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第三章 アラサー女子よ、大志を抱け!

72 前田が主役になる瞬間。

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 ジェラートを受けとると、私は慎重に両手に持って前田のところへ向かった。その頃には前田の手中のルービックキューブはあと一息で、少年少女どころか、ジェラート屋さんに来ていた人たちがチラチラと気にして見ている。最近そんなのやってる人も見かけないし、実際に全面揃える人なんてさらに滅多にお目にかからないからね。当然だよね。と思いながら、ちょっとだけ微妙な気持ちになる。嬉しいような、寂しいようなーーヤキモチすら、感じる。ちょっとだけ、だけどね。
「お待たせ」
「うん」
「もうちょっとみたいだね」
「うん」
 私の声かけにほとんど反射のように頷きながら、前田はカシャカシャとルービックキューブを動かしている。ほとんどまばたきもせず手を止めもしないので、大体先が読めているのだろうか。私は自分の手元のジェラートと前田の手元のルービックキューブを見比べ、店の奥のテーブル席を見て、またルービックキューブへ目線を戻した。
「ーーあ、ごめん」
 前田は我に返った様子で手を止め、私に向き直った。
「アイス溶けちゃうね。先、食べようか」
 言ってルービックキューブを下げかけたとき、
「えーっ」
 周りで目を輝かせていた子どもたちが一斉にブーイングする。
 注目を浴びていたことに気づいていなかった前田は、目をまたたかせてうろたえた。
 私は思わず噴き出す。
「もう少しなんでしょ」
「うん、まあ」
「それなら、待ってるよ」
 私が言うと、前田はちょっと戸惑ってからまた六面体を玩び始めた。私の手の内にあるアイスは少しずつ溶けていたが、それよりも、集中する前田が見ていたかった。コーンじゃなくてカップにして正解だった、と自分のファインプレーを心中で褒める。
 前田の集中力と、目の奥の熱意たるやーー
 愛おしい、というのはこういうことか、と、思って自分で照れ臭くなる。
 前田は私のことを忘れたような風情で、一心に六面体を動かした。カシャカシャカシャカシャ、カシャン。くるくると回して、カシャカシャ、カシャン。
 ふぅ、と一息ついて、前田は私に微笑んだ。
「はい」
「え?」
「最後、教えてあげるからやってみなよ」
 私は両手のアイスを掲げた。
「これどうするの」
「俺持ってるから」
 言って、前田は私の両手からアイスを取り上げた。私にはとてもできないけれど、片手で二つとも持っている。身長の割に手がデカいーーいや、指が長いのか。そんなことを思いつつ、差し出されたルービックキューブをおずおずと受けとった。
「……もうちょっとなのは分かるけど、どうすればいいのかわかんないよ」
 私が言うと、
「分かってるよ。これ、こっちの向きに回して」
 指示を受けて、一つ、くるりと回す。
「で、これをこっち」
 また一つ、くるり。
「ーーあとは、分かるでしょ」
 言われて見ると、確かに最後の一段を回転させるだけになっていた。
 はー、と感心のあまりため息が出る。
「なんで、分かるの。ーーすごい」
 くるり、とまた回して、カシャリ、と音が鳴った。カラフルな面がすべて揃う。
 周りの少年少女が飛び跳ねる。そのお母さんらしい人も、ついでに近くにいたカップルも、笑ったり小さく拍手をしたりして、目を輝かせて私の手元の六面体を見ている。
「懐かしいなあ、それ。よく友達とやったよ。僕は全然ダメだったけど。君のカレシ、頭がいいんだね」
 声をかけてきたのは、私の両親と同じくらいの年頃の夫婦だった。ちょうど店を出るところだったらしい。
「コツを知ってるだけです」
 前田が困った顔で言う。
「得意な人はみんなそう言うね」
 夫婦は笑って、私に言った。
「優しくて誠実なカレシだね。大切にしなよ」
 旦那さんが言うと、
「あら、大切にしてもらうのよ、女は」
 奥さんが横から口を出した。
「これは失礼」
 旦那さんが剽軽に会釈すると、奥さんも笑って手を振る。私も笑って会釈を返した。
「素敵な夫婦だね」
「ええとーーそれより、吉田さん」
 慌てた声に振り向くと、ジェラートを両手に掲げた前田が、困った顔をしていた。
「アイス、溶けちゃってるから、早く食べよう。手に垂れてきた」
「うわ、ほんとだ。向こうのテーブル、空いてるよ。行こう行こう」
 私は言って、席を確保しに店の奥へ向かった。前田も後ろをついてくる。
 ーー吉田さんは主役級だけど、俺はモブキャラだ。
 いつだか、前田が言っていたのを思い出した。
 どこがよ、と私は思わず笑う。
 ーー立派に、主役じゃないの。
 正面に座る嬉しそうな私の顔を見て、前田は一度首を傾げた。が、ジェラートを楽しみにしているからだと一人合点したのだろう。机上の紙ナフキンを広げてカップをその上に置き、指についたジェラートを舐めとる。
 私はつい、その指に自分の手を伸ばした。
 前田がちょっとだけ驚いている隙に、まだわずかに指に残ったジェラートに口づける。
 前田は途端に真っ赤になって、吉田さん、と裏返りそうな声で言った。私は笑った。
「ずっと、こうしたかったんだもん」
 会社で、溶けたアイスを舐めとった姿を見た、その時から。
 自分では無意識だったから覚えていないのだろう。前田は真っ赤になったまま、何それ、と渋面を作って見せた。私は笑って、半分ほど溶けてしまったジェラートを、刺さっているスプーンで掬い上げた。
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