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第四章 曇天をさらう暴風雨 (ヒメ/阿久津交互)

08 既視感

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 俺はほとんど無言で食事をとった。澤田もときどき料理の感想を口にする以外、俺の顔をちらりちらりと見るだけで食事を進める。
 どうやったら諦めるんだろう、こいつ。
 幼い顔をぼんやり眺めながら、二杯目のビールを傾ける。
 そもそも、こいつは俺の何を知っているというのだろう。
 澤田は、俺に助けられた、と言っていた。
 いつ? どこで?
 俺にはコンビニでの一件以外、その自覚はない。というかコンビニの件も助けたつもりはない。
 つまり、助けられたと思っているのは澤田だけなのだが、だからといって俺への評価が変わるものではないらしいとは、既に先日分かっている。
 こちらの意図せぬヒーロー扱いは、正直居心地が悪い。
「……最初は、駅のコンコースで」
 不意に、澤田が話し始めた。
「七夕飾り眺めてたら、外人さんに声かけられて……」
 ちらりと俺の顔を見上げ、照れ臭そうにはにかむ。
「私、英語全然分からないんで。阿久津さんがスラスラ説明してたの、かっこよくて、見とれちゃって……声かけそびれて」
 俺は目を反らした。そういやそんなこともあったかもしれない。が、そこにこの女がいた記憶は無い。
「あのとき、ちゃんと声かけられてたら、頭おかしい女みたいに思われずに済んだのに。私ってば何でぼうっとしてたんだろう」
 俺は場を紛らわせるように、またビールを口にした。苦い痺れが口中に広がる。成人した頃には美味しさの分からなかったこの飲み物を、美味いと思うようになったのはいつだっただろう。
 これが大人になったということなのだろうか。
 大人になる。社会でうまくやっていく。
 その代わりに、投げ捨ててきた自分の夢。憧れ。理想。
 持っていても辛いだけだと気づいたそれらの中に、あったのは確かだ。
 親切な人でありたい。困った人を助けられるような、世界を救うヒーローに。大切な誰かのために自分を賭す男に。
 そういう、夢。
 でも俺は、それらを持っていられなかった。固持することで、いつか誰かにぐちゃぐちゃに踏みにじられるのを見たくなかったからだ。早々に投げ捨てて、子どもの幻想だと笑った。
 一方で、俺の理想を無自覚に体言する男が現れると、強烈に憧れた。嫉んだ。悔しさも感じた。
 俺は、大人になったつもりだ。
 でも今、まっすぐに俺を見る澤田の前で、自分に問い掛けている。
 本当に、夢や理想を投げ捨てることが、大人になるということなのか?
 マーシー、神崎政人。憧れる男の笑顔が、瞼の裏に浮かぶ。
 俺が欲しかったものを全て手にし、それでも俺はあいつを憎めない。
 憎めればいいのに。憎めば少しは楽になれるのに。そうすれば、きっと、次に進めるのに。
 いっそ、悪役ヒールになれれば。
「頭おかしいと思われてもいいです。私は阿久津さんをもっと知りたいし、私のことももっと知ってもらいたい。……迷惑じゃなければ、ですけど」
 さっきと同じことを、また女は口にする。
 迷惑だ。そう言ってしまえばいい。言い切ってしまえば、こいつは俺の前に二度と現れないだろう。
 口を開きかけ、閉じる。
 なぜ、言えない。
 お前の想いは押し付けがましくて迷惑だと。
 言ってしまえばいいのに。
 言えないのは、知っているからだ。
 過去、自分が抱いた想いと似ていると、知っているからだ。
「ちっ」
 俺は舌打ちを一つして、苦い思いをビールで流し込んだ。
 炭酸に舌先の痺れを感じたものの、あまり味を感じなかった。
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