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第二章 はなれる
71 転居の理由
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午後は北九州織物組合の松島会長への挨拶と報告を済ませた後、福岡織物組合の山口会長へ挨拶に向かった。
「ちょうど今週末に組合総会があるけん、説明に来なさい」
「ありがとうございます」
「まあ、だいたい方向は決まっとうが」
「……え?」
山口会長の言葉に眉を上げると、山口会長はにやりと笑った。
「前に来た奴らが置いて行った資料は一通り会員に渡してある。そのときの質問やら何やら、議事録にまとめとうけん、見るか?」
「あ、ありがとうございます」
急に積極的に対応してくれるのにとまどっていると、山口会長は鼻で笑った。
「自分たちのためになるなら、みすみすチャンスを逃すほど甘ちゃんやないぞ、俺は」
俺はその言葉に苦笑した。
「そうでしょうとも」
ーーそうでなくて、社長が勤まるわけがない。
「ありがたく拝見します」
「ああ。待っとき」
山口会長は頷いて、議事録を持ってきてくれた。
議事録に一通り目を通し、山口会長自身からいくつか補足を聞いてメモに落とすと、そろそろ失礼しますと立ち上がりかけた俺を、山口会長が手で制した。
「少し話してもいいか」
俺は上げかけた腰を下ろした。
「はい」
会長はゆっくりと口を開いた。
「ヒカルは、根は優しいが、なかなか頑固者でな」
言葉を探すように話す。
「先生も、なかなか友達と馴染めん、と心配しちょる。片親だからやないか、てーーあの子の母親は、仕事を選んだけん。父親が家業を継ぐち言うたら、東京に残るちゅうて、ついて来なんだ」
俺はどう相槌を打ったものかと考えながら、ただ話を聞いていた。
「親権も父親に譲るが、養育費はきちんと出したいちゅうてーー俺たちの世代では、考えもつかんわ。子供や夫と暮らせんくなっても仕事を選ぶことも、女がわざわざ養育費出すことも」
言い終えて遠い目をした。
「ヒカルは、それからあんまり笑わんようになった。父親は新しい仕事覚えるのに必死で余裕もないし、元々喜怒哀楽のはっきりした子じゃなかったけんね。それが、初めて会うあんたにあれだけの笑顔を向けた」
山口会長は目を細めた。
「俺も人の親だし孫には滅法弱い。娘夫婦は子供を授からんでな。孫はあの子一人、可愛くて仕方ないんよ」
そう言い終えて壁にかかった時計に目をやる。
「……そろそろ帰って来るな」
山口会長は呟いて俺に向き合った。
「馬鹿なことを言っとうのは承知の上たい」
その目は穏やかな祖父のそれである。
「でも、俺が今のあの子にしてやれることはこのくらいやけん。ーー少し付き合ってくれ」
言い終わる頃に、応接室のドアがこんこんとノックされた。
「入れ」
「こんにちはぁ」
ひょっこりと顔を出したのは、予想通りヒカルだった。
「お兄さん来るって聞いたから、走って帰ってきた」
その言葉通り、息は上がり頬も上気している。俺は苦笑しながらゆるりと立ち上がった。
「おかえり」
ヒカルは驚いた顔をしてから、ぱっと笑顔になった。
「ただいま」
その笑顔を、山口会長が穏やかな目で見ている。
「今日は少しだけな。会社の同僚から、長居するなと釘を刺されてる」
「あはは。僕とバスケやってお金もらうなんて最高だよね」
「その代わり、着替えとスニーカーは持ってきたぞ」
俺が言うと、ヒカルは笑った。
「なんだ、やる気満々じゃん」
「違ぇよ。最初のときに靴とスラックス砂だらけになったからだ」
先週末、阿久津たちと来たときは、シュート練習に付き合っただけで帰ったから無事だった。
「そうだ。ね、来月の第二土曜日、予定空いてる?」
「あ?なんだ、試合か?」
着替えを取りに車に向かいながら話す。
「うん。練習試合。僕一年生なんだけど、合間に一年生も試合させてくれるって言われてて。うちの学年6人しかいないから、出してもらえると思う」
「そうか。じゃ、練習がんばんなきゃな」
「うん。ねえ、お休みの日、練習つきあってよ」
「……俺のこと、暇人だと思ってる?」
ヒカルはううんと首を振った。
「どうせ関東にカノジョ置いて来てるんでしょ」
ーー中坊のくせに鋭いな。
「……まぁな」
後ろ頭を掻きながら答えると、ヒカルは笑った。
「そうじゃなかったら嘘だよ。お兄さんモテそうだもん」
俺は黙って肩をすくめた。ヒカルは楽しそうに笑う。
「はやくやろう。僕、ミニバスやってなかったからさ。やっぱりミニバス経験者にはなかなか追いつかなくって」
「あー、そうだよな。分かる分かる」
小学生の間に、結構差がついているものだ。ボールコントロールはもちろん、試合の流れの読みや精神的なタフさ、そういうものも含めて。
「じゃ、あと一ヶ月弱で鍛えてやるか」
「ほんと?やった!」
ヒカルは拳を握ってガッツポーズした。
ーー栄太郎も、中学生になればこんな感じかな。
年始にボールを抱えて笑う甥っ子を思い出して微笑み、思わずヒカルの頭をぽんぽんと叩いた。
ヒカルは一瞬驚いたように目を見開いてから、照れ臭そうに微笑んだ。
なんとなくその頬が紅潮したような気がしたが、きっと寒さによるものだろうと、車から着替えとシューズを取り出した。
「ちょうど今週末に組合総会があるけん、説明に来なさい」
「ありがとうございます」
「まあ、だいたい方向は決まっとうが」
「……え?」
山口会長の言葉に眉を上げると、山口会長はにやりと笑った。
「前に来た奴らが置いて行った資料は一通り会員に渡してある。そのときの質問やら何やら、議事録にまとめとうけん、見るか?」
「あ、ありがとうございます」
急に積極的に対応してくれるのにとまどっていると、山口会長は鼻で笑った。
「自分たちのためになるなら、みすみすチャンスを逃すほど甘ちゃんやないぞ、俺は」
俺はその言葉に苦笑した。
「そうでしょうとも」
ーーそうでなくて、社長が勤まるわけがない。
「ありがたく拝見します」
「ああ。待っとき」
山口会長は頷いて、議事録を持ってきてくれた。
議事録に一通り目を通し、山口会長自身からいくつか補足を聞いてメモに落とすと、そろそろ失礼しますと立ち上がりかけた俺を、山口会長が手で制した。
「少し話してもいいか」
俺は上げかけた腰を下ろした。
「はい」
会長はゆっくりと口を開いた。
「ヒカルは、根は優しいが、なかなか頑固者でな」
言葉を探すように話す。
「先生も、なかなか友達と馴染めん、と心配しちょる。片親だからやないか、てーーあの子の母親は、仕事を選んだけん。父親が家業を継ぐち言うたら、東京に残るちゅうて、ついて来なんだ」
俺はどう相槌を打ったものかと考えながら、ただ話を聞いていた。
「親権も父親に譲るが、養育費はきちんと出したいちゅうてーー俺たちの世代では、考えもつかんわ。子供や夫と暮らせんくなっても仕事を選ぶことも、女がわざわざ養育費出すことも」
言い終えて遠い目をした。
「ヒカルは、それからあんまり笑わんようになった。父親は新しい仕事覚えるのに必死で余裕もないし、元々喜怒哀楽のはっきりした子じゃなかったけんね。それが、初めて会うあんたにあれだけの笑顔を向けた」
山口会長は目を細めた。
「俺も人の親だし孫には滅法弱い。娘夫婦は子供を授からんでな。孫はあの子一人、可愛くて仕方ないんよ」
そう言い終えて壁にかかった時計に目をやる。
「……そろそろ帰って来るな」
山口会長は呟いて俺に向き合った。
「馬鹿なことを言っとうのは承知の上たい」
その目は穏やかな祖父のそれである。
「でも、俺が今のあの子にしてやれることはこのくらいやけん。ーー少し付き合ってくれ」
言い終わる頃に、応接室のドアがこんこんとノックされた。
「入れ」
「こんにちはぁ」
ひょっこりと顔を出したのは、予想通りヒカルだった。
「お兄さん来るって聞いたから、走って帰ってきた」
その言葉通り、息は上がり頬も上気している。俺は苦笑しながらゆるりと立ち上がった。
「おかえり」
ヒカルは驚いた顔をしてから、ぱっと笑顔になった。
「ただいま」
その笑顔を、山口会長が穏やかな目で見ている。
「今日は少しだけな。会社の同僚から、長居するなと釘を刺されてる」
「あはは。僕とバスケやってお金もらうなんて最高だよね」
「その代わり、着替えとスニーカーは持ってきたぞ」
俺が言うと、ヒカルは笑った。
「なんだ、やる気満々じゃん」
「違ぇよ。最初のときに靴とスラックス砂だらけになったからだ」
先週末、阿久津たちと来たときは、シュート練習に付き合っただけで帰ったから無事だった。
「そうだ。ね、来月の第二土曜日、予定空いてる?」
「あ?なんだ、試合か?」
着替えを取りに車に向かいながら話す。
「うん。練習試合。僕一年生なんだけど、合間に一年生も試合させてくれるって言われてて。うちの学年6人しかいないから、出してもらえると思う」
「そうか。じゃ、練習がんばんなきゃな」
「うん。ねえ、お休みの日、練習つきあってよ」
「……俺のこと、暇人だと思ってる?」
ヒカルはううんと首を振った。
「どうせ関東にカノジョ置いて来てるんでしょ」
ーー中坊のくせに鋭いな。
「……まぁな」
後ろ頭を掻きながら答えると、ヒカルは笑った。
「そうじゃなかったら嘘だよ。お兄さんモテそうだもん」
俺は黙って肩をすくめた。ヒカルは楽しそうに笑う。
「はやくやろう。僕、ミニバスやってなかったからさ。やっぱりミニバス経験者にはなかなか追いつかなくって」
「あー、そうだよな。分かる分かる」
小学生の間に、結構差がついているものだ。ボールコントロールはもちろん、試合の流れの読みや精神的なタフさ、そういうものも含めて。
「じゃ、あと一ヶ月弱で鍛えてやるか」
「ほんと?やった!」
ヒカルは拳を握ってガッツポーズした。
ーー栄太郎も、中学生になればこんな感じかな。
年始にボールを抱えて笑う甥っ子を思い出して微笑み、思わずヒカルの頭をぽんぽんと叩いた。
ヒカルは一瞬驚いたように目を見開いてから、照れ臭そうに微笑んだ。
なんとなくその頬が紅潮したような気がしたが、きっと寒さによるものだろうと、車から着替えとシューズを取り出した。
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※注意※ 2020年執筆作品
◆表紙画像は簡単表紙メーカー様で作成しています。
◆無断転写や内容の模倣はご遠慮ください。
◆大変申し訳ありませんが不定期更新です。また、予告なく非公開にすることがあります。
◆文章をAI学習に使うことは絶対にしないでください。
◆カクヨムさん/エブリスタさん/なろうさんでも掲載してます。
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