上 下
89 / 114
第十一章 織姫は彦星にどうしても抱かれたい(ヒメ視点)

08 迷子の少年

しおりを挟む
 それからまた車に乗って、房総半島にある牧場へと向かった。
 車中ではいつもと代わりない会話を交わしていたけど、ときどき光彦さんが気遣うように私を見やるのが分かった。
 私は光彦さんが傷ついたのではないかと思っているのに、光彦さんは私が傷ついたと思っているのだろうか。
 私がいつも通りになれば、光彦さんはもう、気にならないのだろうか。
 それなら忘れよう、と思った。平均よりも年齢に差があるのは確かだ。ただでさえ私は童顔で幼く見られがちな上、一回り以上年齢が離れているのだから、好奇の目で見られることは今後もあるかもしれない。
 私は自分に頷きかけて、息を一つ吐き出した。光彦さんがちらりと私を見てくる。
 私はいつも通りの笑顔を返した。
「楽しみですね、牧場。ふれあい広場とか行きましょうね。モルモットとか、いるかなぁ」
「ガキか」
 光彦さんはそう言って笑った。その横顔がほっとしているように見えて、私も少し、ほっとした。

 光彦さんには予想できていたんだろうか。
 私の隣にいたら、どういう風に思われるのか。
 まだ二人で出かけるようになる前から。
 予想できていたから、避けていたのかもしれない。
 一方の私は自分の望むままに動いて、強引に光彦さんに近づいて、隣にいられれば勝手に喜んで……光彦さんの配慮にも気づかず、自分の願望にひたすら忠実だった。
 傷つけたくない。
 私と一緒にいて、光彦さんは本当に心から笑っていられるんだろうか。

 ***

 もやもやした思いを抱えていた私だったけれど、牧場につくと知らぬ間に忘れてしまった。
 牛の乳搾り体験や子豚のレース、小動物との触れ合いと、次々違う動物の駆け寄っていく私にあきれながら、光彦さんは文句を言わず付き添ってくれた。
「はぁー、満喫したぁ」
 そろそろ夕方に差し掛かる頃、私の漏らした満足げな声音に、光彦さんが笑った。
「じゃ、ぼちぼちホテルへ向かうか」
「あ、は、はいっ」
 ホテル、という言葉に過剰に反応する私を見て、また光彦さんは笑う。
「お前の目的はそれだったんだろ?」
「はいっ、え、いや、そのっ」
 動揺して真っ赤になる私の手を、光彦さんが笑いながら握る。
 大きな手の温もりが、じわりと胸を温めた。
 駐車場に向かっていると、子どもが一人泣いていた。
「迷子かな」
「かもな」
 私と光彦さんは視線を交わして、子どもに近づく。
 小学生になったばかりくらいの男の子だった。
「どうしたの? お母さんたちとはぐれちゃった?」
 男の子はこくりと頷き、鼻をすする。
 私はティッシュを取りだして、数枚渡した。
「インフォメーションに連れて行くか?」
 そうは言っても、園内は広い。そこまで行っている間に親がここに戻って来る可能性もあった。
「どこではぐれたの?」
「わかんない」
「え?」
「お母さん、トイレ行くって言って、僕外で待ってたんだけど、つまんないから歩いてて、そしたらトイレがなくなっちゃった」
 光彦さんが絶句したかと思えば、
「子どもってすげぇな……」
 何やらおかしな感心をしている。
「澤田、パンフレットあるか?」
「え、あ、はい」
 園内案内図を渡すと、光彦さんは地図を見た。
「うーん。この辺りはちょうど真ん中みたいだな。近いトイレは二カ所だ」
 諦めたように案内図をひっくり返したと思えば、スマホを取り出した。
「どうするんですか?」
「電話。おい、ボウズ。自分の名前言えるか?」
 光彦さんの三白眼を向けられて、少年は怯んだ。私は慌ててフォローする。
「お名前は、何て言うの?」
「アサバ、ユウキ」
「アサバユウキ、だな」
 光彦さんはつぶやいて、電話をかける。
「今、園内で迷子を見つけて……ええ。アサバユウキ君だそうです。黄色いスポーツキャップに、黄色いリュックを持ってます。歳は……」
「ユウキくん、何歳?」
 光彦さんの視線が向く前に、私は慌ててユウキくんに話しかける。七歳、と答えが返って来て、光彦さんが電話で伝える。
 しばらくしてから、光彦さんは電話を切った。
「行くぞ」
「どこに?」
「インフォメーションまでは遠いから、とりあえず近くのレストランに連れていくことにした。少ししたら全園放送が流れるだろ」
 私とユウキ君は顔を見合わせ、歩き出した光彦さんについていく。差し出した私の手をしっかり握る小さな手に、母性のようなものが湧いた。
 歩いていると、全園にアナウンスが流れた。ユウキ君はそれを不安そうな顔で聞いている。
「お母さん、来てくれるかなぁ」
「大丈夫、来てくれるよ」
 私は微笑んだ。子どもの目から見ると、この園内は一つの国のように広く感じるだろう。
 守ってくれる人が側を離れた不安に、また目が潤んでいる。
「ユウキ君、レストランでアイス食べようか。お姉さんアイス好きなんだぁ」
 ユウキ君はうろたえて目をさ迷わせた。
「……知らない人から、食べ物もらったら、いけないって」
 前を歩いていた光彦さんが噴き出す。肩を震わせて笑いながら、「立派な教育を受けてるもんだ」とまた皮肉とも感心ともつかない言葉を呟いた。

 レストランは、もう終わり間際で人も少ない。店員にはインフォメーションカウンターから連絡が行っていたらしい。ユウキ君を引き渡すと、ありがとうございました、と店員から頭を下げられる。
 光彦さんは私をちらりと見て、苦笑を浮かべた。
「すみません、親が来るまで寄り添っていても? 気になるので」
 私の言葉を代弁してくれたのだと気づき、じわりと胸が温かくなる。ユウキ君もほっとしたような顔をした。
しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

ズボラ上司の甘い罠

松丹子
恋愛
小松春菜の上司、小野田は、無精髭に瓶底眼鏡、乱れた髪にゆるいネクタイ。 仕事はできる人なのに、あまりにももったいない! かと思えば、イメチェンして来た課長はタイプど真ん中。 やばい。見惚れる。一体これで仕事になるのか? 上司の魅力から逃れようとしながら逃れきれず溺愛される、自分に自信のないフツーの女子の話。になる予定。

五月病の処方箋

松丹子
恋愛
狩野玲子29歳は五月が大嫌い。その理由を知った会社の後輩、石田椿希27歳に迫られて… 「玲子さん。五月病の特効薬、知ってます?」 キリッと系ツンデレOLとイケメン後輩のお話です。 少しでも、お楽しみいただけたら幸いです。 *Rシーンは予告なく入りますのでご注意ください。

神崎くんは残念なイケメン

松丹子
恋愛
インカレサークルで出会った神崎隼人くんは、文武両道容姿端麗なイケメン。 けど、なーんか残念なんだよね……って、え?そう思ってるの、私だけ? なんで?だってほら、ちょっと変わってるじゃんーー キリッと系女子と不器用な男子とその周辺のお話。 【現在ぼちぼち見直し作業中ですので、途中で改行ルール等が変わりますがご了承ください】 *明記はしていませんが、未成年の飲酒を示唆するシーンがちょいちょいあります。不快に思われる方はご遠慮ください。 *番外編 えみりんの子育て奮闘記、不定期更新予定。がんばるママさんを応援したい。 *「小説家になろう」様にも公開中。 関連作品(主役) 『モテ男とデキ女の奥手な恋』(隼人の兄、神崎政人) 『期待外れな吉田さん、自由人な前田くん』(サリー)

Emerald

藍沢咲良
恋愛
教師という仕事に嫌気が差した結城美咲(ゆうき みさき)は、叔母の住む自然豊かな郊外で時々アルバイトをして生活していた。 叔母の勧めで再び教員業に戻ってみようと人材バンクに登録すると、すぐに話が来る。 自分にとっては完全に新しい場所。 しかし仕事は一度投げ出した教員業。嫌だと言っても他に出来る仕事は無い。 仕方無しに仕事復帰をする美咲。仕事帰りにカフェに寄るとそこには…。 〜main cast〜 結城美咲(Yuki Misaki) 黒瀬 悠(Kurose Haruka) ※作中の地名、団体名は架空のものです。 ※この作品はエブリスタ、小説家になろうでも連載されています。 ※素敵な表紙をポリン先生に描いて頂きました。 ポリン先生の作品はこちら↓ https://manga.line.me/indies/product/detail?id=8911 https://www.comico.jp/challenge/comic/33031

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

母になる、その途中で

ゆう
恋愛
『母になる、その途中で』 大学卒業を控えた21歳の如月あゆみは、かつての恩師・星宮すばると再会する。すばるがシングルファーザーで、二人の子ども(れん・りお)を育てていることを知ったあゆみは、家族としての役割に戸惑いながらも、次第に彼らとの絆を深めていく。しかし、子どもを愛せるのか、母親としての自分を受け入れられるのか、悩む日々が続く。 完璧な母親像に縛られることなく、ありのままの自分で家族と向き合うあゆみの成長と葛藤を描いた物語。家庭の温かさや絆、自己成長の大切さを通じて、家族の意味を見つけていく彼女の姿に共感すること間違いなしです。 不安と迷いを抱えながらも、自分を信じて前に進むあゆみの姿が描かれた、感動的で温かいストーリー。あなたもきっと、あゆみの成長に胸を打たれることでしょう。 【この物語の魅力】 成長する主人公が描く心温まる家族の物語 母親としての葛藤と自己矛盾を描いたリアルな感情 家族としての絆を深めながら進んでいく愛と挑戦 心温まるストーリーをぜひお楽しみください。

淫らな蜜に狂わされ

歌龍吟伶
恋愛
普段と変わらない日々は思わぬ形で終わりを迎える…突然の出会い、そして体も心も開かれた少女の人生録。 全体的に性的表現・性行為あり。 他所で知人限定公開していましたが、こちらに移しました。 全3話完結済みです。

子ども扱いしないでください! 幼女化しちゃった完璧淑女は、騎士団長に甘やかされる

佐崎咲
恋愛
旧題:完璧すぎる君は一人でも生きていけると婚約破棄されたけど、騎士団長が即日プロポーズに来た上に甘やかしてきます 「君は完璧だ。一人でも生きていける。でも、彼女には私が必要なんだ」 なんだか聞いたことのある台詞だけれど、まさか現実で、しかも貴族社会に生きる人間からそれを聞くことになるとは思ってもいなかった。 彼の言う通り、私ロゼ=リンゼンハイムは『完璧な淑女』などと称されているけれど、それは努力のたまものであって、本質ではない。 私は幼い時に我儘な姉に追い出され、開き直って自然溢れる領地でそれはもうのびのびと、野を駆け山を駆け回っていたのだから。 それが、今度は跡継ぎ教育に嫌気がさした姉が自称病弱設定を作り出し、代わりに私がこの家を継ぐことになったから、王都に移って血反吐を吐くような努力を重ねたのだ。 そして今度は腐れ縁ともいうべき幼馴染みの友人に婚約者を横取りされたわけだけれど、それはまあ別にどうぞ差し上げますよというところなのだが。 ただ。 婚約破棄を告げられたばかりの私をその日訪ねた人が、もう一人いた。 切れ長の紺色の瞳に、長い金髪を一つに束ね、男女問わず目をひく美しい彼は、『微笑みの貴公子』と呼ばれる第二騎士団長のユアン=クラディス様。 彼はいつもとは違う、改まった口調で言った。 「どうか、私と結婚してください」 「お返事は急ぎません。先程リンゼンハイム伯爵には手紙を出させていただきました。許可が得られましたらまた改めさせていただきますが、まずはロゼ嬢に私の気持ちを知っておいていただきたかったのです」 私の戸惑いたるや、婚約破棄を告げられた時の比ではなかった。 彼のことはよく知っている。 彼もまた、私のことをよく知っている。 でも彼は『それ』が私だとは知らない。 まったくの別人に見えているはずなのだから。 なのに、何故私にプロポーズを? しかもやたらと甘やかそうとしてくるんですけど。 どういうこと? ============ 番外編は思いついたら追加していく予定です。 <レジーナ公式サイト番外編> 「番外編 相変わらずな日常」 レジーナ公式サイトにてアンケートに答えていただくと、書き下ろしweb番外編をお読みいただけます。 いつも攻め込まれてばかりのロゼが居眠り中のユアンを見つけ、この機会に……という話です。   ※転載・複写はお断りいたします。

処理中です...