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第二章 はなれる
55 男たち
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阿久津が予約した店は、会社から徒歩15分ほどのこじんまりした居酒屋だった。座敷席とテーブル席は4人がけが二つずつ、カウンター席が6人ほど。
予約していたのは座敷席の一つだった。四人席だがどうにか5人で座り、乾杯のビールを頼む。
カウンター席の一部を除き、店は満員だった。
「じゃ、マーシーの九州支部への赴任を歓迎して。かんぱーい!」
阿久津の号令に合わせて、俺、江原さん、二人の男性社員が生ビールのジョッキを掲げた。
二人の男性職員は、わずかに俺たちより年上のようだが、まだ30代だろう。痩せ型で眼鏡をかけているのが桑原、会社ではヨウジという名前からYZと呼ばれている。もう一人は高橋晋作。シン、というのが呼び名で、そこそこ多弁な男のようだ。
「親が幕末の志士が好きでね。今でも名乗る度にはずかしいんだけど」
高橋さんは中肉中背だが、年齢相応に腹が出てきている。
そういえば俺も最近ジムに行ってないな。こっちにいいところあるか探さないと。
隣に座る高橋さんの腹を見て思いながら、俺はビールを傾けた。苦い泡が喉を伝い落ちる。
「ごめんねぇ、席が狭くて」
お通しを持ってきてくれたのは、60手前の女性だった。ふくよかな体格と丸みのある頬、顔に刻まれた笑いじわは、多くの客を引き付けてきたのだろうという人懐こさを感じた。
「いえ、急に人数が増えたのはこっちの都合なんで」
俺が言うと、女性はくしゃりと人のいい笑顔を見せた。
「阿久津さん。ずいぶんかっこいい人と一緒やね」
「やだなぁ、女将さんもこういう顔好きなの?こいつ連れてると、いつも女性の関心を持ってかれてさ」
阿久津が大袈裟に肩を竦めると、女将さんは笑った。
「阿久津さんだって、十分男前じゃないの。やっぱり東京の人は違うのかねぇ」
女将さんは阿久津の肩を軽く叩きながら笑う。
俺はそれを聞きながら、お通しの白和えを口にする。家庭的だが旨い。
そういえば、こいつが連れて来る居酒屋は、割といい店が多い。料理がうまくて接待が気持ちいい店だ。偶然ではなかったらしいと見直しつつ、俺はまたビールを口にした。
「で、どうだった。今日」
阿久津は予約のときに、つまみを何品か頼んでおいたらしい。出てきた枝豆をつまみながら聞いてきた。俺は苦笑を返す。
「秘書の山口さんにしか会えなかったよ。組合会長の奥さんなのかな?」
阿久津はああ、と頷いた。
「ずいぶんしょっぱい対応だな。うちみたいな大手企業と仕事できるなんて、中小ばっかりの組合にとっても悪くない話なのにさ」
「まあ、新しいことをするのは頭が固い経営者にとっては勇気がいるんじゃない?」
高橋さんが口を出す。俺は適当に相槌を打ちつつ聞いていた。
「阿久津が中心になって進めてるの?プロジェクト」
「俺たち三人な。今のプロモーションと広報は、他のメンバーが主にやってて、アキはそれぞれちょっとずつ携わってる。こっちは本社と違って部署も人も少ないから、本社が部単位でやってる内容を課が請け負ってる感じだ。アキは新人だし、支部スタートのメリットは広く浅く経験できることだから、経験してもらおうってとこだな」
阿久津は言った。分厚い唇に太い眉、釣り上がり気味の三白眼。堅めの髪は短めに切って前髪を立てているが、本社勤めのときはツーブロックに整えていた記憶がある。
「俺たちも、去年の8月から動き始めて、どうにかあれこれコネを作って会長に会えたのが10月。今まで3回会ったけど、そっから二ヶ月、硬直状態」
阿久津は言った。
「もう一つの、新しい方の組合ーー北九州織物組合は、多少話が分かるんだけどさ。そっちと話進めようと思っても、関係が悪くなると困るって、とりあえず福岡織物組合に話を通してくれって。一社だけと連携するには、会社の規模が小さすぎて生産量を確保できないし」
「過去の話は?なんか出た?」
「さあな、何かあったのかもしれねぇけど。調べてもわかんねぇし、相手にとって嫌な思い出なら、わざわざこっちから掘り返すのもバカバカしいだろ。とにかく向こうさんは、あんたたちとは仕事できない、する気にならない、北九州織物組合が引き受けるなら止めないが、今後良好な関係を保てるかどうかは分からん、と繰り返すだけだ」
「織物じゃなくて他の工芸品の案は?」
「出したよ、一応な。でも、本社から、布張り椅子を、って要望ーーっつか、実質、縛りだよな。そんなのがあって。にっちもさっちも行かず、年も明けたってわけ。2月末には来年の方向性を本社でプレゼンするだろ。それまでに会長にうんと言ってもらえないなら、多分本社が引き取るんだろうな、コラボレーション品の件は」
阿久津は言ってビールをあおり、苦々しい顔をした。
「やめようぜ、仕事の話は。せっかくの酒がまずくなる」
「そうだな。マーシーは、本社で何やってたの」
「プロモーションイベントの企画実施です」
「それで、何でこっちに寄越されたんだろうね。飛ばされたとか?」
高橋さんは何となく胡散臭い笑みで聞いてくる。どうもあまり好かれていないらしい、とは聞かずとも分かった。
「左遷するにも、時期も場所も悪いよ。女関係で何かあったとか?とにかく、かき回すのはやめてくれよ」
ようやく口を開いた桑原の台詞は、なかなかに辛辣だった。俺は苦笑しつつビールをあおる。斜め向かいに座った江原さんの表情が硬くなり、反論しようとしたのが分かって目で制する。
ーー言わせとけ。
だいたい、かき回すほど物事が進んでいるとは思えない。三人なりに頑張ったのだろうが、本職が営業ではないので相手に売り込む姿勢に欠けているようだ。心のどこかで、中小企業は当然大企業に従うものという自意識があるのだろう。
ーーどいつもこいつも、要らないプライドに縛られるもんだな。
橘を大学名や年収で切り捨てた男たち。小規模の経営者に教えを請えない阿久津たち。
阿久津はビールを飲み干すと、女将さんを手で呼びつつ言った。
「寒いから次焼酎行こうぜ。芋でいい?」
「悪い、俺、麦で頼む」
「私、黒糖行ってもいいですか」
「勝手にしろ。団体行動のできないやつらだな」
俺と江原さんに、阿久津が笑った。
予約していたのは座敷席の一つだった。四人席だがどうにか5人で座り、乾杯のビールを頼む。
カウンター席の一部を除き、店は満員だった。
「じゃ、マーシーの九州支部への赴任を歓迎して。かんぱーい!」
阿久津の号令に合わせて、俺、江原さん、二人の男性社員が生ビールのジョッキを掲げた。
二人の男性職員は、わずかに俺たちより年上のようだが、まだ30代だろう。痩せ型で眼鏡をかけているのが桑原、会社ではヨウジという名前からYZと呼ばれている。もう一人は高橋晋作。シン、というのが呼び名で、そこそこ多弁な男のようだ。
「親が幕末の志士が好きでね。今でも名乗る度にはずかしいんだけど」
高橋さんは中肉中背だが、年齢相応に腹が出てきている。
そういえば俺も最近ジムに行ってないな。こっちにいいところあるか探さないと。
隣に座る高橋さんの腹を見て思いながら、俺はビールを傾けた。苦い泡が喉を伝い落ちる。
「ごめんねぇ、席が狭くて」
お通しを持ってきてくれたのは、60手前の女性だった。ふくよかな体格と丸みのある頬、顔に刻まれた笑いじわは、多くの客を引き付けてきたのだろうという人懐こさを感じた。
「いえ、急に人数が増えたのはこっちの都合なんで」
俺が言うと、女性はくしゃりと人のいい笑顔を見せた。
「阿久津さん。ずいぶんかっこいい人と一緒やね」
「やだなぁ、女将さんもこういう顔好きなの?こいつ連れてると、いつも女性の関心を持ってかれてさ」
阿久津が大袈裟に肩を竦めると、女将さんは笑った。
「阿久津さんだって、十分男前じゃないの。やっぱり東京の人は違うのかねぇ」
女将さんは阿久津の肩を軽く叩きながら笑う。
俺はそれを聞きながら、お通しの白和えを口にする。家庭的だが旨い。
そういえば、こいつが連れて来る居酒屋は、割といい店が多い。料理がうまくて接待が気持ちいい店だ。偶然ではなかったらしいと見直しつつ、俺はまたビールを口にした。
「で、どうだった。今日」
阿久津は予約のときに、つまみを何品か頼んでおいたらしい。出てきた枝豆をつまみながら聞いてきた。俺は苦笑を返す。
「秘書の山口さんにしか会えなかったよ。組合会長の奥さんなのかな?」
阿久津はああ、と頷いた。
「ずいぶんしょっぱい対応だな。うちみたいな大手企業と仕事できるなんて、中小ばっかりの組合にとっても悪くない話なのにさ」
「まあ、新しいことをするのは頭が固い経営者にとっては勇気がいるんじゃない?」
高橋さんが口を出す。俺は適当に相槌を打ちつつ聞いていた。
「阿久津が中心になって進めてるの?プロジェクト」
「俺たち三人な。今のプロモーションと広報は、他のメンバーが主にやってて、アキはそれぞれちょっとずつ携わってる。こっちは本社と違って部署も人も少ないから、本社が部単位でやってる内容を課が請け負ってる感じだ。アキは新人だし、支部スタートのメリットは広く浅く経験できることだから、経験してもらおうってとこだな」
阿久津は言った。分厚い唇に太い眉、釣り上がり気味の三白眼。堅めの髪は短めに切って前髪を立てているが、本社勤めのときはツーブロックに整えていた記憶がある。
「俺たちも、去年の8月から動き始めて、どうにかあれこれコネを作って会長に会えたのが10月。今まで3回会ったけど、そっから二ヶ月、硬直状態」
阿久津は言った。
「もう一つの、新しい方の組合ーー北九州織物組合は、多少話が分かるんだけどさ。そっちと話進めようと思っても、関係が悪くなると困るって、とりあえず福岡織物組合に話を通してくれって。一社だけと連携するには、会社の規模が小さすぎて生産量を確保できないし」
「過去の話は?なんか出た?」
「さあな、何かあったのかもしれねぇけど。調べてもわかんねぇし、相手にとって嫌な思い出なら、わざわざこっちから掘り返すのもバカバカしいだろ。とにかく向こうさんは、あんたたちとは仕事できない、する気にならない、北九州織物組合が引き受けるなら止めないが、今後良好な関係を保てるかどうかは分からん、と繰り返すだけだ」
「織物じゃなくて他の工芸品の案は?」
「出したよ、一応な。でも、本社から、布張り椅子を、って要望ーーっつか、実質、縛りだよな。そんなのがあって。にっちもさっちも行かず、年も明けたってわけ。2月末には来年の方向性を本社でプレゼンするだろ。それまでに会長にうんと言ってもらえないなら、多分本社が引き取るんだろうな、コラボレーション品の件は」
阿久津は言ってビールをあおり、苦々しい顔をした。
「やめようぜ、仕事の話は。せっかくの酒がまずくなる」
「そうだな。マーシーは、本社で何やってたの」
「プロモーションイベントの企画実施です」
「それで、何でこっちに寄越されたんだろうね。飛ばされたとか?」
高橋さんは何となく胡散臭い笑みで聞いてくる。どうもあまり好かれていないらしい、とは聞かずとも分かった。
「左遷するにも、時期も場所も悪いよ。女関係で何かあったとか?とにかく、かき回すのはやめてくれよ」
ようやく口を開いた桑原の台詞は、なかなかに辛辣だった。俺は苦笑しつつビールをあおる。斜め向かいに座った江原さんの表情が硬くなり、反論しようとしたのが分かって目で制する。
ーー言わせとけ。
だいたい、かき回すほど物事が進んでいるとは思えない。三人なりに頑張ったのだろうが、本職が営業ではないので相手に売り込む姿勢に欠けているようだ。心のどこかで、中小企業は当然大企業に従うものという自意識があるのだろう。
ーーどいつもこいつも、要らないプライドに縛られるもんだな。
橘を大学名や年収で切り捨てた男たち。小規模の経営者に教えを請えない阿久津たち。
阿久津はビールを飲み干すと、女将さんを手で呼びつつ言った。
「寒いから次焼酎行こうぜ。芋でいい?」
「悪い、俺、麦で頼む」
「私、黒糖行ってもいいですか」
「勝手にしろ。団体行動のできないやつらだな」
俺と江原さんに、阿久津が笑った。
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