻れると思うんですけどね。ちょっと色々入り組んでて……仕事なのか何なのか分からない事情で帰れなくて」
「何や、それ」
名取さんに聞かれて、仕方なくかい摘まんで事情を説明すると、
「……それ、もしかして女の子やったりするん」
俺は何も言わず目を反らした。
「ふぅん」
名取さんの笑顔が心からのそれになってギクリとする。
「……へえぇ」
わずかな吐息と共に、名取さんの脚が動く気配を感じたとき、
「名取さん。俺は何もしてないんですけど。だいたい、女の子って言っても中学生っすよ。それも、俺はここ一ヶ月、ずっと男だと思ってたくらいのーー」
慌てて取り繕うと、名取さんは笑いながら動きを止めた。俺は心底ほっとする。
「……いいなぁ」
「何がだよ」
唐突に呟いた橘を見やると、唇を尖らせていた。
「ヨーコちゃん、色気があっていいなぁって」
俺は思わぬ台詞についつい噴き出す。
「お前に色気とか、誰も期待してねぇし」
「な、何よー!」
橘が顔を赤くして怒りながら、ぽかぽかと肩をたたいてきた。
「あっても、邪魔やと思う方が多いけどなぁ」
しみじみとした呟きに、俺はちらりと名取さんを見やり、なんとなく気まずく思えて目線を反らす。
「そういうもんかもしれないですね」
名取さんはふふ、と笑って、またジョッキに口をつけた。その隣で、ジョーがぐいっと身を乗り出す。
「あのっ。俺はっ?俺の色気ってどうですか?」
「知るか」
「知らへん」
俺と名取さんの声が見事に重なった。
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