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本編

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 2階に上がった両親と入れ代わるように、ぱたぱたと軽い足音が階段を降りて来るのが聞こえた。
 やや放心状態でソファに身体を預けた冬彦は、がちゃりと開いたドアにちらりと視線を投げる。
 そこには相変わらず寝癖がついたままの髪と、無精髭を残した口元で微笑む秋政がいた。

「お疲れさま。思ったよりあっさりしてたね」

 二人とも覚悟できてたのかな、と秋政がぼやき、冷蔵庫へと向かう。
 重みのあるドアが開く音と共に、瓶がぶつかり合う音がした。

「飲み物もないんじゃない。何か飲む?」
「いや……いい」
「あ、そう」

 秋政は言って、自分の炭酸水を手にした。
 キャップを回すと、ぷしゅ、という音がする。
 それを喉に流し込みつつ、秋政は冬彦を観察するように見ていた。
 足れ目がちな目はどこか面白がっている。
 冬彦はその視線から逃れたくて、視線を反らした。
 先ほど父が見ていたレースカーテンの方へ顔を向ける。
 その窓の向こうには、家の外から見えたガーデニングがある。
 小野田家を取り繕う、義務感と体面で成る花と木々。
 ぼんやりしている冬彦を見て、秋政はくつくつと笑った。

「家、出るんでしょ」
「ああ」
「家出が親公認になってよかったね」

 秋政は笑いながら、また炭酸水をあおった。しゅわしゅわ、と気泡が動く小さな音が聞こえる。
 さきほどまで父が座っていた冬彦の正面のソファに腰掛け、秋政は長い脚の上に頬杖をついた。
 やはり面白がるようなその表情に居心地の悪さを感じつつ、冬彦はため息をつく。
 向き合うと、弟は穏やかな微笑みを返した。

「秋政……」
「俺も、家出ようかなぁ」

 呼びかけたはいいが言葉を失った兄を救うように、秋政は軽やかな声音で言った。
 冬彦は眉を寄せる。

「……矛先、お前に行ったら、ごめんな」

 声はさきほどの父と同じほどに小さくなったが、秋政にはしっかり聞こえたようだ。目を丸くしてから笑った。

「その前に、空から槍が降るかも」

 冬彦が唇を引き結び、表情で説明を求めると、秋政は笑った。

「兄さんに謝られる日が来るなんてね」

 言いながら立ち上がり、廊下に続くドアに手をかける。
 そこで思い出したように立ち止まった。

「……相手、どんな人なの。お見合いした人じゃないんでしょ?」

 冬彦は舌打ちを噛み殺す。秋政に何かを言った記憶はない。恐らく母が何か言ったのだろう。
 何も言おうとしない冬彦に、秋政はますます楽しそうに笑う。

「同窓会で再会したとか」

 冬彦はだんまりを続けた。が、鈍く見えて決して鈍くない弟はそれを肯定と取ったのだろう。楽しげな気配を隠しもせず、またドアから離れて冬彦に近づく。
 冬彦の座るソファの後ろに立った秋政は、その背もたれに手をかけ、冬彦の耳もとに口を寄せた。

「……もしかして、相良さん?」

 冬彦は今度こそ舌打ちをして、虫を払うように耳元で手を振る。
 秋政はそれを易々と避け、からりと笑った。

「あはは、そうなんだ。そっかそっか。よかったね」

 冬彦は睨みつけるように秋政を見た。それを説明を求める視線と見たのだろう、秋政はにっこりと笑う。

「だって、初詣のとき、兄さんも相良さんも、互いに意識してたじゃない」

(いつの初詣だよ)

 冬彦はまた舌打ちをしそうになり、唇を引き結んだ。
 ふいと顔を反らすと、頬杖をついて秋政から顔を隠した。

「……知るか、そんなん」
「あはははは」

 秋政は心底楽しげに笑う。笑い声はリビングのドアをくぐるとフェードアウトし、代わりにしっかりと床を踏み締める足音が2階へと向かった。
 冬彦はまた一人になったリビングで、ゆっくりと上体を起こす。
 背中をソファの背もたれに預けると、やれやれと息を吐き出した。
 ぼうっと、天井と壁の境目を見つめる。
 感じている疲労は、緊張から解放されたせいだ。
 そう分かって苦笑した。

「よし」

 ぽんと膝を打ち、立ち上がる。
 
 ーー喧嘩別れは、駄目だからね。ちゃんと話し合うんだよ。親子なんだもん、話し合えば絶対分かり合えるから。

 ふと、あゆみが見送り際に言った言葉を思い出した。
 真剣な目で、小さく拳すら握って力説する彼女は、こんな家族もいるのだということを知らないのかもしれない。
 苦笑を浮かべつつ廊下につながるドアを開けた。
 家に入った当初は薄暗く感じた玄関が、窓から漏れる明かりで充分に明るく見える。
 家を出て、鍵をかけ直した。
 外はまだ明るい。
 手にしたスマホで鳴らしたコール音は、数回にも満たない間に途切れた。
 向こうで硬い声が応じる。
 冬彦は笑った。

「あゆみ? 今から帰るよ」

 冬彦は踏み出す歩幅を、ごくわずかに、大きくした。
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