素直になれない眠り姫

松丹子

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第2章 王子様は低空飛行

08

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 曽根は黙って、私の話を聞いてくれた。
 言葉は拙く、何度も話は途切れたけれど、せかすこともなく、話し終わるのを待ってくれた。
 繋いだ手を離すこともなく。

「……それで、転職を?」
「うん」

 どうにか浮かんだ笑顔は、はにかんだようになった。
 曽根は私の顔を眩しそうに見て、前を向く。

「だから……ちょっと、そういう話……トラウマっていうか」

 既に、乗るべき電車を2、3本、見送ってしまっていた。
 話し疲れた私は、水を飲もうとペットボトルを膝に置く。曽根と握った手をほどこうとして、曽根が放してくれないことに気づいた。

「……曽根?」

 曽根は仏頂面のまま、電車のいない線路を見つめている。
 その唇が開きかけて、閉じた。

 ショック、だったかな。

 男に捨てられて。他の男を利用して悲しさを埋めようとして、うまくいかなくて別れて、仕事も失って。
 自暴自棄になって、誰とも分からない男に抱かれて。

「……ごめん、変な話」

 曽根が堅実な人生を歩んできたことは、なんとなく、察しがついた。
 不器用で、生真面目な男だから。
 私の生き方など、理解できないだろう。

 それなら、それでいい。合わせてもらう必要はなかった。他人に合わせて生きていくのがどれくらい辛いことなのか、充分知っている。
 私と曽根の選ぶ道が、重ならないのなら、それで仕方ない。

 たまらず、繋いだ手を握りなおした。曽根が思い出したように、むしろ力を緩めた。
 そのズレに、笑いそうになる。
 いつだって、私たちはそうなんだ。
 隣にいても、重ならない。同じになんてならない。
 だから、諦めていた。諦めなきゃいけないと、思っていた。
 それなのに。

「西野」

 名前を呼ばれて目を上げる。私をまっすぐ見つめる目は、ベッドの上でしか見たことがない、堅い意思のようなものを感じさせた。
 --その目が、好き。

 溢れそうな気持ちが唇からこぼれる前に、引き結ぶ。
 そして、口の端を引き上げた。

「ありがと、聞いてくれて。ちょっと……すっきりした」

 そろりと、繋いだ手を離す。今度はあっさりと、曽根の手が離れた。
 苦笑を浮かべながら、水のボトルを開ける。口に含む。飲み込む。
 冷たい水が喉の奥へ流れ込んでいく。
 少し、冷静になった方がいい。
 私も、曽根も。

「……西野」

 曽根が呼びかけるのを聞かないふりで、

「あ、電車来た」

 立ち上がって、振り向く。

「ごめんね、こんなとこまで来てもらって。あとこれに乗ればすぐだし。曽根、家向こうでしょ。明日、仕事? 気を付けて帰ってね。じゃあ、また」

 電車がホームに走り込んで来る。風が私の髪を、服を、撫でる。開きかけた曽根の口が、また閉じられた。

「連絡、待ってる」

 できるだけ自然に、笑ったつもりだった。
 曽根は唇を引き結んで、私を見送ってくれた。
 私は車窓から手を振って、曽根が見えなくなるまでそうしていた。
 曽根は私が見えなくなるまで、じっとそこに佇んでいたけれど、結局手を振ってくれることはなかった。
 駅のホームから抜け出た車窓は、電車の中の明かりで、自分の顔が写っていた。
 自宅に帰る、他人に無関心そうな乗客が、気ままにスマホを眺めている。
 私は手の中のペットボトルを見つめて、息を吐き出した。

 曽根は、連絡をくれるだろうか。
 何事もなかったかのように、また。

 それを望んでいる気もしたし、望んでいない気もした。
 ずっと私の手を握り締めてくれていた温もりが愛おしくて、でも、曽根と手をつなぐだなんて、これが最初で最後かもしれない。
 そっと、自分の手を撫でた。馬鹿みたいだ。本当に、私は。
 苦笑が浮かんで、同時に涙がこみ上げる。
 窓に写った自分の額に額を重ねて、目を閉じ息を吐き出した。
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