小悪魔うさぎの発情期

松丹子

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本編

03

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「はー、さっぱりした。ドライヤーは?」
「……その辺、あんだろ。仕事の邪魔すんな」

 ノックもせずに入った仕事部屋には、広い机の上に、どでかいモニターが二つ。
 嫌そうに振り向いた拓哉の手元には、やはり大きな画面のペンタブレットが置いてある。

「今、どんなん描いてんの」
「っ見んな、馬鹿」

 さりげなく手と身体で隠した拓哉の「作品」を覗き込む。画面いっぱいに肌色が広がり、ところどころに汗だか何だかが滴っている。
 多分、理都子が浴室から出てきた音を聞いて、キワドイところを避けて作業しはじめたのだろう。

「ねーねー、見せてよ」
「やだよ。なんで」
「いーじゃーん」

 拓哉の職業ーーと言っていいのかどうかは理都子にも謎なのだが、いわゆるエロ漫画家というやつだ。とはいえ、エロ本に載る商業作家というわけではなく、どちらかというと個人ベース、同人誌やWEB掲載などで儲けているらしい。
 それがどれほど儲けになるものなのか、理都子は知らない。

「ってかお前、ブラジャーつけろよ」
「寝るときつけない主義だもん」

 拓哉が置いていた部屋着を身につけただけの上半身は、くっきりと乳首が浮き上がっている。男物のTシャツは首もとが詰まっているので肌の露出は少ないが、薄手のシャツなので身動きの度に胸の揺れが見て取れる。

「あ、お礼に、資料にしてもいーよ。写真とか撮る?」
「要らねぇ」

 拓哉は舌打ちしながら部屋を出て、ドライヤーを持ってくると「ほら」と理都子に押し付けた。

「うるさいの嫌いなんだから、向こうで乾かせよ。あと何度も言うけどこの部屋に勝手に入って来んな」
「はぁーい」

 理都子はやる気なく答えて部屋を出る。
 ぶろろろろ、とドライヤーの温風を当てながら、丸い指で髪を撫で付ける。風を受けて舞う理都子の髪は黒々さらりとしているが、それもメンテナンスあってのこと。元々は色素薄めのうねる髪で、まとめるにも苦労する髪質だ。高校までは肩甲骨が隠れるくらいの長さに伸ばして、三つ編みにするか括るかしていた。
 考えてみれば、今でもこまめに会う人で、理都子の地毛を知っているのは家族以外で拓哉くらいしかいない。そう気づくと不思議な気分になった。

「拓哉ぁ。ドライヤーどこ置いとけばいい?」
「だっーーからノックしろっつてるだろこの馬鹿ッ」

 ばばば、と画面がちらついて、当たり障りないデスクトップに切り替わる。理都子は笑いながら、腹立たしげに振り向いた拓哉の背中にへばりついた。

「なんでいちいち隠すの? もしかして、私をモデルにしてるとか」
「してねーよっ」
「そんな全力で否定しなくてもいいじゃん」

 唇を尖らせるが、拓哉から返ってくるのは呆れたようなため息だけだ。理都子は「ちぇー」とわざとらしくふてくされた。
 そしてふと、拓哉の胸元に手を這わせる。

「……拓哉って、骨太なタイプだよね」
「気持ち悪い触り方すんな。離れろ」
「あれ、もしかして結構鍛えてる? お腹硬い。ていうか腹筋割れてる」
「腰痛予防と作画んとき筋肉を確認するためだ、触んなっつってんだろ!」

 ぺたぺたと触れていく身体は当然ながら男のものだ。骨格、筋肉のつき方、そしてわずかに汗の匂い。
 くんくん、と首筋に鼻を寄せると、拓哉はまた嫌そうに身じろぎする。細く黒い髪が、緩やかなカーブを描いて首筋に巻き付いている。理都子はそれを目に留めた後、そこにゆっくり舌先を這わせた。

「っ、なにしてんだよ!」
「んー」

 振り払うように振り向いた拓哉からひょいと離れて、理都子は首を傾げる。舌を這わせた首筋は少しだけ塩気があった。それを名残惜しむように唇を舐める。ちらり、と赤い舌をのぞかせて、にやりとした。

「味見、かなぁ」
「ドーブツかよ!」

 拓哉は嫌そうに言って、自分の襟で理都子が舐めた首筋をごしごしと拭った。

「ひどい。汚いみたいにして」
「汚ねぇだろ、他人の唾液だぞ」
「拓哉って潔癖だよね」
「お前が汚れすぎてるだけだ」

 理都子が何か言う度に、拓哉の苛立ちが増幅していくのが分かる。理都子はむっとして唇を尖らせた。

「拓哉って、ホントに童貞じゃないの?」
「ない」
「だって、経験あったら首舐められたくらいできゃーきゃー言わなくない?」

 理都子が聞くと、拓哉はまたいつもの呆れ顔で理都子を見た。それがひどく冷静に、いっそ冷たく見えるのは、眼鏡のせいか、それとも本当に理都子に呆れているからか。

「経験あったら、どんな相手の首もペロペロ舐めるっていうのか? とんだ痴女だな」

 理都子はじっと拓哉を見つめ、ふ、と鼻で笑った。

「美味しそうなら舐めるよ。拓哉も舐めてみる?」

 言って自分の衿元を、鎖骨を見せるようにずらす。拓哉は理都子の白いもち肌を見ることもなく、「俺の服の衿伸ばすなよ」と言って、画面に向き直った。
 理都子は深々とため息をつく。

「つまんない男」
「つまんなくて結構」
「だって、溜まってんだもん」

 理都子は言いながら、壁にあるクローゼットを開ける。拓哉が「おい」と制止するのも聞かず、中にある段ボールをずりずりと引き出してその前に座り込んだ。

「今日会おうとしてた人、セックス上手いわけじゃなかったけど、身体の相性はまあ、悪くなかったからさー。いろいろ教えてあげればいっかなーって思ってたのになー。今日はどんなプレイしようか考えて、昨日もちょっと想像してオナニーして、さあいざ当日になってすっぽかされるとか、マジでありえない」

 実際のところはすっぽかされたわけでなく、自分から会うのを断ったのだが、そんな経緯などすでに理都子の頭から抜けている。

「どーせ詩乃に何かあったって聞いて、気になってすっ飛んでったのよ。馬っ鹿みたい、そんな気になるなら、私に興味なんて持たずにしっかりつかまえとけばいいのに。ーーあの猫みたいな女」

 別に拓哉に聞かせているつもりもなく、理都子の独白は続く。

「細くて骨と皮だけみたいなあんな人のどこがいいんだろ。絶対、抱き心地は私の方がいいはずなのに。まあ、外を連れ歩くには、モデル体型っていうの? アクセサリーみたいで気持ちいいかもしれないけど。いつでも憂鬱そうな、今にも壊れそうな表情してさー。あれだけ陰気ならクールビューティも笑い種だわ」
「理都子」

 静かな拓哉の声が、理都子の吐き出す毒を止める。理都子がなんの表情も作らないままで箱から顔を上げると、見下ろしている拓哉と目が合った。
 その目は今まで以上に冷たく、理都子の存在を拒むような気配を孕んでいる。馬鹿にしているとか、憐れんでいるとか、そういう類の目ではなかった。
 その目をじっと見上げて、理都子はふ、と鼻で笑う。
 拓哉のその目に、むしろ理都子は安心するのだ。

「ーーで、拓哉も抱いてくれないんでしょ。じゃ、一人でするしかないじゃない。ーーこれ、借りるねー」

 理都子はそう言って、箱の中からバイブを手にした。拓哉が漫画の資料としてもらったり買ったりしたと言うアダルトグッズがつまった箱を、クローゼットに押し戻し、ドアを閉じる。
 拓哉は理都子が部屋を出ていくのを、黙って見ていた。
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