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本編
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「拓哉さー、いつから、気づいてたの」
ずずず、とラーメンをすする拓哉を頬杖して見ながら、理都子は聞いた。拓哉は「ん」と目を上げたが、レンズがくもって眉を寄せ、眼鏡を外して卓上に置く。
「なんのこと」
「そりゃ……私の……気持ちっていうか……」
「ああ」
もごもごと口の中で答える理都子に、拓哉は何ということもないという表情で応じた。
「だって、お前が好きなタイプだろ。凛としてて、他人に媚びもしないし流されない人」
理都子は戸惑いながら拓哉を見つめる。
拓哉は「ほら、中学んときも」とクラスメイトの女子の名前を出した。それは間違いなく、理都子を後ろ手にかばってくれた女子のリーダー格の子だ。
理都子は慌てて首を振る。
「ち、違うよ。あのときは……私、男子に茶化されてたから、守ってもらってたっていうか……」
「まあ、それはそうなんだろうけどさ。別に変なことないんじゃね? あいつかっこよかったもんなぁ。男子の間でも、男より男前だって感心してたし」
拓哉はフォローしているつもりなのだろうが、理都子にとってはそう思えない。顔が赤くなるのを感じながら、唇を尖らせる。
「だいたい、大学の友達、何人かいるっつーのは分かってるんだけど、名前出てくるの詩乃さんだけだし。また友達の彼氏取っちゃった、とかって言うのも、詩乃さんの男ばっかだし。まあいろんな愛情表現はあるだろうけどさ、ああこいつすげー歪んでんなぁって思いながら観察してた」
麺をすすりながら話す拓哉に、理都子は恨めしい視線を送るが、当人は全く気にしない。
そもそもその程度で動揺するような男なら、理都子もこうして家に上がったりしないのだ。そう分かってはいることも、それはそれで恨めしかった。
「観察とか。ひどい」
「まあね。そうかもね」
拓哉は麺をすすり、ずずず、とスープを飲んだ。カップを卓上に置くと、理都子を見やる。
「まー、こっちも利用されてるし、利用してやれと思ってたのもあるけど……指摘して面倒なことになっても困るし」
「じゃあなんで、この前……」
「ぼちぼち、しんどそうだなーと思ったから」
拓哉はまたスープをすする。塩分の摂りすぎに配慮する気はないらしい。
「もう30も間近だし、結婚の話なんかも出て来りかもしんねーだろ。うちのねーちゃんたちも、30前ってすげー焦ってたしさ。まあだから、理都が気づいてないなら、そろそろ解放してやった方がいいんだろーなー、って思って。幼なじみのよしみっつーか……ちょっと、詫びの気持ちも込めて」
「詫び?」
「んー」
拓哉は頬をぽりぽりかきながら、眼鏡をかけ直した。ほぼスープを飲み干したラーメンのカップと、ゴミが入ったファストフードの袋を手に立ち上がり、キッチンへ向かう。
「中学んとき、ホルスタインって最初に言ったの、たぶん俺だから……」
理都子は意外な告白に動きを止める。拓哉はシンクにスープを流しながら、言いづらそうに続けた。
「俺ら、家近かったから、しょっちゅう他の男子に茶化されてさ……お前の胸揉んだことあるかとか、まあそういう、下品なやつ……で、俺が『ホルスタインに興味ねーよ』って言い返したんだよね。どうもその、デカい乳をホルスタインって表現したのが、中学男子の心に響いてしまったらしい」
拓哉はゴミをごみ袋につっこみ、蛇口を捻ってスープの残滓を流す。
残った匂いを取るためか、換気扇を回すと、ふぉおおお、と低い唸るような音がした。
拓哉はちらりと理都子を見やり、また目を逸らす。その表情に反省を見て、理都子は笑いそうになる。
「確かに、ガキが気に入りそうな表現かもね」
理都子の言葉に、拓哉は肩をすくめた。理都子は意地悪く笑いながら、拓哉を恨む気にはなれない。
当時苦しんだのは確かだが、恨むべきは拓哉ではなく、その言葉を理都子にしつこく浴びせてきた男子たちだ。
しかしそれも。
「私、あの頃からモテてたのねー。地味だったのに」
「まあ、デカパイに目が行く年頃なんだよ、思春期ってのは」
「思春期だけでもなさそうだけど?」
理都子がにやりとして言うと、拓哉は気まずそうな顔をする。それが拓哉の描いた絵を示していると察したのだろう。拓哉はふんと鼻を鳴らした。
「ま、でもお前も同じようなもんだしな」
「何が?」
「気になる子こそイジメたくなっちゃう気持ち、分かっただろ」
理都子は言われて口ごもる。拓哉の指摘はいつでも鋭く、遠慮なく胸をえぐってくる。
一方で、歯に衣着せないやりとりが、心地好いのも確かだ。
拓哉は残っていたらしいコーヒーをずずずとすすって、氷を流しに捨て、コップをゴミ袋に入れた。
「理都は? それ、飲み終わったの?」
「うん……まだ」
炭酸は一気に飲めないので、ちびちびコーラを飲んでいる。座卓に戻ってきた拓哉は「あ、そ」と頬杖をついた。
「……なんか見られてると焦るんですけど」
「まあね。プレッシャーかけてるからね」
理都子が眉を寄せると、拓哉は眼鏡の奥の目を細めた。
ふと、理都子は手を伸ばして眼鏡のつるに手をやる。拓哉は一瞬戸惑ったようにぴくりとしたが、理都子が眼鏡を外すまでおとなしくじっとしていた。
理都子は眼鏡を卓上に置く。拓哉は目の中に入りそうな前髪をうっとうしそうにかき上げ、「なに?」と理都子に問う。
「……キスして」
「は?」
いいから、と理都子は拓哉の袖を引く。拓哉は眉を寄せながら、理都子の唇に自分のそれを重ねる。
コーヒーの匂いがした。
うっすらと開いた目の前に、黒々した切れ長の目がある。
その目に詩乃を思い出して、理都子の胸がきゅんと締め付けられた。
「……へぇ」
拓哉が目を細めて、興味深そうに理都子を見下ろす。
丸い頬を撫で、髪を指に絡めた。
「なんだ……そういう顔もできんじゃん」
そこに初めて雄特有の欲情を見て取って、理都子は息を飲んだ。
ずずず、とラーメンをすする拓哉を頬杖して見ながら、理都子は聞いた。拓哉は「ん」と目を上げたが、レンズがくもって眉を寄せ、眼鏡を外して卓上に置く。
「なんのこと」
「そりゃ……私の……気持ちっていうか……」
「ああ」
もごもごと口の中で答える理都子に、拓哉は何ということもないという表情で応じた。
「だって、お前が好きなタイプだろ。凛としてて、他人に媚びもしないし流されない人」
理都子は戸惑いながら拓哉を見つめる。
拓哉は「ほら、中学んときも」とクラスメイトの女子の名前を出した。それは間違いなく、理都子を後ろ手にかばってくれた女子のリーダー格の子だ。
理都子は慌てて首を振る。
「ち、違うよ。あのときは……私、男子に茶化されてたから、守ってもらってたっていうか……」
「まあ、それはそうなんだろうけどさ。別に変なことないんじゃね? あいつかっこよかったもんなぁ。男子の間でも、男より男前だって感心してたし」
拓哉はフォローしているつもりなのだろうが、理都子にとってはそう思えない。顔が赤くなるのを感じながら、唇を尖らせる。
「だいたい、大学の友達、何人かいるっつーのは分かってるんだけど、名前出てくるの詩乃さんだけだし。また友達の彼氏取っちゃった、とかって言うのも、詩乃さんの男ばっかだし。まあいろんな愛情表現はあるだろうけどさ、ああこいつすげー歪んでんなぁって思いながら観察してた」
麺をすすりながら話す拓哉に、理都子は恨めしい視線を送るが、当人は全く気にしない。
そもそもその程度で動揺するような男なら、理都子もこうして家に上がったりしないのだ。そう分かってはいることも、それはそれで恨めしかった。
「観察とか。ひどい」
「まあね。そうかもね」
拓哉は麺をすすり、ずずず、とスープを飲んだ。カップを卓上に置くと、理都子を見やる。
「まー、こっちも利用されてるし、利用してやれと思ってたのもあるけど……指摘して面倒なことになっても困るし」
「じゃあなんで、この前……」
「ぼちぼち、しんどそうだなーと思ったから」
拓哉はまたスープをすする。塩分の摂りすぎに配慮する気はないらしい。
「もう30も間近だし、結婚の話なんかも出て来りかもしんねーだろ。うちのねーちゃんたちも、30前ってすげー焦ってたしさ。まあだから、理都が気づいてないなら、そろそろ解放してやった方がいいんだろーなー、って思って。幼なじみのよしみっつーか……ちょっと、詫びの気持ちも込めて」
「詫び?」
「んー」
拓哉は頬をぽりぽりかきながら、眼鏡をかけ直した。ほぼスープを飲み干したラーメンのカップと、ゴミが入ったファストフードの袋を手に立ち上がり、キッチンへ向かう。
「中学んとき、ホルスタインって最初に言ったの、たぶん俺だから……」
理都子は意外な告白に動きを止める。拓哉はシンクにスープを流しながら、言いづらそうに続けた。
「俺ら、家近かったから、しょっちゅう他の男子に茶化されてさ……お前の胸揉んだことあるかとか、まあそういう、下品なやつ……で、俺が『ホルスタインに興味ねーよ』って言い返したんだよね。どうもその、デカい乳をホルスタインって表現したのが、中学男子の心に響いてしまったらしい」
拓哉はゴミをごみ袋につっこみ、蛇口を捻ってスープの残滓を流す。
残った匂いを取るためか、換気扇を回すと、ふぉおおお、と低い唸るような音がした。
拓哉はちらりと理都子を見やり、また目を逸らす。その表情に反省を見て、理都子は笑いそうになる。
「確かに、ガキが気に入りそうな表現かもね」
理都子の言葉に、拓哉は肩をすくめた。理都子は意地悪く笑いながら、拓哉を恨む気にはなれない。
当時苦しんだのは確かだが、恨むべきは拓哉ではなく、その言葉を理都子にしつこく浴びせてきた男子たちだ。
しかしそれも。
「私、あの頃からモテてたのねー。地味だったのに」
「まあ、デカパイに目が行く年頃なんだよ、思春期ってのは」
「思春期だけでもなさそうだけど?」
理都子がにやりとして言うと、拓哉は気まずそうな顔をする。それが拓哉の描いた絵を示していると察したのだろう。拓哉はふんと鼻を鳴らした。
「ま、でもお前も同じようなもんだしな」
「何が?」
「気になる子こそイジメたくなっちゃう気持ち、分かっただろ」
理都子は言われて口ごもる。拓哉の指摘はいつでも鋭く、遠慮なく胸をえぐってくる。
一方で、歯に衣着せないやりとりが、心地好いのも確かだ。
拓哉は残っていたらしいコーヒーをずずずとすすって、氷を流しに捨て、コップをゴミ袋に入れた。
「理都は? それ、飲み終わったの?」
「うん……まだ」
炭酸は一気に飲めないので、ちびちびコーラを飲んでいる。座卓に戻ってきた拓哉は「あ、そ」と頬杖をついた。
「……なんか見られてると焦るんですけど」
「まあね。プレッシャーかけてるからね」
理都子が眉を寄せると、拓哉は眼鏡の奥の目を細めた。
ふと、理都子は手を伸ばして眼鏡のつるに手をやる。拓哉は一瞬戸惑ったようにぴくりとしたが、理都子が眼鏡を外すまでおとなしくじっとしていた。
理都子は眼鏡を卓上に置く。拓哉は目の中に入りそうな前髪をうっとうしそうにかき上げ、「なに?」と理都子に問う。
「……キスして」
「は?」
いいから、と理都子は拓哉の袖を引く。拓哉は眉を寄せながら、理都子の唇に自分のそれを重ねる。
コーヒーの匂いがした。
うっすらと開いた目の前に、黒々した切れ長の目がある。
その目に詩乃を思い出して、理都子の胸がきゅんと締め付けられた。
「……へぇ」
拓哉が目を細めて、興味深そうに理都子を見下ろす。
丸い頬を撫で、髪を指に絡めた。
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