素直になれない眠り姫

松丹子

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第2章 王子様は低空飛行

06

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 曽根は黙って私についてきてくれた。電車を乗り換える必要があって降りた乗り換え駅のホームで手を放されたときには、慌ててその手を追いかけるように握った。
 困惑した顔にうながされるように視線を向けると、前には自販機がある。お茶を買おうとしていたのだと気づいて、そろそろと手を放した。
 曽根は私の顔を見てため息をつき、乱暴に私の手をつかみなおした。さきほど取り出そうとした財布の代わりにポケットからICカードが入った定期入れを出し、水のボタンを押してカードをかざす。ピ、と音がした後でゴトンとペットボトルが落ちた。曽根は私の手を握ったまま、水を取り出し、私の頬に当てる。

「冷たい」

 眉を寄せて肩を上げると、曽根が笑った。いつもの不敵な笑みじゃなくて、力が抜けた優しい笑顔に、またぎゅっと胸が締め付けられる。

「頭が冷えていいだろ。持っとけ」

 言われて受け取る。手の中を五百ミリの水がひんやりと冷やす。曽根は私の手を引いて歩き出す。家の最寄り駅なんて教えた記憶もないのに、曽根は迷わず路線を選んでいた。乗り換えの電車が駅のホームに入って来る。

「……何で、駅、知ってるの」

 落ち着いてきた私が問うと、ちらりと一瞥され、また前を向く。

「実家暮らしだっつってたろ。前」

 言ってた。けど、実家がどこにあるかなんて、再会してから一度も言ってない。

「高校んときと変わってないんだろ」

 私は困惑しながら、一歩前を歩く曽根の顔を見上げる。確かに当時と変わってない。だけど、私は曽根がどこから通っていたかなんて知らない。旧学区内だった、ということを知っているだけだ。自転車ではなかった。同じ路線に乗っていたかどうかも、知らない。
 不思議な顔をしている私を見下ろして、曽根はまた笑った。
 今日はずいぶん、よく笑う。いつもそうだといいのに。
 そう言いたいけど、軽口が口をついて出てこない。美晴ちゃんとの電話で、すっかり消耗してしまったらしい。表情が失われて、まるで人形みたいにぽてぽてと歩く。

「大丈夫かよ。そんなもぬけの殻みたいな状態、見たことねぇぞ」

 まるで私の代わりのように、曽根が軽口をたたく。私は笑おうとしたけど、うまくいかない。

「……ぷろ」
「あん?」
「プロポーズ、されたんだって」

 語尾がかさついて、喉を鳴らす。曽根が水を顎で示して、「飲めば」と言った。私はようやく曽根の手を放し、ペットボトルを開けて、飲む。
 電車のドアが開いて、人が降り、乗っていく。曽根は黙って突っ立っていた。私に早く飲めとせかすことも、乗るぞと声をかけることもしない。電車は飲み込むべき人を飲み込んで、ドアを閉め、行ってしまった。私はペットボトルから口を離す。

「座って待つか」

 曽根は一歩、空いたベンチへ向かいかけて振り向いた。ペットボトルの蓋を閉めた私の手を取り、目は合わせずにずかずか歩いて、どっかと腰掛ける。

「次、10分後」
「みたいだな」

 ホームの上につるされた時刻表を見て呟くと、呟きが返ってきた。隣に座った曽根の横顔を見る。無表情なまま、何も来る気配のない線路の向こうを黙って見つめる曽根の手は、私の手をしっかり握っている。
 ……ずっと握りたかった手だ。
 ようやくそう思い出して、そろりと手を広げてみる。曽根が一瞬震え、手を離しかけて私の意図に気づいて目を逸らす。指の間に自分の指を差し入れた、密着度の高い恋人つなぎ。私がそろりそろりとその形にして、遠慮がちに握ってみたら、曽根がぎゅっと力を込めて握り返してきた。
 それだけで、泣きそうになる。

「……そんで?」

 曽根はそっぽを向いたまま、私に問う。
 私は意図を探るように、その横顔を見つめる。

「……プロポーズされて、なんでお前に報告すんだ」

 曽根が毒を吐き出すように言って、私は「ああ」と吐息のようなあいづちを打つ。

「……なんで、だろう」
「空気読めねー奴だよな、昔から」
「……そう、だっけ」

 私はあいまいな言葉を返す。いろんな後輩がいたけど、みんな私なりに、可愛がっていたつもりだった。贔屓したり、されたりするのは、お互いに気分がよくないから、いつも誰にも、極力平等に。

「そうだよ。昔から、空気読まずにへらへらしやがってさ。お前がフラれたときも笑ってたじゃねーか、『愛里先輩可愛いから、もっと素敵な人と出会えますよ!』なんつってさ」

 いら立ったような曽根の声は、あんまり聞き覚えがない。いつも不愛想だと思っていたけれど、私に腹を立てているわけではなかったらしい、とその声音を聞いて初めて気づく。

「……そんなこと、言ってたっけ」
「言ってたよ。お前もへらへら笑ってたじゃねぇか。『そうかな、そうだといいなぁ』なんつってさ。白馬の王子様がどうのとか、なんとか笑い話にして」

 だって、フラれたときには笑い飛ばさないと辛かったのだ。ずっとずっと、想い続けてた人だったから。中学3年のときから、この人とって、思ってた人だから。思い出を力に変えて、最後まで部活をがんばろうって、あのときはそう思ってた。

「……違うの」

 私は慎重に言葉を選びながら口にした。

「小川先輩のこと……吹っ切れてない、とかじゃないの」

 彼とつき合ったことがある、なんて、曽根にも言うつもりはなかった。純にも言っていないのだ。憐れまれるのも、康広くんを悪役に仕立てるのも、私は望んでいない。
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