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本編

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 指定の場所に足を向けてみれば、そこには父だけでなく里崎もいた。意外なような納得したような顔で父と里崎を見比べると、里崎の号令で歩き始める。
 父だけでなく里崎も、多弁な方ではない。黙って男三人で歩いていると、客引きが明るく声をかけて来る。
 それを一瞥もせず進んで行くと、里崎は慣れた様子で地下へ続く階段を下りて行った。

「よく来る店なんだ。あまり広くないんだがね、落ち着いて話ができる」

 里崎は言いながら店員に人数を述べた。店主が声をかけるのに応じてから、奥へと通された。
 半個室の部屋は四人がけだ。父と里崎は向かい合う形で座った。冬彦は少し距離を開けて父の隣に座る。

「いや、いつも急にお呼び立てしてすまないね」
「いえ。まあ、暇してますから」

 謙遜とも自虐ともつかないことを言い返し、冬彦は口の端を上げる。
 隣で父が睨みつけてきたのを感じたが、あえて気付かないふりをした。

「ご注文は」
「とりあえずビールを。それでいいかな?」
「はい。いただきます」

 里崎の確認に父子で頷く。里崎は飲み物に加え、適当に二、三つまみを運んで来るよう頼んだ。
 店員も承ってカウンターの奥へと引っ込んだ。腰に巻いた黒いエプロンを何気なく目で追っていた冬彦は、ふと視線を感じて父を見やる。
 女の尻を見ているとでも思ったのだろうか、父は渋面になっていた。
 やれやれだ、と冬彦は内心呆れる。

(もし俺が飢えてるんだとしても、こんなとこで引っ掛けなくても。父さんの思うほど機会は少なくないよ)

 しかしそれは冬彦についてのことだ。もしかしたら父は、こういうところで引っ掛けた実績があるのかもしれない。
 いずれにせよ、冬彦にとってはもはやどうでもいいことだが。
 店員がビールとお通しを運んできた。社交辞令じみた空気で互いのジョッキを重ね、泡立つ液体を喉に流し込む。

「まあ、飲み食いしながら話そう。何でも頼んでくれて構わないよ」
「ありがとうございます。でも、今日は昼が遅かったものですから、あまりお腹が空いていなくて」

 穏やかな微笑みと共に答えながら、冬彦は里崎の表情を伺う。
 里崎は苦笑した。

「いや、君のような男が相手だと、何でも見透かされているようで怖いね」

 それは甥っ子に対してもそう思うのだろうか、と冬彦の頭を先日の話がかすめる。
 冬彦によく似た、梨華の兄。そして、梨華のーー
 考えかけて、やめる。それもこれも、下世話な推測にしか過ぎない。

「写真のことは、もう?」

 冬彦はジョッキに落としていた視線を里崎に向けた。表情はあまり変わらないままに、里崎の穏やかな視線が冬彦に向いている。

「……父から、聞きました」

 聞いたどころではない。どやされたのだが、そこまで言う必要はない。
 里崎は苦笑した。

「梨華は昔、つき合っていた男から、ストーカー被害を受けたことがあってね」

 ぽつりぽつりと、里崎は話した。

「なかなかしつこくてーー警察にも言ったが、本気で取り組んではくれなかった。どうにかしなければと、その代わりに興信所を使ったんだが、そこの連絡先を聞かれて、変だなと思ったんだ」

 だからこそ、先日わざわざ冬彦に会ったのかと納得する。
 里崎は息を吐き出した。
 座ったまま、机に額をつけるように頭を下げる。

「気持ちの悪い思いをさせてすまなかった」

 冬彦は一瞬店内を見て慌てた。半個室とはいえ、完全に閉鎖された空間というわけではない。常連客らしいことから考えても、謝罪の姿を見られたら里崎が困るだろう。

「あの、頭を上げてください」

 言うには言ったが、そこから先の言葉は出ない。
 気分の悪い思いをさせられたのは間違いないのであって、気にしてないとも言いきれない。そもそも、梨華の行為は名誉毀損を目的としたものだ。明確な悪意によるものである以上、フォローするにも限界があった。

「梨華には、私からくれぐれも言っておく。写真の他にも何か……あるかもしれない。本当に、申し訳のないことをした。姪かわいさと言って、許されることではないと思っている」

 言う里崎の目は、言葉通り厳しさを帯びていた。その注進に梨華が素直に応じるかどうかは二人の関係次第だろう。
 彼女の手元には写真の他にも例のえげつない録音データがある。恋人同士がむつみ合う音声など、赤の他人が聞いて何になるとも思えないが、冬彦とあゆみが弁護士と中学教諭という仕事についている以上、流出は避けたいところだ。
 一瞬の内にそんな計算が頭を駆け巡る。そんな冬彦の表情を見て、里崎が吐息をついた。

「あの子が素直に聞かないようなら、甥も呼ぼう。梨華は甥の言うことなら間違いなく聞くからね」
「……兄、と言っていたあの?」

 里崎は頷いて、ビールを口にした。
 冬彦もそれに倣うように、ジョッキを口に運ぶ。

「それにしても、本当にすまないことをした。あの子がそれを狙うつもりだったかどうかは知らないが、親子の関係にヒビを入れて……小野田くんから聞かなければ、知らないままで終わったところだ」

 冬彦は意外に思って父を見た。
 二人の女と写った息子の写真を見た父は、恥だと思ったはずだ。外聞を気にして誰にも言わないと踏んでいたのだが。

「今日の昼休み、君が梨華に失礼をしてすまないと、頭を下げにきたんだよ。私は何のことだか分からなくてね。写真のことを聞いてようやく合点が行った」

 冬彦がちらりと父を見ると、父は不機嫌な様相のままだった。

「息子がしでかした過ちなら、親が頭を下げて当然だろう」

 ほう、と冬彦の口から思わず吐息が漏れる。何だ、と父に言われて、いや、と曖昧にごまかした。
 父が自分のことを息子と言うのが、どこか不思議な感じがしたのだ。

「でも……そういうことなら、助かりました。私はもう、決めた人がいるので」

 冬彦が言うと、里崎は微笑んだ。

「梨華じゃない方の女性かな」
「そうです」
「落ち着いた……地に足のついた雰囲気の女性に見えたよ」

 里崎の言葉を、冬彦は微笑みだけで受け止める。里崎はちらりと父を見て、笑った。

「だがまあ、ご両親とよく話をした方がいい。結婚は当人だけの問題ではないからね」

 言ったのはふて腐れて黙っている父の気持ちを慮ってのことだろう。
 冬彦は頷きながら、またビールを傾けた。
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