艶色談話

松丹子

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第三夜 帰宅途中ひったくりに襲われた結果。

01

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 もうあと数日で、二十代最後の誕生日。
 産休に入ってしまった後輩の代わりに休日出勤した私は、肩凝りを感じつつ家で一人缶ビールを開けた。

「はー。27で出産かー」

 羨ましいなぁと口にしかけた言葉は、自分のために飲み込んだ。
 口にしてしまえばさらに虚しくなるだけだ。
 ビールをすすっていると、ぴんぽーん、と人の来訪を知らせる音がした。玄関口に行くと、宅配業者だ。

「おつかれさまでーす」

 胸に抱えられる程度の大きさの荷物を受け取り、首を傾げる。
 発送者はネット業者のようだった。
 何も頼んだ記憶はないのだが、一体何だろう。
 でも、伝票はしっかり私の名前になっているので、間違いではなさそうだ。
 とりあえず箱を開けて中身を確認しーー

「……なにこれ」

 思わずひとり、赤面しつつ箱を閉じる。
 こんなものを送ってくるなんて、あいつしかいない。
 スマホを取り出し電話を鳴らすと、数コール後にはぁいと楽しげな声が出た。

「ちょっと! 何なのよあれ!」
『あ、届いたァ? 誕生日プレゼント。だぁって、どうせネットで頼むんだから、私が受け取ったら一手間でしょ。直接送った方がいいと思って』

 あっけらかんと言う女友達は河野多恵。その背後からざわめきを聞き取り、一瞬たじろぐ。

「……ごめん、外だった?」
『うん、オトコノコと食事中』

 ぐっ、と私は喉奥で呻く。
 その気配を聞き取って多恵は笑った。

『その反応じゃ、まだ干物女継続中ね。あれ、正解だったでしょ?』
「正解じゃない。要らない。返す」
『なーに言ってるの。アソコだって使わないと衰えて来ちゃうのよ』
「う、うるさいっ。そんなの男の前で話しててもいいの!?」
『別に悪いこと言ってないし。彼もこういう私を分かって誘ってくれてるんだし』

 二十代も後半に差し掛かった、その年齢は一緒のはずなのに、多恵と私の異性交遊はだいぶ違う。
 多恵はそんなに美人というほどでもない。誰にでもついていくわけでもない。のだが、どこか男をひきつける部分があるらしい。本人もそれを分かっていて、セルフメンテナンスには丁寧だから、まあ頷けるといえばそうなのだけど。

『あ、でもまだ使わないでね。大事なモノ送り忘れてたから』
「だからいいよ、あんた彼と使いなよ」
『私は代用品なくてもいいもん』

 またしても私は喉奥でぐっと唸る。

『ふふ。送り忘れたものは、来週飲むときに持っていくから。それまで使ったら駄目よ。衛生的に』
「衛生的……?」
『そ。じゃあね』

 一方的に切られて、私は深々と息を吐き出した。

(あんなの……どうしろってのよ……)

 家にあんなものが置いてあることも恥ずかしい。かといって彼女と飲むときに持っていく勇気はない。
 ぐぬぬ……そこまで計算のうちか。

(いずれ受け取りに来させよう……)

 私は箱をクローゼット奥深くにしまいこんだ。


 * * *


 多恵との約束はその週末だった。
 飲み屋の薄暗いダウンライトの明かりの下で多恵のグロスがつやりと光っている。
 多恵はその厚めの唇を引き上げて笑った。

「いやぁ、おめでとう29歳」
「……どうも」

 多恵は味気ない紙包みを私に差し出す。
 そこに薬局のシールを見て取って、私は眉を寄せた。

「……何よ、それ」
「だから、あれ使うのに必要なもの。開けてみて」
「開けない。返す。あれも今度受け取りに来てよ」
「あら、失礼な。人の好意は素直に受け取りなさい」

 私は無理矢理手元にそれを押し付けられ、多恵と紙袋入りの小さな箱を見比べた。

「ほぉらね。気になってるんでしょ。開けてご覧なさいよ」

 送られてきたものがそもそもアレなのだ。一緒に使えと言うからには、たかが知れているーー
 と思いながらも気になる私は、開けてみてすぐにしまい込んだ。

「オシャレ目な箱のやつ選んでみた」
「その前にプレゼントの内容を考え直すとか」
「そうかしら」

 多恵の目が弓なりに細められ、私の目を覗き込んでくる。

「小絵チャンのことをよーーーく分かったチョイスだと思うんだけどなぁ」
「う、うるさい……」
「もう29だけど、まだ29よ。楽しむなら今だと思わない?」

 私は黙ってビールを口に運ぼうとし、

「で、例の美声の整体師はどうなの」

 言われて、むせそうになった。
 げふげふと咳込む私を、多恵が楽しげに見ている。

「な、何にもないよっ、何にもーー」
「えー、そうなのぉ? 彼女いるか聞いた?」
「き、聞くわけないでしょぉ! ただのお客さんなんだから!」

 顔が真っ赤なのは自覚しつつ、多恵に噛み付くように言う。
 私は目の前の焼鳥に手を伸ばし、かじりついた。
 タレの甘辛い味が口に広がる。
 手がべたつくけど気にしない。

「声がいいとさぁ」

 私の言葉を聞きもせず、多恵がうっとりと呟く。

「最中もいいよねぇ。五感で浸れるっていうか」

 私は思わず耳をふさごうとして、手に焼鳥があることに気づき舌打ちする。
 多恵は軽やかな声をあげて笑った。

 * * *

「じゃあねぇ」
「え、そっち駅じゃないけど」
「うん。これからデート」
「はぁ!?」

 別れ際、多恵の言葉に私は思わず時計を見た。
 終電にはまだ多少間があるとはいえ、もう十一時近い。

「やーだぁ、終電とか考えてる? だって彼の家に泊まるもん、関係ないよぉ」

 私は思わず表情を歪めた。多恵がまたくつくつ笑う。

「そういううぶなとこ、かわいいけどね。そういう小絵を好きになってくれる人だといいなぁ、そのイケボ整体師さん」
「だからぁ! それは! もういいから!」

 泣きそうになりながら私は悲鳴のような声をあげると、多恵はまたくつくつと笑った。

 * * *

 整体に通い始めたのは、かれこれ三年ほど前だ。
 ちょうど仕事が忙しくなって、でも楽しくなって、つきあっていた彼氏ともフェードアウトするように別れて……そんなある日、私は首を寝違えた。
 泣く泣く仕事に行ったけど、比喩じゃなく首が回らないのを見た上司が苦笑して、専門家に見てもらうように言われた。
 通うなら自宅近くがいいと、家の最寄り駅で捜し当てた整体院にいたのが、高身長と美声の持ち主、安斎さんだった。
 それだけじゃない、彼は立ち居振る舞いもスマートで、爽やかな笑顔も持ち合わせている。
 ……まあ、客商売だから当然だけれど。

(つってもさぁあ)

 多恵との会話を思い出しながら、電車に揺られる。
 椅子は空いていたけど、乗っている時間は二十分に満たないので、ドア横に立っていた。

(絶対いるでしょ、彼女)

 安斎さんの左手に、指輪はない。
 ついでに、話している感じから、結婚はしてないと思う。
 でも、私に確認できるのはそこまでだ。
 私は「街コン行ってみようかなー」とか「親から婚活しろって言われて」とか、馬鹿なぼやきをしているけど、安斎さんはそれを苦笑しながら聞いているだけ。
 彼に彼女や想い人がいるのかは、私には分からない。
 いくら私に微笑んでくれても、それは私が顧客だからで。
 恋なんて、しちゃいけない。
 そう、自分に言い聞かせて。

 かれこれ三年、最低一ヶ月に一回、多くて毎週……通いつづけている。
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