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本編
06
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「拓哉。たーくや。起きてよ」
朝、仕事部屋の布団で眠る拓哉を揺り動かすと、「うーん」と不機嫌そうな声が返ってきた。
その手の職業にありがちなライフスタイルだが、拓哉も夜型の生活をしている。朝は苦手でなかなか起きない。
「……なに?」
ゆさぶり、声をかけて、ようやくうっすらと開けた目が、ほとんど睨みつけるように理都子を見上げる。眼鏡をかけていないから一層目つきが悪く見えた。
「私、今日仕事だから。服、借りるね」
言って勝手にクローゼットを開き、中にかかった襟付きのカジュアルシャツを手にした。スカートは昨日のままだが、上だけは着替えたいところだ。
ちなみに、下着類は元々かばんに入れてあった。男との逢瀬がある日の理都子にとっては当然の準備だ。
「んむっ。胸、きっつ」
「……無駄に栄養行きすぎなんじゃね」
胸元のボタンを留めながら眉を寄せる理都子の後ろで、拓哉が起き上がりあくびをする。理都子はそちらを見返り、半端に開けたままの胸元を強調するように前傾で迫る。
「でも、男の人はこういうの好きでしょ」
「……」
拓哉は理都子の顔と豊かな谷間を見比べて、込み上げたあくびに横を向いた。
「くぁ……」と手を口に当てる様子は、あからさまにつまらなそうだ。理都子はむっとして上体を起こし、どうにかボタンを留める。
深呼吸でもしたら、ボタンがはじけ飛びそうだが、仕方ない。
どうせ職場に行ったら制服に着替えるのだから、どんな服で通勤したところで、関係ないといえば関係なかった。
「ーーそういえば、拓哉。昨日、なに描いてたの?」
ふと思い出して、理都子は尋ねる。昨夜の自分の恥態が、拓哉にどんな効果をもたらしたのか、気になったのだ。
「昨日……?」
「タブレット持ってきて、何か描いてたじゃない」
首を捻る拓哉に重ねて言うと、拓哉は「ああ」とまた生あくびをした。
そして後ろ頭を掻きながら、面倒くさそうに答える。
「色」
「色?」
「肌の。指とか太ももとか」
理都子はあっけに取られて、身支度をする手を止める。
冷静な情熱ーー昨夜の拓哉から感じた視線は、まるで研究者が研究対象に向けるようなものだと思ってはいたが、なるほど、本当に研究対象であったらしい。
拓哉は膝の上に頬杖をつきつつ、ぽつりぽつりと続ける。
「リアルであればエロい訳じゃないんだけど。ここにこういう陰色入れたらいいかなとか。試してみようかなとか」
理都子が黙っている内に話す姿は、珍しくイキイキしている。考えてみれば、拓哉はいつも口下手で、理都子が一方的に話していることの方が多かったのだが、仕事の話題なら、拓哉も食いぎみに話をするらしい。
ーー理都子の興味があるかどうかは別として。
「あ、そ」
「聞いといて塩対応かよ」
「だって、私、あんまり関係ないじゃん」
「そうか? ……まあそうだな」
拓哉が首を傾げたのはほんの一瞬だった。理都子は内心苛立ちつつ、黙っている。
拓哉は大きく一つ、伸びをした。
「つーか、基本的にお前にはエロスを感じない」
「なんでよ」
「露骨すぎ。えげつない。むしろ引く。なんつーか、女の下ネタ聞いてる感じ」
拓哉には、5歳離れた双子の姉がいる。二人とも大学入学と同時に家を出たが、それまで拓哉は相当に遊ばれていたのだろう。
とにかく、女というものに抵抗がある節はある。
それでも女の子のキャラクターを描いているのだから、理都子にはよく分からないが。
「じゃ、どんな女が好みなわけ?」
聞きながらも、理都子は嫌な予感がした。拓哉がちらりと理都子を見やり、鼻で笑う。
「話聞いてる感じだと、理都子の友達みたいのいいよね。男にも女にも媚びなくて、ちょっと陰みたいなのがあって……ミステリアスな色気があるっつーかさ」
詩乃のことを言っているのだろう。
理都子は黙って拓哉を睨み付けた。
「それ、私に喧嘩売ってる?」
昨日、理都子が悪口を言ったばかりの友達のことを、そう知っていて誉めるなど、どう考えても好意的な態度とは思えない。
「どうかなぁ」
拓哉はにやにや笑いをやめない。
理都子は黙って睨みつけた。
「ほら、とっとと行けよ。遅刻すんぞ」
「……」
理都子はむすっとしたまま、仕事部屋を出てかばんを拾い上げる。
玄関でバレエパンプスを履きながら、ふと顔を上げた。
鍵を閉めるために後ろからついてきた拓哉が、また「ふぁ」とあくびをしている。
理都子はその顔に呼びかけた。
「ねぇ、拓哉」
「なに」
「昨日みたいなのさ」
見つめた先の拓哉の目は、相変わらずこれという感情が見えない。理都子はそれを気にすることもなく、口を開く。
「また、やろうよ。結構楽しかった」
拓哉の表情は一瞬にして呆れ顔に変わった。口を開きかけて閉じ、かぶりを振りつつため息をつく。理都子には何を言っても無駄だと悟ったらしい。拓哉のいつも通りの表情とも言える。
それを見て、理都子は達成感に似たものを抱いて笑った。
「じゃーね。また今度」
「もう二度と来んな」
「来週かなー、再来週かなー」
「来んなっつーの」
軽口を叩きながら、理都子は家を出ていく。拓哉は文句を言いながらそれを見送る。
それでも、理都子は知っている。理都子がいつ家を訪れても、拓哉が本当の意味で理都子を突き放すことはない。
とはいえ、そのことに甘えているつもりも、理都子にはなかった。ただ利用しているだけだ。きっと拓哉にも、何らかのメリットがあってそうしているんだろう。
もしかしたらーー当人はああ言っていたが、理都子が帰った後、理都子の姿で欲求を満たしているのかもしれない。
理都子の姿をオカズに、一人で自分を慰める拓哉を想像して、理都子はくつくつ笑った。
朝、仕事部屋の布団で眠る拓哉を揺り動かすと、「うーん」と不機嫌そうな声が返ってきた。
その手の職業にありがちなライフスタイルだが、拓哉も夜型の生活をしている。朝は苦手でなかなか起きない。
「……なに?」
ゆさぶり、声をかけて、ようやくうっすらと開けた目が、ほとんど睨みつけるように理都子を見上げる。眼鏡をかけていないから一層目つきが悪く見えた。
「私、今日仕事だから。服、借りるね」
言って勝手にクローゼットを開き、中にかかった襟付きのカジュアルシャツを手にした。スカートは昨日のままだが、上だけは着替えたいところだ。
ちなみに、下着類は元々かばんに入れてあった。男との逢瀬がある日の理都子にとっては当然の準備だ。
「んむっ。胸、きっつ」
「……無駄に栄養行きすぎなんじゃね」
胸元のボタンを留めながら眉を寄せる理都子の後ろで、拓哉が起き上がりあくびをする。理都子はそちらを見返り、半端に開けたままの胸元を強調するように前傾で迫る。
「でも、男の人はこういうの好きでしょ」
「……」
拓哉は理都子の顔と豊かな谷間を見比べて、込み上げたあくびに横を向いた。
「くぁ……」と手を口に当てる様子は、あからさまにつまらなそうだ。理都子はむっとして上体を起こし、どうにかボタンを留める。
深呼吸でもしたら、ボタンがはじけ飛びそうだが、仕方ない。
どうせ職場に行ったら制服に着替えるのだから、どんな服で通勤したところで、関係ないといえば関係なかった。
「ーーそういえば、拓哉。昨日、なに描いてたの?」
ふと思い出して、理都子は尋ねる。昨夜の自分の恥態が、拓哉にどんな効果をもたらしたのか、気になったのだ。
「昨日……?」
「タブレット持ってきて、何か描いてたじゃない」
首を捻る拓哉に重ねて言うと、拓哉は「ああ」とまた生あくびをした。
そして後ろ頭を掻きながら、面倒くさそうに答える。
「色」
「色?」
「肌の。指とか太ももとか」
理都子はあっけに取られて、身支度をする手を止める。
冷静な情熱ーー昨夜の拓哉から感じた視線は、まるで研究者が研究対象に向けるようなものだと思ってはいたが、なるほど、本当に研究対象であったらしい。
拓哉は膝の上に頬杖をつきつつ、ぽつりぽつりと続ける。
「リアルであればエロい訳じゃないんだけど。ここにこういう陰色入れたらいいかなとか。試してみようかなとか」
理都子が黙っている内に話す姿は、珍しくイキイキしている。考えてみれば、拓哉はいつも口下手で、理都子が一方的に話していることの方が多かったのだが、仕事の話題なら、拓哉も食いぎみに話をするらしい。
ーー理都子の興味があるかどうかは別として。
「あ、そ」
「聞いといて塩対応かよ」
「だって、私、あんまり関係ないじゃん」
「そうか? ……まあそうだな」
拓哉が首を傾げたのはほんの一瞬だった。理都子は内心苛立ちつつ、黙っている。
拓哉は大きく一つ、伸びをした。
「つーか、基本的にお前にはエロスを感じない」
「なんでよ」
「露骨すぎ。えげつない。むしろ引く。なんつーか、女の下ネタ聞いてる感じ」
拓哉には、5歳離れた双子の姉がいる。二人とも大学入学と同時に家を出たが、それまで拓哉は相当に遊ばれていたのだろう。
とにかく、女というものに抵抗がある節はある。
それでも女の子のキャラクターを描いているのだから、理都子にはよく分からないが。
「じゃ、どんな女が好みなわけ?」
聞きながらも、理都子は嫌な予感がした。拓哉がちらりと理都子を見やり、鼻で笑う。
「話聞いてる感じだと、理都子の友達みたいのいいよね。男にも女にも媚びなくて、ちょっと陰みたいなのがあって……ミステリアスな色気があるっつーかさ」
詩乃のことを言っているのだろう。
理都子は黙って拓哉を睨み付けた。
「それ、私に喧嘩売ってる?」
昨日、理都子が悪口を言ったばかりの友達のことを、そう知っていて誉めるなど、どう考えても好意的な態度とは思えない。
「どうかなぁ」
拓哉はにやにや笑いをやめない。
理都子は黙って睨みつけた。
「ほら、とっとと行けよ。遅刻すんぞ」
「……」
理都子はむすっとしたまま、仕事部屋を出てかばんを拾い上げる。
玄関でバレエパンプスを履きながら、ふと顔を上げた。
鍵を閉めるために後ろからついてきた拓哉が、また「ふぁ」とあくびをしている。
理都子はその顔に呼びかけた。
「ねぇ、拓哉」
「なに」
「昨日みたいなのさ」
見つめた先の拓哉の目は、相変わらずこれという感情が見えない。理都子はそれを気にすることもなく、口を開く。
「また、やろうよ。結構楽しかった」
拓哉の表情は一瞬にして呆れ顔に変わった。口を開きかけて閉じ、かぶりを振りつつため息をつく。理都子には何を言っても無駄だと悟ったらしい。拓哉のいつも通りの表情とも言える。
それを見て、理都子は達成感に似たものを抱いて笑った。
「じゃーね。また今度」
「もう二度と来んな」
「来週かなー、再来週かなー」
「来んなっつーの」
軽口を叩きながら、理都子は家を出ていく。拓哉は文句を言いながらそれを見送る。
それでも、理都子は知っている。理都子がいつ家を訪れても、拓哉が本当の意味で理都子を突き放すことはない。
とはいえ、そのことに甘えているつもりも、理都子にはなかった。ただ利用しているだけだ。きっと拓哉にも、何らかのメリットがあってそうしているんだろう。
もしかしたらーー当人はああ言っていたが、理都子が帰った後、理都子の姿で欲求を満たしているのかもしれない。
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