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本編
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理都子はしばらく家で休んで、夕方にる頃、ようやく外へ出た。
朝がゆっくりだったこともあり、朝食はブランチになったので、ついでに夕飯も済ませるつもりだ。
店が閉まっては元も子もないので、必要な買い物を先に済ませよう。
理都子は詩乃の勤める店へ行くことにした。
と言っても、詩乃がいるのは売店のフロアではなく、その上階だ。自分から訪ねて行かなければ、よほどのことがない限り会うことはない。ーー実際、今までも買い物のときに会ったことはなかった。
店につくと、オーガニックブランドらしく、アースカラーで整えられた品物を見ていく。
シャンプーだけと思っていたが、見ているとあれこれ手にしたくなるのは買い物好きな女子の習性だ。
「……あれ? 理都子さん?」
名前を呼ばれて顔を上げると、そこには彼がいた。
三人目の消防士。のっぺらぼうの好青年。
記憶に残る、シャツをはだけた肉体の上に、その顔がパズルのピースのように嵌まっていく。
理都子はゆっくりと、笑顔を浮かべた。
「ーーあれ、こんばんは」
名前、なんだっけ。
響きが、珍しかった気がする。けど、覚えていない。
胸がざわざわした。秀治の話を聞きながら脳裏をよぎった予感が、膨れ上がっていく。
こんなところにいるということはーーやっぱり、
「逸登くん」
警戒するような、戸惑うような、それでも凛と澄んだ声が聞こえた。
声のした方を振り向けば、そこには詩乃が立っている。すらりと細い長身。肩を覆うさらさらの黒髪。髪と同じく黒光りした、強い光を宿す瞳。
やっぱり少し、眼鏡を外した拓哉に似ているかもしれない。
「あっ、詩乃~。やっほー」
理都子はへらりと笑って手を挙げる。詩乃の表情が硬いことに気づきながらも、気づいていないふりをした。
秀治と話して、ようやく気づいたのだろうか。
理都子が彼女の歴代の彼氏と寝ていることに。
でも、それは理都子にとってどうでもいいことだった。寝取った、わけではないからだ。
確かに、彼女の男とベッドを共にした。けれどいずれも、相手がそう望んでのことであり、理都子も理都子なりにルールを決めている。
ーー彼女の男であるうちは寝ない。
だから、彼女を捨てて理都子の身体を求めた男にだけ、「ご褒美」をあげているのだ。
それ以上でも、それ以下でもない。
詩乃は無言で理都子を睨み付けながら、逸登の腕に手を触れた。まるで「私のものに手を出さないで」と言うような表情に、理都子は笑う。
心配しないで、その人は好みじゃないからーー
そう心中で言いかけて、逸登をちらりと見やる。
逸登は少し照れたような、困惑したような顔で、詩乃を見ている。その目は見るからに甘く、誰が見ても愛しいひとを見るそれだ。
好みじゃないはずの男がーー強力な磁石のように、急速に理都子の興味を引いていく。
短く刈り上げた短髪。日に焼けた肌。柔らかいカーブを描いた、涼やかな目ーー
「詩乃さん」
たしなめるように、気遣うように、逸登が詩乃に呼びかける。
詩乃は逸登を見上げて、怯えた子猫のような目をした。
目が合うと、逸登の優しい目に、詩乃が安堵するのが見てとれた。
詩乃は逸登の袖にやんわりと触れたまま、理都子に向き合う。
「……理都、久しぶり。今日は買い物?」
取り繕っているのが明らかな、ひきつった笑顔。
それを受け止め、理都子の胸にどろりとした暗闇が広がる。
理都子はにっこりと笑う。
「うん。シャンプー切らしちゃったから」
「そうなんだ。いつもありがとう」
微笑む詩乃はあくまで大人の対応に徹している。
その白く華奢な指は逸登の腕に添えられたままだ。
理都子の腹の底がぐるぐるとかき回される。
笑い出したい衝動を、必死で堪えた。
ねえ、詩乃。
その男なら安心だと、本当に信じてるの?
馬鹿みたい。
どうせ、また同じことなのに。
私が少しすり寄って行けば、どんな男だって詩乃を捨てて私を抱こうとするのに。
叶うことならぶつけてみたい言葉を、心の中で詩乃に投げる。
ねえ。
怒ってるんでしょう? 私が秀治と寝たのを。
悲しんでるんでしょう? 友人に恋人を取られて。
たまには、泣きわめいてみなさいよ。怒り狂ってみなさいよ。
その澄ました仮面の下に、どんな感情があるのか、私の前にさらけだしてみなさいよ!
どくんどくんと心臓が高鳴る。苛立ち、息苦しさ。不足感。悔しさ。
腹が立って、仕方なかった。
ムカつく。
無茶苦茶にしてやりたい。
誰に?
どうして?
--自問。
詩乃の目に、理都子は映らない。映らない。ドロドロした理都子の感情に、詩乃は気づかない。関心がないからだ。関心がないーー
(ーー私は、こんなに、詩乃のことが気になるのに)
理都子は、自分の足元に暗闇が広がるような感覚を覚えた。
(嘘だーーそんなの、あるわけが)
ぽっかりと空いた虚空。詩乃を嘲笑う理都子の声が、今度は理都子自身を笑っている。
耳鳴りがした。ざらついた音。それは理都子の心音なのか、それとも他の何かなのかーー
「ーー理都?」
詩乃が不思議そうに聞く。
理都子は詩乃から目を逸らした。
「あ、うぅん。なんでもない。……詩乃は、これからデート?」
「……うん、まあ」
「そうなんだ。行ってらっしゃい」
目を合わせないまま、理都子は二人から離れる。
ふらつく足取りを悟られないよう、足を、必死で前へ、前へと進めた。
しばらくの間、背中に二人の視線を感じた。
それから逃れるように商品の陳列棚に隠れ、しゃがみこむ。
頭がグラグラして、額に添えた手が震えていた。
呼吸が浅く、鼓動は速い。
そして、どうしようもなく、泣きそうだった。
(詩乃……詩乃)
凛としたたたずまい。いつでもすっと背が伸びていて、大学のキャンパスでは、いるだけで人目を引いた。
理都子が彼女に近づいたのは、仲良くなったら得だろうという打算が働いたからだ。
歳に見合わない落ち着き、ときどき見られるはにかむような笑顔。
確かに、嫌いじゃなかった。
そしてときとき、妬ましく思った。
他の友達が、首筋についたキスマークを指摘して、白い顔を赤らめたとき。
自分じゃない誰かに、その笑顔が向いたとき。
しゃがんだ膝を抱えて、顔をうずめる。
喉がひゅうひゅうと浅く鳴った。
混乱していた。
認めたくなかった。
それでも、もう、納得するしかない。
詩乃に抱くこの感情はーー拓哉の言う通り、
朝がゆっくりだったこともあり、朝食はブランチになったので、ついでに夕飯も済ませるつもりだ。
店が閉まっては元も子もないので、必要な買い物を先に済ませよう。
理都子は詩乃の勤める店へ行くことにした。
と言っても、詩乃がいるのは売店のフロアではなく、その上階だ。自分から訪ねて行かなければ、よほどのことがない限り会うことはない。ーー実際、今までも買い物のときに会ったことはなかった。
店につくと、オーガニックブランドらしく、アースカラーで整えられた品物を見ていく。
シャンプーだけと思っていたが、見ているとあれこれ手にしたくなるのは買い物好きな女子の習性だ。
「……あれ? 理都子さん?」
名前を呼ばれて顔を上げると、そこには彼がいた。
三人目の消防士。のっぺらぼうの好青年。
記憶に残る、シャツをはだけた肉体の上に、その顔がパズルのピースのように嵌まっていく。
理都子はゆっくりと、笑顔を浮かべた。
「ーーあれ、こんばんは」
名前、なんだっけ。
響きが、珍しかった気がする。けど、覚えていない。
胸がざわざわした。秀治の話を聞きながら脳裏をよぎった予感が、膨れ上がっていく。
こんなところにいるということはーーやっぱり、
「逸登くん」
警戒するような、戸惑うような、それでも凛と澄んだ声が聞こえた。
声のした方を振り向けば、そこには詩乃が立っている。すらりと細い長身。肩を覆うさらさらの黒髪。髪と同じく黒光りした、強い光を宿す瞳。
やっぱり少し、眼鏡を外した拓哉に似ているかもしれない。
「あっ、詩乃~。やっほー」
理都子はへらりと笑って手を挙げる。詩乃の表情が硬いことに気づきながらも、気づいていないふりをした。
秀治と話して、ようやく気づいたのだろうか。
理都子が彼女の歴代の彼氏と寝ていることに。
でも、それは理都子にとってどうでもいいことだった。寝取った、わけではないからだ。
確かに、彼女の男とベッドを共にした。けれどいずれも、相手がそう望んでのことであり、理都子も理都子なりにルールを決めている。
ーー彼女の男であるうちは寝ない。
だから、彼女を捨てて理都子の身体を求めた男にだけ、「ご褒美」をあげているのだ。
それ以上でも、それ以下でもない。
詩乃は無言で理都子を睨み付けながら、逸登の腕に手を触れた。まるで「私のものに手を出さないで」と言うような表情に、理都子は笑う。
心配しないで、その人は好みじゃないからーー
そう心中で言いかけて、逸登をちらりと見やる。
逸登は少し照れたような、困惑したような顔で、詩乃を見ている。その目は見るからに甘く、誰が見ても愛しいひとを見るそれだ。
好みじゃないはずの男がーー強力な磁石のように、急速に理都子の興味を引いていく。
短く刈り上げた短髪。日に焼けた肌。柔らかいカーブを描いた、涼やかな目ーー
「詩乃さん」
たしなめるように、気遣うように、逸登が詩乃に呼びかける。
詩乃は逸登を見上げて、怯えた子猫のような目をした。
目が合うと、逸登の優しい目に、詩乃が安堵するのが見てとれた。
詩乃は逸登の袖にやんわりと触れたまま、理都子に向き合う。
「……理都、久しぶり。今日は買い物?」
取り繕っているのが明らかな、ひきつった笑顔。
それを受け止め、理都子の胸にどろりとした暗闇が広がる。
理都子はにっこりと笑う。
「うん。シャンプー切らしちゃったから」
「そうなんだ。いつもありがとう」
微笑む詩乃はあくまで大人の対応に徹している。
その白く華奢な指は逸登の腕に添えられたままだ。
理都子の腹の底がぐるぐるとかき回される。
笑い出したい衝動を、必死で堪えた。
ねえ、詩乃。
その男なら安心だと、本当に信じてるの?
馬鹿みたい。
どうせ、また同じことなのに。
私が少しすり寄って行けば、どんな男だって詩乃を捨てて私を抱こうとするのに。
叶うことならぶつけてみたい言葉を、心の中で詩乃に投げる。
ねえ。
怒ってるんでしょう? 私が秀治と寝たのを。
悲しんでるんでしょう? 友人に恋人を取られて。
たまには、泣きわめいてみなさいよ。怒り狂ってみなさいよ。
その澄ました仮面の下に、どんな感情があるのか、私の前にさらけだしてみなさいよ!
どくんどくんと心臓が高鳴る。苛立ち、息苦しさ。不足感。悔しさ。
腹が立って、仕方なかった。
ムカつく。
無茶苦茶にしてやりたい。
誰に?
どうして?
--自問。
詩乃の目に、理都子は映らない。映らない。ドロドロした理都子の感情に、詩乃は気づかない。関心がないからだ。関心がないーー
(ーー私は、こんなに、詩乃のことが気になるのに)
理都子は、自分の足元に暗闇が広がるような感覚を覚えた。
(嘘だーーそんなの、あるわけが)
ぽっかりと空いた虚空。詩乃を嘲笑う理都子の声が、今度は理都子自身を笑っている。
耳鳴りがした。ざらついた音。それは理都子の心音なのか、それとも他の何かなのかーー
「ーー理都?」
詩乃が不思議そうに聞く。
理都子は詩乃から目を逸らした。
「あ、うぅん。なんでもない。……詩乃は、これからデート?」
「……うん、まあ」
「そうなんだ。行ってらっしゃい」
目を合わせないまま、理都子は二人から離れる。
ふらつく足取りを悟られないよう、足を、必死で前へ、前へと進めた。
しばらくの間、背中に二人の視線を感じた。
それから逃れるように商品の陳列棚に隠れ、しゃがみこむ。
頭がグラグラして、額に添えた手が震えていた。
呼吸が浅く、鼓動は速い。
そして、どうしようもなく、泣きそうだった。
(詩乃……詩乃)
凛としたたたずまい。いつでもすっと背が伸びていて、大学のキャンパスでは、いるだけで人目を引いた。
理都子が彼女に近づいたのは、仲良くなったら得だろうという打算が働いたからだ。
歳に見合わない落ち着き、ときどき見られるはにかむような笑顔。
確かに、嫌いじゃなかった。
そしてときとき、妬ましく思った。
他の友達が、首筋についたキスマークを指摘して、白い顔を赤らめたとき。
自分じゃない誰かに、その笑顔が向いたとき。
しゃがんだ膝を抱えて、顔をうずめる。
喉がひゅうひゅうと浅く鳴った。
混乱していた。
認めたくなかった。
それでも、もう、納得するしかない。
詩乃に抱くこの感情はーー拓哉の言う通り、
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