2 / 114
第一章 織姫前線上昇中!(ヒメ視点)
02 彼との出会い その弐
しおりを挟む
だから、翌週再び彼を見かけたとき、運命以外の何物でもないと思った。
だって、あのとき声をかけそびれたーーいや、お礼を言いそびれたその人が、目の前にいたのだから。
しかしながら、その人はほとんど満員の通勤電車の中で、ドア横の手すりにもたれ、ビジネス書を広げている。
エッチな本とかじゃなくてよかった、なんてほっとしたのは内緒だけれど、集中しているようなので話しかけるのも申し訳ない。
でも、でもーーせめてどこで働いているのかくらい、聞いておかないと、もう次があるかどうかーー
私は椅子席の端から二番目の吊り革を持って立っていたので、声をかけられない距離ではない。
声をかけようと息を飲み込んで吐き出し、飲み込んで吐き出すことをしばらく繰り返した私が、よし、と気合いを入れ直したときーー
さわ、っと、スカートの中に何かが触れた。
ぞくっと身体がすくむ。
ーーもしかして、痴漢?
私は咄嗟に、触れられた方向を見た。ビジネス書を読むその人の斜め前あたりだ。
また触れられたらどうしよう。叫んだ方がいいんだろうか。でも勘違いかもしれない。そう思ってうつむいたとき、また何かが動く気配を感じた。
「ーーあの」
聞こえた声は、その人だ。とても愛想がいいとは言えない声音に、車内が一瞬ぴりりと緊張する。
「鞄、脚にぶつかってるんですけど。抱えてもらえませんか」
ああ、すみません、と声がして、一人の男がビジネスバッグを両手で抱えた。
それからーー痴漢の気配は途絶えた。
一度ならず二度までも救われた。
ちょっと私、嬉しすぎて泣きそう。
やっぱりちゃんとお礼を言わなくちゃ。
思いながらも、やっぱりいざ声を出そうとすると緊張してしまう。
動悸だけがどくどくとうるさく耳に響いた。
今日の運勢はどうだったっけ。朝のニュースの終わりにある占いでは、今日のラッキーカラーは青、遅刻に注意、って言ってた。
だから、青いカーディガンを羽織って出てきた私なのだけどーー
停車駅について、ドアが開いた。その人が降りてーーそれはドア脇に立っていたから一度降りたのかと思ったけれど、そうではないことに気づいて慌てる。
ちょ、ちょっと待って! ここ目的地!?
私の職場の最寄り駅から二駅離れている。
満員電車の車内で、一瞬のためらいは命取り。
私が戸惑っている間に、降車する人ではなく、乗車する人が動き出した。
ーーで、でも、これを逃したら!
私は小さい身体を精一杯ドアへ進めながら、降ります! と叫んだ。
どうにかこうにか、くしゃくしゃになりながらドア外まで進み出てーー
そして、ドアを閉めて走り去る電車を見送る横で、気づいたのだった。
もう、彼はとっくに行ってしまっていることに。
駅のホームに一人取り残され、放心状態になった私は、すぐに電車に乗る気も湧かず、遅刻直前で職場に駆け込むはめになった。
「おはよう。どうかしたの? 今日の運勢、イマイチだった?」
話しかけてくれるのはベテランのアラフィフ、小阪さんだ。子育てを一段落してここに勤めている。
「ハッピーがアンハッピーになりましたぁ」
私は答えて顔を手で覆う。
「シュークリーム買ってうきうきして帰ったらクリームが入ってなかった感じ」
小阪さんは苦笑して首を傾げる。
「よくわかんないけど、がっかりすることがあったのね」
私は顔を上げて拳を握った。
「わかんないですか?ええと、じゃあ、アイスティーだと思って砂糖とミルクを入れたら麦茶だった感じ」
小阪さんは嫌そうな顔をした。味を想像したらしく、口元を曲げる。
「それはちょっと……嫌ね」
何となく分かってもらったような気になって、私は満足げに頷いた。
ーーが。
小阪さんに気持ちを分かってもらったからとて、私がまた彼に会える確率が上がる訳でもない。
こうなったら、恋する乙女の底力、お見せしましょう諦めず!
諦めたらそこで試合終了だってどこかの偉い人も言ってたしね!
というわけで、その日のうちにそう決意を固めた私は、小阪さんに真剣な面持ちで頭を下げた。
「これからしばらく、私はギリギリの出勤になります。すみませんがよろしくお願いします!」
小阪さんは戸惑いながらも、あまりに真摯な私の眼差しに、了解してくれたのだった。
だって、あのとき声をかけそびれたーーいや、お礼を言いそびれたその人が、目の前にいたのだから。
しかしながら、その人はほとんど満員の通勤電車の中で、ドア横の手すりにもたれ、ビジネス書を広げている。
エッチな本とかじゃなくてよかった、なんてほっとしたのは内緒だけれど、集中しているようなので話しかけるのも申し訳ない。
でも、でもーーせめてどこで働いているのかくらい、聞いておかないと、もう次があるかどうかーー
私は椅子席の端から二番目の吊り革を持って立っていたので、声をかけられない距離ではない。
声をかけようと息を飲み込んで吐き出し、飲み込んで吐き出すことをしばらく繰り返した私が、よし、と気合いを入れ直したときーー
さわ、っと、スカートの中に何かが触れた。
ぞくっと身体がすくむ。
ーーもしかして、痴漢?
私は咄嗟に、触れられた方向を見た。ビジネス書を読むその人の斜め前あたりだ。
また触れられたらどうしよう。叫んだ方がいいんだろうか。でも勘違いかもしれない。そう思ってうつむいたとき、また何かが動く気配を感じた。
「ーーあの」
聞こえた声は、その人だ。とても愛想がいいとは言えない声音に、車内が一瞬ぴりりと緊張する。
「鞄、脚にぶつかってるんですけど。抱えてもらえませんか」
ああ、すみません、と声がして、一人の男がビジネスバッグを両手で抱えた。
それからーー痴漢の気配は途絶えた。
一度ならず二度までも救われた。
ちょっと私、嬉しすぎて泣きそう。
やっぱりちゃんとお礼を言わなくちゃ。
思いながらも、やっぱりいざ声を出そうとすると緊張してしまう。
動悸だけがどくどくとうるさく耳に響いた。
今日の運勢はどうだったっけ。朝のニュースの終わりにある占いでは、今日のラッキーカラーは青、遅刻に注意、って言ってた。
だから、青いカーディガンを羽織って出てきた私なのだけどーー
停車駅について、ドアが開いた。その人が降りてーーそれはドア脇に立っていたから一度降りたのかと思ったけれど、そうではないことに気づいて慌てる。
ちょ、ちょっと待って! ここ目的地!?
私の職場の最寄り駅から二駅離れている。
満員電車の車内で、一瞬のためらいは命取り。
私が戸惑っている間に、降車する人ではなく、乗車する人が動き出した。
ーーで、でも、これを逃したら!
私は小さい身体を精一杯ドアへ進めながら、降ります! と叫んだ。
どうにかこうにか、くしゃくしゃになりながらドア外まで進み出てーー
そして、ドアを閉めて走り去る電車を見送る横で、気づいたのだった。
もう、彼はとっくに行ってしまっていることに。
駅のホームに一人取り残され、放心状態になった私は、すぐに電車に乗る気も湧かず、遅刻直前で職場に駆け込むはめになった。
「おはよう。どうかしたの? 今日の運勢、イマイチだった?」
話しかけてくれるのはベテランのアラフィフ、小阪さんだ。子育てを一段落してここに勤めている。
「ハッピーがアンハッピーになりましたぁ」
私は答えて顔を手で覆う。
「シュークリーム買ってうきうきして帰ったらクリームが入ってなかった感じ」
小阪さんは苦笑して首を傾げる。
「よくわかんないけど、がっかりすることがあったのね」
私は顔を上げて拳を握った。
「わかんないですか?ええと、じゃあ、アイスティーだと思って砂糖とミルクを入れたら麦茶だった感じ」
小阪さんは嫌そうな顔をした。味を想像したらしく、口元を曲げる。
「それはちょっと……嫌ね」
何となく分かってもらったような気になって、私は満足げに頷いた。
ーーが。
小阪さんに気持ちを分かってもらったからとて、私がまた彼に会える確率が上がる訳でもない。
こうなったら、恋する乙女の底力、お見せしましょう諦めず!
諦めたらそこで試合終了だってどこかの偉い人も言ってたしね!
というわけで、その日のうちにそう決意を固めた私は、小阪さんに真剣な面持ちで頭を下げた。
「これからしばらく、私はギリギリの出勤になります。すみませんがよろしくお願いします!」
小阪さんは戸惑いながらも、あまりに真摯な私の眼差しに、了解してくれたのだった。
0
お気に入りに追加
120
あなたにおすすめの小説
ズボラ上司の甘い罠
松丹子
恋愛
小松春菜の上司、小野田は、無精髭に瓶底眼鏡、乱れた髪にゆるいネクタイ。
仕事はできる人なのに、あまりにももったいない!
かと思えば、イメチェンして来た課長はタイプど真ん中。
やばい。見惚れる。一体これで仕事になるのか?
上司の魅力から逃れようとしながら逃れきれず溺愛される、自分に自信のないフツーの女子の話。になる予定。
五月病の処方箋
松丹子
恋愛
狩野玲子29歳は五月が大嫌い。その理由を知った会社の後輩、石田椿希27歳に迫られて…
「玲子さん。五月病の特効薬、知ってます?」
キリッと系ツンデレOLとイケメン後輩のお話です。
少しでも、お楽しみいただけたら幸いです。
*Rシーンは予告なく入りますのでご注意ください。
神崎くんは残念なイケメン
松丹子
恋愛
インカレサークルで出会った神崎隼人くんは、文武両道容姿端麗なイケメン。
けど、なーんか残念なんだよね……って、え?そう思ってるの、私だけ?
なんで?だってほら、ちょっと変わってるじゃんーー
キリッと系女子と不器用な男子とその周辺のお話。
【現在ぼちぼち見直し作業中ですので、途中で改行ルール等が変わりますがご了承ください】
*明記はしていませんが、未成年の飲酒を示唆するシーンがちょいちょいあります。不快に思われる方はご遠慮ください。
*番外編 えみりんの子育て奮闘記、不定期更新予定。がんばるママさんを応援したい。
*「小説家になろう」様にも公開中。
関連作品(主役)
『モテ男とデキ女の奥手な恋』(隼人の兄、神崎政人)
『期待外れな吉田さん、自由人な前田くん』(サリー)
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
母になる、その途中で
ゆう
恋愛
『母になる、その途中で』
大学卒業を控えた21歳の如月あゆみは、かつての恩師・星宮すばると再会する。すばるがシングルファーザーで、二人の子ども(れん・りお)を育てていることを知ったあゆみは、家族としての役割に戸惑いながらも、次第に彼らとの絆を深めていく。しかし、子どもを愛せるのか、母親としての自分を受け入れられるのか、悩む日々が続く。
完璧な母親像に縛られることなく、ありのままの自分で家族と向き合うあゆみの成長と葛藤を描いた物語。家庭の温かさや絆、自己成長の大切さを通じて、家族の意味を見つけていく彼女の姿に共感すること間違いなしです。
不安と迷いを抱えながらも、自分を信じて前に進むあゆみの姿が描かれた、感動的で温かいストーリー。あなたもきっと、あゆみの成長に胸を打たれることでしょう。
【この物語の魅力】
成長する主人公が描く心温まる家族の物語
母親としての葛藤と自己矛盾を描いたリアルな感情
家族としての絆を深めながら進んでいく愛と挑戦
心温まるストーリーをぜひお楽しみください。
淫らな蜜に狂わされ
歌龍吟伶
恋愛
普段と変わらない日々は思わぬ形で終わりを迎える…突然の出会い、そして体も心も開かれた少女の人生録。
全体的に性的表現・性行為あり。
他所で知人限定公開していましたが、こちらに移しました。
全3話完結済みです。
子ども扱いしないでください! 幼女化しちゃった完璧淑女は、騎士団長に甘やかされる
佐崎咲
恋愛
旧題:完璧すぎる君は一人でも生きていけると婚約破棄されたけど、騎士団長が即日プロポーズに来た上に甘やかしてきます
「君は完璧だ。一人でも生きていける。でも、彼女には私が必要なんだ」
なんだか聞いたことのある台詞だけれど、まさか現実で、しかも貴族社会に生きる人間からそれを聞くことになるとは思ってもいなかった。
彼の言う通り、私ロゼ=リンゼンハイムは『完璧な淑女』などと称されているけれど、それは努力のたまものであって、本質ではない。
私は幼い時に我儘な姉に追い出され、開き直って自然溢れる領地でそれはもうのびのびと、野を駆け山を駆け回っていたのだから。
それが、今度は跡継ぎ教育に嫌気がさした姉が自称病弱設定を作り出し、代わりに私がこの家を継ぐことになったから、王都に移って血反吐を吐くような努力を重ねたのだ。
そして今度は腐れ縁ともいうべき幼馴染みの友人に婚約者を横取りされたわけだけれど、それはまあ別にどうぞ差し上げますよというところなのだが。
ただ。
婚約破棄を告げられたばかりの私をその日訪ねた人が、もう一人いた。
切れ長の紺色の瞳に、長い金髪を一つに束ね、男女問わず目をひく美しい彼は、『微笑みの貴公子』と呼ばれる第二騎士団長のユアン=クラディス様。
彼はいつもとは違う、改まった口調で言った。
「どうか、私と結婚してください」
「お返事は急ぎません。先程リンゼンハイム伯爵には手紙を出させていただきました。許可が得られましたらまた改めさせていただきますが、まずはロゼ嬢に私の気持ちを知っておいていただきたかったのです」
私の戸惑いたるや、婚約破棄を告げられた時の比ではなかった。
彼のことはよく知っている。
彼もまた、私のことをよく知っている。
でも彼は『それ』が私だとは知らない。
まったくの別人に見えているはずなのだから。
なのに、何故私にプロポーズを?
しかもやたらと甘やかそうとしてくるんですけど。
どういうこと?
============
番外編は思いついたら追加していく予定です。
<レジーナ公式サイト番外編>
「番外編 相変わらずな日常」
レジーナ公式サイトにてアンケートに答えていただくと、書き下ろしweb番外編をお読みいただけます。
いつも攻め込まれてばかりのロゼが居眠り中のユアンを見つけ、この機会に……という話です。
※転載・複写はお断りいたします。
小さなことから〜露出〜えみ〜
サイコロ
恋愛
私の露出…
毎日更新していこうと思います
よろしくおねがいします
感想等お待ちしております
取り入れて欲しい内容なども
書いてくださいね
よりみなさんにお近く
考えやすく
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる