素直になれない眠り姫

松丹子

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第1章 眠り姫の今昔

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 曽根に指定されたのは、地元からやや都心寄りの住宅街だった。

「……ホテル、じゃないの?」
「わざわざ新宿まで出る気はない」

 駅まで迎えに来た曽根は淡々と答えて、行くぞ、と歩き出す。
 コートのポケットに手を突っ込んだまま。
 私はその後ろに従う。

 電車に乗った後、純から【大丈夫?】と気遣う連絡があった。大丈夫、ごめんねと返すと、【小川先輩に会えてよかったね】とウインクの絵つきで返ってくる。
 純は知らない。私と康広くんの関係を。
 知らない。
 曽根も。

 曽根のまっすぐな背中を見ながら、またこみ上げてきた涙をこらえて唇を引き結ぶ。電車の中で散々泣いた目は腫れているし、頬は涙の跡がついている。ちょっとしたお出かけのつもりだったから、今日はいつもみたいに化粧品を持ち歩いていない。小さなバッグに、財布とスマホ、口紅とおしろいくらいなものだ。
 曽根は淡々と歩いているように見えて、私の歩調を気遣ってくれている。これだけ泣き腫らした目を見れば、いくら鈍い彼でも泣いたと分かっているのだろう。何も言わないのが優しさなのか、面倒だからなのか、やっぱりいまだに分からない。
 ふ、と歩調を緩めると、曽根が戸惑ったように振り返った。その拍子にコートから手を出す。
 私は「なんでもない」と首を振って、歩き出す。曽根もまた歩き始めた。
 目の前に曽根の手が揺れている。この手に触れたい、のか、触れたくない、のか、自分でもよく分からない。触れて欲しい。それだけは、間違いなかった。触れて欲しい。曽根に。

 曽根の家は、駅から徒歩15分くらいのところにあった。アパートの1階。入ると、外に洗濯物が干してあるのが見える。ベッドと戸棚とノートパソコンくらいしかない味気ない部屋は、曽根の使っている香水の匂いがした。私の好きな匂いだ。そう思って、鼻から息を吸い、ゆっくり口から吐き出す。身体を全部、曽根で満たして欲しかった。

「どうすんの」

 平坦な声で、曽根が聞く。彼は淡々とコートを脱ぎ、壁に掛けた。私にもハンガーを渡されて、ロングコートを脱ぐ。スキニージーンズにロングブーツを合わせたコーデを見て、曽根が嫌そうに眉を寄せた。

「……自分で脱げねぇんだろ、それ」

 私が頼むよりも先に、曽根が私の前に跪く。ただしゃがみ込んだだけだけれど、そう見えるのだから仕方ない。私はなされるがまま、曽根の優しさに甘えて靴を脱がせてもらう。片足を脱いで部屋に上がり、もう片方の足も引き抜いた。反動でふらつき、曽根が支えてくれる。
 筋肉質な肩。
 マーチングで小太鼓を叩いていた腕は、しなやかな筋肉がついている。

 私は至近距離で曽根を見上げた。化粧がくずれてみっともないだろうけど、曽根は何も言わずに私を見つめ返している。
 無表情でも、その目は私に問うている。
 どうしたのか。
 私はその視線を見まいと目を閉じる。そっと、曽根の唇の端に唇を添える。
 身体を支えてくれているだけの曽根の腕を、背中に回させる。私も曽根の背中に手を回す。
 今度はきちんと、唇を重ねる、軽く重ね、離して、また重ねる。繰り返すうちに、段々深くなっていく。
 曽根の背中を撫でる。肩甲骨から背骨。肩。腕。服の下に隠れた筋肉の張りを感じる。じっと目を見つめると、一瞬、曽根の目が泳いだ。いつもはただ冷静に見つめ返してくるくせに。私が笑うと、むっとしたように眉を寄せ、頭の後ろを手でホールドされる。
 呼吸ができないほど深い口づけ。私の吐息も唾液も逃がすまいとするように、曽根が深く、私の口内をむさぼる。
 曽根のもう片方の手を、そっと両手で包む。曽根が一瞬、驚いたように目を開けた。私は唇を重ねながら、曽根の指を両手でなぞっていく。端から順番に。一本ずつ。撫でていく。
 彼の屹立を愛撫するように。

 曽根が不意に、喉を鳴らした。私の手を払い、腰を引き寄せる。
 求められている感覚に、身体が痺れた。

 もっと。ーーもっと。

 曽根で、いっぱいにして。

 もう、思い出したくない過去のことなんて、忘れさせてーー
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