爆走織姫はやさぐれ彦星と結ばれたい！

第七章 織り姫危機一髪。（ヒメ／阿久津交互）

18 思いやりと思い出

　殴られた腹部の痛みは、土曜よりも日曜の方が楽になった。ホッとしながら、何をして過ごそうかと考える。
　腹が減ったから朝食をと台所に向かってみたが、何の在庫もないと思い当たる。一人暮らしは長いが自炊はほとんどしない。とにかく何か食べに出ようと家を出て、駅前にあるチェーンのカフェに向かった。
　家から駅までは歩いて行ける距離にある。
　物件を選ぶとき、会社のある路線沿線、徒歩十分以内で比較的新しいものをと選んだ。すると家賃がなかなかの値段になって、部屋の広さを諦めた。
　最初は１Kに住んでいたが、四年前九州転勤から帰ってくるとき１DKに住み替え、バストイレ別の部屋にした。元々は遊びにかけていた金だが、この年になると遊びに行くにしても同伴者はなかなかつかまらない。そもそも体力と気力の問題で遊ぶ気にもなれない。
　だったら寛げる家に金をかけようと思ったわけだが、そこにもまた自分の年齢を感じて苦笑する。
　コーヒーとサンドイッチを口に運びながら、澤田と食べた朝食を思い出す。
　あいつは何となく緊張していて、俺はあくまで気にしないふりで食事を進めた。
　早食いの俺から見ると食べるのがすげぇ遅くてあきれたが、澤田らしくも感じた。一口一口、丁寧に口に運び味わう姿が、まさに小動物的だった。
　サンドイッチを食べ終えてコーヒーを口にしながら、スマホをタップした。
　気づかなかったがメッセージの着信がある。橘からだ。
【ヒメちゃん、普通に元気みたいよ？　一体何なの？】
　それを見て、ほっと息をつく。そんな自分に苦笑した。
【何でもない。それが分かればいいから。サンキュ】
　返して、コーヒーカップを傾け、もう入っていないと気づいた。
　そういえばあの朝食も、俺は早々に全て胃におさめてしまい、空のカップを持ったままコーヒーを口に運ぶふりをしていた。
　女と二人で出かけて気遣うのは癖みたいなもんだ。今までは自分が落とそうと思った女としか、二人で出かけたことはなかった。自然、その振る舞いが出てしまうのだろう。ただそれだけのこと。
　まあどうせ、あの鈍い女のことだ。気づきもしないだろう。
　俺はコーヒーカップを置いて、トレーを返却棚に運んだ。外に出ても、真夏ほどの暑さはない。朝の日差しはだいぶ弱まり、晴れた日中以外はクーラーも必要なくなってきた。夏も終わりだ。
　秋が来て、冬が来たら、もう一年も終わりか。
　昔母がぼやいていた、「あっという間に正月が」という言葉に、今なら共感できる。そう思ってまた苦笑する。
　家に向かって歩いていたら、散歩中の犬がしっぽを振りながら俺に飛び掛かろうとした。飼い主が慌ててリードを引っ張り、なだめようとしている。その小型犬はそれでも諦めず、俺を見上げて目を輝かせている。
　その目が誰かに似て見えて俺はしゃがみ込み、その顎をさすってやった。犬はピンク色の舌を出し、はち切れんばかりにしっぽを振って喜びを表現し、俺の手を舐める。
　飼い主が恐縮して俺に頭を下げた。俺は笑ってひらりと手を振り、立ち上がって歩き出す。
　明日は月曜日。
　あいつは、来るだろうか。
　もしも、駅にあいつがいなかったなら、俺はあいつの連絡先を消そう。
　じゃれて俺の手を舐めた犬の舌の感触を思い出しながら、俺は静かに息を吐き出した。