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第三章 アラサー女子よ、大志を抱け!

82 乾杯の機の作り方。

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 気の短い両親の催促に負けて、前田が私の実家を訪れたのは、年が明ける前だった。
「とりあえず、お付き合いしてます、ってだけでいいから」
 その日を来週に控え、私の家で夕飯を食べた後、私は両親の気性を謝りつつことわった。が、前田はさして気にしていないらしい。
「別に、いい加減な気持ちで付き合ってる訳じゃないから、いいよ」
 言い終えて、私の顎下に手を添えると、にやりと笑う。
「それに、大切なものももらっちゃったし」
 身体の関係がうまく行くようになってから、ときどきする意地悪な笑み。それを見る度に身体の奥が彼を求めて疼くのだけど、そんなことは決して口にすまい、と決めている。
 私が顔を赤くして俯くと、前田は笑って口づけた。
 もう。ーーもう。
「もう」
 彼のそれが離れた唇を尖らせて、私は言う。
「ーー好き」
 首に抱き着くと、やんわり受け止められた。
「俺もだよ」
 優しい声に、また身体の奥がじわりと反応する。
 好き。ーー大好き。

 そして、訪れた私の実家にて。
「これ、つまらないものですが」
 前田が差し出した手土産は、前田の実家近くで有名なお菓子屋さんのお菓子だった。ーーって言っても、店舗は湘南エリアに点在していて、お菓子好きはよく知っている。まあこの店なら間違いないよね、っていう、無難なお菓子といえる。
「まあまあ、ご丁寧にどうも」
 にこにこおっとり応じたのは母だ。父も笑顔で前田に席を勧める。
「いやー、息子たちがこの間一度帰って来てね。前田さんの話をして行ったもんだから、是非一度お会いしたくて。すみませんね、お忙しいところ時間割いてもらって」
「いえ、休日はゆっくりしてますから、大丈夫です」
 答える前田はガッチガチに緊張している。コミュ障だって自覚してるんだから仕方ないけど。
「前田さん、紅茶とコーヒー、どっちがいいかしら」
 母が問いかけると、
「ええと、お気遣いなく」
 言ってから、ふと私を見やった。
「ーー紅茶でお願いします」
「別に、いいんだよ。コーヒーでも」
「でも、りーー吉田さんは飲めないでしょ」
「里沙って呼んでいいんだよ」
 私の口まねをして、父が言った。前田が途端に真っ赤になる。
「す、すみません」
「いやいや。仲良きことは美しきかな」
 父の笑顔は満足げだ。
「お父さんってば」
 私が小さく睨みつけると、父はちょっとだけ肩をすくめて、そうだそうだと立ち上がる。
 前田が私に戸惑いの視線を投げているうちに、父が棚から例のものを持って戻ってきた。
 もちろん、拳大強の六面体。ーールービックキューブである。
「これ、頼んでもいいかなぁ」
「やだ、お父さん。私も見たい」
「ああ、うん、見せてもらおうよ」
 前田は差し出されたそれを受け取り、困惑した表情で私とそれを見比べる。
「ええと」
「あ、大丈夫大丈夫。これできなかったらうちの娘との付き合いを認めないとか、そういうこと全然言わないから。そういうの関係ないから気にしないで」
 顔の前で手をぱたぱたと振りながら父は言った。
「おじさんもさー、どうにかできないかって、ときどきまた試したりしてたんだよ。母さんにはもう捨てろって言われるけどさぁ、いつかちゃんと揃えられる日が来るかもしれないってーーほら、時間を置くと問題が解けたりするときあるじゃない。そういうのを期待して、棚にしまっておいたんだけど、もうそれも二十年になろうとしてるからさぁ。そろそろ諦め時かな、なんて思ってたんだよねぇ」
 前田は父の顔と手元の四角い塊を交互に見つめ、やんわりと嘆息した。
「じゃあ、失礼して」
 言って、前田は手にしたそれをぐるりと回して確認する。攻め方を考えているのだろう。
 弟たちと会ったときには、あれだけ頑なにやらないと言っていたのに、実際にそれを目にすると、やっぱり放っておくのも気になるのだろう。目の色が集中しているそれに変わっている。
 一心不乱に集中する前田の顔を見ているのは、嫌いじゃない。ーーいや、むしろ好きだ。すごく。
 特に、私の身体を感じているときなんかにそういう顔をされると、呼吸が止まりそうなほどの喜びを覚える。
 私は机に頬杖をついて、その横顔をぼんやり眺めた。六面体は彼の手中で忙しく色を変え、カシャカシャと音を立てる。
「速いなぁ。何してるか全然わかんない」
 父は感心した声を出した。
「本当ねぇ」
 母が紅茶を持ってきてくれて、各人の前へ並べる。前田の分の紅茶は私の前に置いてくれた。
 五、六分すると、前田が手を止めた。
「あと、もう少しで揃いますけど。やってみますか?」
 ちらり、と父を見て言う。私はつい浮かんだ微笑みを、紅茶のカップで隠した。
「え、でもどうやって?」
 父は言いながら、前田が差し出した六面体を受けとる。
「最初はこれをこっちに回しますーーあ、そこまでで。それで、次はこっちです。そう。あとは、ここをーーそう、そうしたら」
「おおっ!」
 父の声が喜びに弾んだ。
 前田のガイドが止んだ中で、カチャカチャと音が鳴る。
「すごーい」
 母が手を叩いた。
「二十年ぶりに合った!」
 父も大喜びだ。
「よかったですね」
 前田が言うと、何言ってるんだと父は笑った。
「君がやったんじゃないか」
「いや、でも、その」
「いやー、これはあれだ、紅茶じゃ物足りないぞ。お母さん、ビールあったかな」
 父の声かけに、母が笑ってハイハイと立ち上がる。
「あー!お父さんってば、もしかして最初からそのつもりで」
「いいだろ、娘の彼と飲むのが楽しみだったんだから。前田くん、ビールは大丈夫?」
 前田が口を開くより先に、私が首を振った。
「あんまり強くないから駄目!」
「そりゃよし……里沙さんに比べれば弱いかもしれないけど」
 前田がちょっとふて腐れて唇を尖らせる。そんな可愛い顔、今しなくてもいいの!断りなさいよ!
 ーーと思っているうちに、母が缶ビールを二本、コップを四つ持ってきた。
「って何で四つ!?」
「ええ?二人だけ飲ませる気なの?」
 母はおっとりと微笑んだ。
「それじゃつまんないじゃない。里沙も飲むでしょ?」
 当然のように言われて咄嗟に言い返せず、私は諦めて嘆息した。
「じゃ、かんぱーい!」
 父の音頭でビールの入ったグラスを合わせる私たちなのだった。
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