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後日談② 花田先生と事務員さんのその後の話
事務員さんと理科教諭(1)
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理科教諭の花田を一目見たとき、由希子は思いきり動揺してしまった。
由希子よりも頭一つ高い背に、少年のような無邪気な笑顔。
正直にいって、「タイプ」だった。
体型もすらりとているなぁと思っていたら、運動も苦手でないらしい。昼休みに生徒たちに引っ張り出され、サッカーをしていた姿を見たこともある。
そのときには、グラウンドがよく見える位置に事務室があってよかったと、思わず神に感謝したくらいだ。
食べ終えた弁当の蓋を閉めるや、無心でグラウンドを見つめる由希子に、事務長の蒲池は笑った。
「花田先生、若いねぇ。すっかり生徒に紛れてるよ」
言う蒲池の目はいたずらっぽく輝いていて、由希子は頷きながら、思わず顔を赤らめたのだった。
花田は少年がそのまま大きくなったような雰囲気があったが、一方でどこか包容力を感じる男だった。
それは生徒たちとのやりとりや、教員同士でのやりとりでも見られたし、由希子に対してもそうだった。
あるとき、事務室に少し大きい品物の納品があった。宅配業者は事務員室の横にある教員玄関に置いて行ってしまい、受け取り確認をした由希子が中に運び込もうと気合いを入れたとき、たまたま通りかかった花田が当然のように担ぎ上げて運んでくれた。
「す、すみません」
ほとんど会話をしたことのない花田にそう言うと、
「いや、別に。最近、筋トレサボり気味だったし丁度いいです」
あっさり笑ってそう言った花田の笑顔だったが、由希子は残念ながらろくに見ることができないまま、感謝の意のつもりで「すみません」と繰り返した。
その「すみません」という言葉が、花田を苛立たせていたことには、当人に言われるまで気付かなかった。
「すみません」という言葉は、謝罪にも感謝にも使える。その便利さに甘えていたというよりも、由希子にとっては明確な解釈表現を避けるための手段だった。
相手の意図を汲むことも、自己表現も、由希子は苦手だ。
ときどき「空気が読めない」と言われる由希子にとっては、自分の言葉が相手にどう思われるかが重要だった。
謝罪を示すにも感謝を示すにも、相手が不快に思わない言い方をと思ううち、間違いのない「すみません」を使うようになったのだ。
それをこそ、不愉快と思うこともあるのだと、大人になって久しい今になって教えてもらった。
そのことには、きちんと感謝をしなければとーーそして、「由希子は花田を嫌っている」という誤解だけは、きちんと解かねばと、どうにかこうにか、伝えたつもりだ。
残念ながら、上がりすぎていて何と言ったかは覚えていないが。
ただ、伝えた後の花田の反応だけははっきり覚えている。
由希子好みの少年じみた目を丸く見開いたかと思えば、一瞬後に噴き出した。
子猿にも似て見える、愛嬌のあるその笑顔が、自分だけに向けられたものだということが信じられず、動揺のあまりその夜は寝付けなかった。
そんな日があってからというもの。
花田は折につけ、由希子に声をかけて来る。
「加地さん、おっはよー」
「おおおはようございます」
「あははは。今日も相変わらずだね」
由希子は歳若なこともあり、事務員の中で一番早く出勤する。それを知っていたのかどうか、花田は職員玄関の横に位置する事務室に、毎朝挨拶をしていくようになった。
笑いながら手を振る優しい笑顔に、由希子の胸は毎朝暴れ狂う。
(う、嬉しい……けど)
花田の笑顔を受け取るのは、どうにも慣れない。
いつだって、花田のようなタイプの男に淡い恋心を抱いては、近づくこともできないまま過去にしていた由希子だ。
したたかな女子であれば「チャンス!」とばかりにアプローチするのであろうが、そうした甲斐性は由希子にはない。
皆無である。
自分の気弱さにため息をついた。
(……それに)
由希子は覚えているのだ。
この夏休み中に同窓会をしたという花田が、数学教諭の杉山が口にした「再会して燃え上がる昔の恋」という言葉を否定しなかったことを。
(……花田先生くらい、素敵な人なら……)
久々に会った同級生。どういう女性かは知らないが、幼い日を共有できる気心知れた人に、敵うとも思えない。
どうせ、ただの憧れだ。
そう思う一方で、由希子は毎朝、花田と交わす挨拶を楽しみにしている。
由希子よりも頭一つ高い背に、少年のような無邪気な笑顔。
正直にいって、「タイプ」だった。
体型もすらりとているなぁと思っていたら、運動も苦手でないらしい。昼休みに生徒たちに引っ張り出され、サッカーをしていた姿を見たこともある。
そのときには、グラウンドがよく見える位置に事務室があってよかったと、思わず神に感謝したくらいだ。
食べ終えた弁当の蓋を閉めるや、無心でグラウンドを見つめる由希子に、事務長の蒲池は笑った。
「花田先生、若いねぇ。すっかり生徒に紛れてるよ」
言う蒲池の目はいたずらっぽく輝いていて、由希子は頷きながら、思わず顔を赤らめたのだった。
花田は少年がそのまま大きくなったような雰囲気があったが、一方でどこか包容力を感じる男だった。
それは生徒たちとのやりとりや、教員同士でのやりとりでも見られたし、由希子に対してもそうだった。
あるとき、事務室に少し大きい品物の納品があった。宅配業者は事務員室の横にある教員玄関に置いて行ってしまい、受け取り確認をした由希子が中に運び込もうと気合いを入れたとき、たまたま通りかかった花田が当然のように担ぎ上げて運んでくれた。
「す、すみません」
ほとんど会話をしたことのない花田にそう言うと、
「いや、別に。最近、筋トレサボり気味だったし丁度いいです」
あっさり笑ってそう言った花田の笑顔だったが、由希子は残念ながらろくに見ることができないまま、感謝の意のつもりで「すみません」と繰り返した。
その「すみません」という言葉が、花田を苛立たせていたことには、当人に言われるまで気付かなかった。
「すみません」という言葉は、謝罪にも感謝にも使える。その便利さに甘えていたというよりも、由希子にとっては明確な解釈表現を避けるための手段だった。
相手の意図を汲むことも、自己表現も、由希子は苦手だ。
ときどき「空気が読めない」と言われる由希子にとっては、自分の言葉が相手にどう思われるかが重要だった。
謝罪を示すにも感謝を示すにも、相手が不快に思わない言い方をと思ううち、間違いのない「すみません」を使うようになったのだ。
それをこそ、不愉快と思うこともあるのだと、大人になって久しい今になって教えてもらった。
そのことには、きちんと感謝をしなければとーーそして、「由希子は花田を嫌っている」という誤解だけは、きちんと解かねばと、どうにかこうにか、伝えたつもりだ。
残念ながら、上がりすぎていて何と言ったかは覚えていないが。
ただ、伝えた後の花田の反応だけははっきり覚えている。
由希子好みの少年じみた目を丸く見開いたかと思えば、一瞬後に噴き出した。
子猿にも似て見える、愛嬌のあるその笑顔が、自分だけに向けられたものだということが信じられず、動揺のあまりその夜は寝付けなかった。
そんな日があってからというもの。
花田は折につけ、由希子に声をかけて来る。
「加地さん、おっはよー」
「おおおはようございます」
「あははは。今日も相変わらずだね」
由希子は歳若なこともあり、事務員の中で一番早く出勤する。それを知っていたのかどうか、花田は職員玄関の横に位置する事務室に、毎朝挨拶をしていくようになった。
笑いながら手を振る優しい笑顔に、由希子の胸は毎朝暴れ狂う。
(う、嬉しい……けど)
花田の笑顔を受け取るのは、どうにも慣れない。
いつだって、花田のようなタイプの男に淡い恋心を抱いては、近づくこともできないまま過去にしていた由希子だ。
したたかな女子であれば「チャンス!」とばかりにアプローチするのであろうが、そうした甲斐性は由希子にはない。
皆無である。
自分の気弱さにため息をついた。
(……それに)
由希子は覚えているのだ。
この夏休み中に同窓会をしたという花田が、数学教諭の杉山が口にした「再会して燃え上がる昔の恋」という言葉を否定しなかったことを。
(……花田先生くらい、素敵な人なら……)
久々に会った同級生。どういう女性かは知らないが、幼い日を共有できる気心知れた人に、敵うとも思えない。
どうせ、ただの憧れだ。
そう思う一方で、由希子は毎朝、花田と交わす挨拶を楽しみにしている。
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