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本編
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【ごめん、支店に用事ができたから、少し遅くなりそう】
制服から私服へと、着替えを済ませた理都子は、届いたメッセージを目にして「ふぅん」と唇を尖らせた。
職場は科学系の博物館だ。理都子はそこで受付嬢をやっている。
博物館と言っても、目的は企業の宣伝だ。
製薬、化粧品などに関する研究開発をしている母体企業が、その成果や活動を社会に還元するために作った。
いわゆる企業の社会的責任、という話が盛り上がった頃に作られ、理都子もタイミングよく採用されたというわけだ。
日によっては団体客の案内や上客の接待などを任されるが、幸い今日はそんなこともなかった。時間を持て余して、受付テーブルの下ではパンプスを脱いだ脚をぶらつかせて過ごしていた。
理都子は友人から「無駄にデカい」と言われる鞄を手にして、トントンとスマホの裏を指先で叩く
何と送るか、返事を考えていた。
ーー支店。
(支店……ねぇ)
頭がくるくると動いて、推測が始まる。
メッセージを送ってきた相手は、今日会う予定だった男だ。
大学時代の友人の元カレ。ーー関係を持ったのは「元」になってから。
そうなるように仕向けたのは理都子だが。
こういうとき、理都子は鼻が利くタイプだと自認している。
一見、人の良さそうなその男の困り顔を思い出しながら、当たり障りのないノリで返事を打った。
【分かったー! 私も今日忙しくって疲れちゃったから、また今度にしよ♪】
(今度、が来るかは知らないけどね)
思いながら、理都子は夜の町へと歩き出した。
***
ぴんぽんぴんぽんぴーーーんぽーーーーーん
昔ながらの呼び鈴の連打。最後はおもいっきり引き延ばしてみると、ドカドカといらだたしげな足音が近づいてきた。
「理都ッ! てめぇ、何時だと思ってんだっ」
「十時ぃ」
玄関を開けた相手に、理都子はぷっくりした唇を尖らせて答える。
相手が不機嫌なのはいつものことだ。理都子自身、現在、大変不満で不機嫌なので、相手のことなど気にせず、ずかずか中へ入っていく。
「あっこら」
「シャワー借りまーす」
勝手知ったる人の家。ドアが閉まるのも確認せずに、タバコ臭いシャツをぐいと脱ぐ。
「なに脱いでんだよ!」と家主が慌てたが、気にしない。脱いだシャツをぽいとビーズクッションの上に投げると、遠慮なく家主に近づいた。
「拓哉くん。今日の理都子さんはとっても不機嫌なの」
拓哉はボサボサの黒髪をがしがしと掻き、「ああそうかよ」と言いながら黒縁眼鏡の奥の視線を泳がせる。
その頬が少し赤いのがわずかに理都子の矜持を満足させた。が、何度も言うように、理都子は今とても不機嫌なのだ。それだけではものたりない。「今日はね」と言って息を吸う。
「会おうねーって約束してた男が元カノの様子伺いに行って予定はキャンセル、他の男で我慢しようかなって町をぶらついてみたけど、理都子さんのおめがねに敵う男はいなくて、とりあえずご飯だけ奢らせてバイバイしてきたところなの」
ひと息に言い放った理都子の言葉に、拓哉は明らかに呆れた顔をした。
「……お前それ、どんだけわがまま……」
「しゃーらーっぷ」
びし、と丸い指先を拓哉の唇に押し付ける。拓哉は口を閉ざして、揺れる視線を理都子の顔に固定すると、強がるように睨みつけてきた。
シャツを脱ぎ捨てた理都子の上半身はブラジャーを纏うばかり。
今日は“そのつもり“だったのでそれなりにセクシーな下着を選んでいる。
ややふくよかな身体の中でも豊満な胸は充分、男の目に毒ーーまたは眼福だろうとは、当人も知っている。
「だってぷにっぷにのお腹の人と寝たくないもん。せっかくこないだ、消防士のゴリマッチョを堪能したのに」
ぷぅと頬を膨らませて、「あーあ」と腕を下ろす。浴室に向かいながらブラジャーに手をかける理都子に、拓哉が慌てた。
「だから、俺の前で脱ぐなっての!」
「なんでよー。どーせ、私には勃たないんでしょ。だったらいいじゃない」
そういう問題じゃねぇだろ、と拓哉が上擦った声で言い、理都子を浴室に押し込める。
「拓哉、電気ー」
薄暗い中で言うと同時に、ぱっと明かりがついた。スイッチは浴室の外にある。拓哉が点けてくれたのだろう。
(なんだかんだ言いながら、面倒見がいいよね)
理都子はくすくす笑いながら、服を脱ぐ。ブラジャー、春らしい花柄スカート、太ももに模様の入ったストッキング、ショーツ。
「あ、忘れてたー」
ガチャ、と浴室を開けると、キッチンで水を飲んでいた拓哉がぎくりと身をこわばらせた。
理都子は一応、脱いだ服で前を隠しながら顔を覗かせる。
「タオルと寝巻き、貸してねー。服、濡れたらやだからここ置いとこ」
「わ、分かったよ。後でそこに置いとくから」
男の一人暮らしである拓哉の家に、脱衣所などという洒落たものはない。バストイレが別になっていることすら恵まれている方だ。
拓哉が目を逸らしたのを見て、理都子は服をぽいと浴室の前に投げ置いた。
セクシーな下着もなにも、隠すことなどしない。まる見えのそのままだが気にしない。
「じゃ、お風呂いただきまーす」
拓哉の返事は聞かず、浴室のドアを閉めてシャワーを捻った。
制服から私服へと、着替えを済ませた理都子は、届いたメッセージを目にして「ふぅん」と唇を尖らせた。
職場は科学系の博物館だ。理都子はそこで受付嬢をやっている。
博物館と言っても、目的は企業の宣伝だ。
製薬、化粧品などに関する研究開発をしている母体企業が、その成果や活動を社会に還元するために作った。
いわゆる企業の社会的責任、という話が盛り上がった頃に作られ、理都子もタイミングよく採用されたというわけだ。
日によっては団体客の案内や上客の接待などを任されるが、幸い今日はそんなこともなかった。時間を持て余して、受付テーブルの下ではパンプスを脱いだ脚をぶらつかせて過ごしていた。
理都子は友人から「無駄にデカい」と言われる鞄を手にして、トントンとスマホの裏を指先で叩く
何と送るか、返事を考えていた。
ーー支店。
(支店……ねぇ)
頭がくるくると動いて、推測が始まる。
メッセージを送ってきた相手は、今日会う予定だった男だ。
大学時代の友人の元カレ。ーー関係を持ったのは「元」になってから。
そうなるように仕向けたのは理都子だが。
こういうとき、理都子は鼻が利くタイプだと自認している。
一見、人の良さそうなその男の困り顔を思い出しながら、当たり障りのないノリで返事を打った。
【分かったー! 私も今日忙しくって疲れちゃったから、また今度にしよ♪】
(今度、が来るかは知らないけどね)
思いながら、理都子は夜の町へと歩き出した。
***
ぴんぽんぴんぽんぴーーーんぽーーーーーん
昔ながらの呼び鈴の連打。最後はおもいっきり引き延ばしてみると、ドカドカといらだたしげな足音が近づいてきた。
「理都ッ! てめぇ、何時だと思ってんだっ」
「十時ぃ」
玄関を開けた相手に、理都子はぷっくりした唇を尖らせて答える。
相手が不機嫌なのはいつものことだ。理都子自身、現在、大変不満で不機嫌なので、相手のことなど気にせず、ずかずか中へ入っていく。
「あっこら」
「シャワー借りまーす」
勝手知ったる人の家。ドアが閉まるのも確認せずに、タバコ臭いシャツをぐいと脱ぐ。
「なに脱いでんだよ!」と家主が慌てたが、気にしない。脱いだシャツをぽいとビーズクッションの上に投げると、遠慮なく家主に近づいた。
「拓哉くん。今日の理都子さんはとっても不機嫌なの」
拓哉はボサボサの黒髪をがしがしと掻き、「ああそうかよ」と言いながら黒縁眼鏡の奥の視線を泳がせる。
その頬が少し赤いのがわずかに理都子の矜持を満足させた。が、何度も言うように、理都子は今とても不機嫌なのだ。それだけではものたりない。「今日はね」と言って息を吸う。
「会おうねーって約束してた男が元カノの様子伺いに行って予定はキャンセル、他の男で我慢しようかなって町をぶらついてみたけど、理都子さんのおめがねに敵う男はいなくて、とりあえずご飯だけ奢らせてバイバイしてきたところなの」
ひと息に言い放った理都子の言葉に、拓哉は明らかに呆れた顔をした。
「……お前それ、どんだけわがまま……」
「しゃーらーっぷ」
びし、と丸い指先を拓哉の唇に押し付ける。拓哉は口を閉ざして、揺れる視線を理都子の顔に固定すると、強がるように睨みつけてきた。
シャツを脱ぎ捨てた理都子の上半身はブラジャーを纏うばかり。
今日は“そのつもり“だったのでそれなりにセクシーな下着を選んでいる。
ややふくよかな身体の中でも豊満な胸は充分、男の目に毒ーーまたは眼福だろうとは、当人も知っている。
「だってぷにっぷにのお腹の人と寝たくないもん。せっかくこないだ、消防士のゴリマッチョを堪能したのに」
ぷぅと頬を膨らませて、「あーあ」と腕を下ろす。浴室に向かいながらブラジャーに手をかける理都子に、拓哉が慌てた。
「だから、俺の前で脱ぐなっての!」
「なんでよー。どーせ、私には勃たないんでしょ。だったらいいじゃない」
そういう問題じゃねぇだろ、と拓哉が上擦った声で言い、理都子を浴室に押し込める。
「拓哉、電気ー」
薄暗い中で言うと同時に、ぱっと明かりがついた。スイッチは浴室の外にある。拓哉が点けてくれたのだろう。
(なんだかんだ言いながら、面倒見がいいよね)
理都子はくすくす笑いながら、服を脱ぐ。ブラジャー、春らしい花柄スカート、太ももに模様の入ったストッキング、ショーツ。
「あ、忘れてたー」
ガチャ、と浴室を開けると、キッチンで水を飲んでいた拓哉がぎくりと身をこわばらせた。
理都子は一応、脱いだ服で前を隠しながら顔を覗かせる。
「タオルと寝巻き、貸してねー。服、濡れたらやだからここ置いとこ」
「わ、分かったよ。後でそこに置いとくから」
男の一人暮らしである拓哉の家に、脱衣所などという洒落たものはない。バストイレが別になっていることすら恵まれている方だ。
拓哉が目を逸らしたのを見て、理都子は服をぽいと浴室の前に投げ置いた。
セクシーな下着もなにも、隠すことなどしない。まる見えのそのままだが気にしない。
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