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第十章 つぶらな瞳にとらわれて(阿久津視点)

08 クリスマスイヴ その四

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 とりあえず、俺が渡したもので澤田が笑ってくれたことにほっとした。
 何もしてやれない自分に嫌気がさしそうだったから。
 澤田の言葉を思い出す。
 笑っててほしいーー
 それが、愛してる、か。
 湯舟に浸かりながら、苦笑する。
 俺はまだ誰にも、その言葉を使ったことはない。
 軽く使うには、あまりに重さを感じる言葉だ。口にする方にも、される方にも。
 そう思うのに、澤田に言われたその言葉に、嫌な重さは感じなかった。
 ため息をつきながら、湯舟に首まで沈み込む。
 温かい湯が身体中を温めていく。
 久々に湯を張ったのでしっかりくつろいでしまった俺は、いつもよりずいぶん長湯になってしまった。
 身体を拭き部屋着になってダイニングへ向かうと、ソファの上に座っていた澤田は、今やソファに横たわり、ぬいぐるみを抱えたまますやすやと眠っている。
 俺は時計を見て、もう十二時を過ぎていると気づき、苦笑した。
 部屋からふとんを持ってくると、その身体の上にかける。
 ソファに無造作に広がったやわ毛と、閉じられた目。
 少しだけ隙間があいた口元が、そのあどけなさをますます引き立てていた。
 俺はその場に膝を折ると手を伸ばし、額から髪を撫でる。
 それから、額に唇を寄せた。
 しわのない肌に若さを感じる。
 しっかりとぬいぐるみを抱きしめたままの手の甲に自分の手を重ねた。
 小さな手はまるで子どものようだ。
 俺は静かに息を吐き出した。起こさないようにその頬を指先で撫でてから、立ち上がる。
 テレビを切ると、部屋が急に静かになった。
 澤田は身じろぎもせず眠っている。
 明日が休みだと聞いていてよかった。そうでなければ起こそうとしたかもしれない。
 終電はないかもしれないが、タクシー代を出してやったろう。
 澤田の寝顔をもう一度見て、テーブルに置いたままのカップを流しに持っていく。
 身支度を整えてから、俺だけベッドに行こうかと思ったが、そのままソファで寝せておいて大丈夫か心配になった。
 こいつのことだ、ソファから落ちないとも限らない。
 そして俺自身、ソファで眠ったときには、寝返りが打ちにくいので起きたときに身体が痛んだことを思い出す。
 俺はため息をつくと、寝室へつながる部屋のドアを開けた。
 ベッド上の寝具をはいで準備をし、ソファに眠る澤田とぬいぐるみをふとんごと抱き上げる。
 うっわ。軽っ。
 ぬいぐるみでだいぶ嵩張っているが、身構えたほどの重みがなくて驚く。
 いや、軽いっつってもきついけど。若いときならいざ知らず。
 でも、50キロなさそうだな、と思いつつ、ベッドに澤田を横たえた。
 くるんだふとんの隙間から、リスのぬいぐるみが俺をじぃっと見つめ返して来る。
 眠ってしまった澤田の代わりをつとめるように。
 そう見えて、俺は思わず笑った。
 ベッドはシングルだが、幅が広めのものだ。この部屋を使うようになってから購入したので、家具の中では日が浅い。
 澤田はベッドの上に横たえても、すやすやと眠っている。その寝顔があまりに無防備で、つい微笑んでしまう。
 本人が目を開けているときには滅多に浮かべられない微笑みだと自覚しつつ、俺はまたソファで眠ろうと、ベッドから下りようとした。
 が、澤田の手に袖を捕まれていることに気づく。
 いつの間に、と思いつつ、少し引っ張ってみたが、ますます強く捕まれた。一本一本指を引きはがそうと手を添えたとき、澤田が身じろぎして、掴むものを袖から俺の手へと変える。
 ますます離れられなくなって、俺は肩を落とした。
 久しぶりに隣に横たわる温もりを、無視して眠れるとも思えない。
 澤田からはいつか嗅ぎ取ったフローラル系の香りがする。
 人の気も知らないで。
 ちっと舌打ちする。
 が、それも無意味だと気づいた。
 抱かない、と決めているのは俺の方なわけで、こいつの方はむしろそのときを心待ちにしているのだ。
 そうなると、無意味な抵抗も馬鹿馬鹿しい。
 同意していないと騒ぎ立てる女でもないだろう。
 なるようになれ、と、俺は澤田の手をこちらから繋ぎ直し、隣に横たわった。

 すやすやと眠る澤田の寝息と、身じろぎするたびに鼻腔に届く花の香りに、俺は結局あまり眠れないまま、夜を明かすはめになった。

(第十章完  次章ヒメ視点です)
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