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本編
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何かしているときもしていないときも伸びた詩乃の背に、気付けば目を奪われていた。
すらりとした華奢な身体。髪をかきあげる指先の繊細な動き。女らしさを充分に備えている一方、近づいてくる人を拒むような気配。
理都子が最初に知り合ったのは、お元気娘の紗也加だった。大学の講義で隣に座り、ひょんなことから仲良くなった。昼食を一緒にどうかと誘われてついて行けば、紗也加は既に詩乃とつるむようになっていて、そこにはお目つけ役の宇多もいた。
一度昼食を食べてからというもの、理都子たちは不思議と四人で行動するようになった。
それぞれ全く違う性格なのに、四人でいるのは居心地がよかった。バランスが取れていたからかもしれない。
典型的委員長タイプの宇多、体育会系の紗也、クールな詩乃、甘え上手な理都子。
奔放な理都子にはときどき宇多のお説教が面倒にも思えたが、同じく自由を謳歌する主義の紗也がフォローしてくれたので苦ではなかった。姑のような宇多の口うるささが、決して自分の価値観を押し付けるためでなく、本心から理都子を想ってくれていると分かっていたこともある。
3人がああだこうだとしゃべっている間も、詩乃は静かに様子を見ていた。
ときどき誰かの言葉に笑ったり、呆れて苦笑して、宇多がとうとう疲れきって「詩乃はどう思う」と尋ねると、「宇多の意見も一理あるけど、紗也とリツの言いたいことも分かる」とあっさり答えるのだ。
「じゃあ、詩乃もそういう遊び方したいの?」
「したいのと、するのは別だけど。私はできそうにないから、ある意味うらやましいっていうのはあるかも」
宇多と詩乃の会話は冷静で理論的だ。感情や気分で突っ走る紗也加と理都子は顔を見合わせてにやりとしたものだった。
中高生時代との差のせいか、大学生活はとても楽しかった。くだらないこともたくさんした。二股をかけて、男同士が流血沙汰の喧嘩をしたこともある。
なんでも思い通りになるような気がした。
中高生のときには抱けなかった不思議な万能感を、理都子は大学で感じていたのかもしれない。
それでも、そのふわふわとした世界の中で、詩乃だけは理都子に形を崩されることもなかった。
パステルカラーに彩られた綿菓子の世界で、唯一詩乃だけが硬質の何かだった。
まるで境界柱のように、すっくと真っすぐに立っていて、それ以上の侵入を許さないと理都子に示しているように。
それが、理都子には面白くなかった。
誰の懐にも飛び込めるようになった理都子が、唯一立ち入りを許されない場所が詩乃だった。
ひょんなことから、詩乃の当時の彼氏と出会い、直感的に、その男を落とせると感じた。理都子の気分は高揚した。下手をすれば友人を失うことは、自分の経験上も知っていた。楽しい大学生活を無碍にするのはもったいないから、理都子も理都子なりにルールを決めた。
あくまで、選択するのは男。
それとなく誘いはするが、言質を取らせるようなことは言わない。身体で寝取ったと思われるのは、矜持的にも倫理的にもよろしくない。
そう、あくまで理都子は、理都子の魅力を以て、詩乃の彼氏に選ばれているのだ。
詩乃よりも魅力的な女性だから、選ばれるのだ。
「……馬鹿みたい」
涙でぐしゃぐしゃになった顔を拭いながら、理都子は自嘲する。
大学時代から、十年弱にも渡って感じていた高揚は、今はひどく惨めで、滑稽にすら思えた。
店で見た詩乃の顔を思い出す。青白い肌は理都子を前にしてますます青白くなり、怒りと焦燥を孕んだ目で、静かに理都子を見つめていた。
今まで、理都子が何をしても「仕方ないわね」と苦笑やため息で流された詩乃の視線は、あのとき明確に理都子に感情をぶつけていた。
ーーこの人を盗らないで。
詩乃さん、と柔らかく呼ぶ男の声が耳に蘇る。大丈夫だから、とその声は言外に詩乃をなだめていた。
大丈夫だから。自分は決して、理都子に惹かれたりなどしないから。
そう告げるように。
「……そんなに、いい男なの」
理都子は呟く。暗い道の横に膝を抱えてうずくまっていると、大通りを走る車のヘッドライトが、ときどき濡れた手を照らして、また暗闇へ引き戻される。
「そんなに……詩乃が、必死になるくらいに」
詩乃が逸登を見上げた目を思い出す。
縋るような、不安そうなその視線には、確かに甘えるような気配があった。
誰にも媚びない詩乃が。
ただ一人、すっくと立っていた詩乃が。
甘えることを知らない詩乃が。
「うううぅうう」
理都子の目から涙があふれる。もう自分を騙せる余地もない。
ただただ、悔しかった。詩乃があの男の前で、一人の女になっている姿が。
はにかみ、甘え、心を許している姿が。
あの短時間でも、理都子には充分にそう分かってしまったのだ。
長いつき合いである理都子にはーーずっと、詩乃を見てきた理都子には。
「うううぅ……」
うなるような声をあげて、理都子は膝に顔を埋めて泣く。ぐずる子どものように、ひたすら泣き続ける。
誰の慰めも必要ない。理都子はただただ、泣きたかった。
すらりとした華奢な身体。髪をかきあげる指先の繊細な動き。女らしさを充分に備えている一方、近づいてくる人を拒むような気配。
理都子が最初に知り合ったのは、お元気娘の紗也加だった。大学の講義で隣に座り、ひょんなことから仲良くなった。昼食を一緒にどうかと誘われてついて行けば、紗也加は既に詩乃とつるむようになっていて、そこにはお目つけ役の宇多もいた。
一度昼食を食べてからというもの、理都子たちは不思議と四人で行動するようになった。
それぞれ全く違う性格なのに、四人でいるのは居心地がよかった。バランスが取れていたからかもしれない。
典型的委員長タイプの宇多、体育会系の紗也、クールな詩乃、甘え上手な理都子。
奔放な理都子にはときどき宇多のお説教が面倒にも思えたが、同じく自由を謳歌する主義の紗也がフォローしてくれたので苦ではなかった。姑のような宇多の口うるささが、決して自分の価値観を押し付けるためでなく、本心から理都子を想ってくれていると分かっていたこともある。
3人がああだこうだとしゃべっている間も、詩乃は静かに様子を見ていた。
ときどき誰かの言葉に笑ったり、呆れて苦笑して、宇多がとうとう疲れきって「詩乃はどう思う」と尋ねると、「宇多の意見も一理あるけど、紗也とリツの言いたいことも分かる」とあっさり答えるのだ。
「じゃあ、詩乃もそういう遊び方したいの?」
「したいのと、するのは別だけど。私はできそうにないから、ある意味うらやましいっていうのはあるかも」
宇多と詩乃の会話は冷静で理論的だ。感情や気分で突っ走る紗也加と理都子は顔を見合わせてにやりとしたものだった。
中高生時代との差のせいか、大学生活はとても楽しかった。くだらないこともたくさんした。二股をかけて、男同士が流血沙汰の喧嘩をしたこともある。
なんでも思い通りになるような気がした。
中高生のときには抱けなかった不思議な万能感を、理都子は大学で感じていたのかもしれない。
それでも、そのふわふわとした世界の中で、詩乃だけは理都子に形を崩されることもなかった。
パステルカラーに彩られた綿菓子の世界で、唯一詩乃だけが硬質の何かだった。
まるで境界柱のように、すっくと真っすぐに立っていて、それ以上の侵入を許さないと理都子に示しているように。
それが、理都子には面白くなかった。
誰の懐にも飛び込めるようになった理都子が、唯一立ち入りを許されない場所が詩乃だった。
ひょんなことから、詩乃の当時の彼氏と出会い、直感的に、その男を落とせると感じた。理都子の気分は高揚した。下手をすれば友人を失うことは、自分の経験上も知っていた。楽しい大学生活を無碍にするのはもったいないから、理都子も理都子なりにルールを決めた。
あくまで、選択するのは男。
それとなく誘いはするが、言質を取らせるようなことは言わない。身体で寝取ったと思われるのは、矜持的にも倫理的にもよろしくない。
そう、あくまで理都子は、理都子の魅力を以て、詩乃の彼氏に選ばれているのだ。
詩乃よりも魅力的な女性だから、選ばれるのだ。
「……馬鹿みたい」
涙でぐしゃぐしゃになった顔を拭いながら、理都子は自嘲する。
大学時代から、十年弱にも渡って感じていた高揚は、今はひどく惨めで、滑稽にすら思えた。
店で見た詩乃の顔を思い出す。青白い肌は理都子を前にしてますます青白くなり、怒りと焦燥を孕んだ目で、静かに理都子を見つめていた。
今まで、理都子が何をしても「仕方ないわね」と苦笑やため息で流された詩乃の視線は、あのとき明確に理都子に感情をぶつけていた。
ーーこの人を盗らないで。
詩乃さん、と柔らかく呼ぶ男の声が耳に蘇る。大丈夫だから、とその声は言外に詩乃をなだめていた。
大丈夫だから。自分は決して、理都子に惹かれたりなどしないから。
そう告げるように。
「……そんなに、いい男なの」
理都子は呟く。暗い道の横に膝を抱えてうずくまっていると、大通りを走る車のヘッドライトが、ときどき濡れた手を照らして、また暗闇へ引き戻される。
「そんなに……詩乃が、必死になるくらいに」
詩乃が逸登を見上げた目を思い出す。
縋るような、不安そうなその視線には、確かに甘えるような気配があった。
誰にも媚びない詩乃が。
ただ一人、すっくと立っていた詩乃が。
甘えることを知らない詩乃が。
「うううぅうう」
理都子の目から涙があふれる。もう自分を騙せる余地もない。
ただただ、悔しかった。詩乃があの男の前で、一人の女になっている姿が。
はにかみ、甘え、心を許している姿が。
あの短時間でも、理都子には充分にそう分かってしまったのだ。
長いつき合いである理都子にはーーずっと、詩乃を見てきた理都子には。
「うううぅ……」
うなるような声をあげて、理都子は膝に顔を埋めて泣く。ぐずる子どものように、ひたすら泣き続ける。
誰の慰めも必要ない。理都子はただただ、泣きたかった。
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