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本編

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 あゆみが住んでいるのは2Kのマンションだった。入ってすぐ右にキッチンがあり、壁向きに小さな1人掛けのテーブルと椅子が置いてある。日頃はそこで食事を済ませているらしいと見て取る。
 奥に二部屋繋がっているが、間の仕切りが開けたままなので奥の部屋まで見える。一番奥が寝室らしくベッドとテレビ台があり、手前の部屋には書類棚と座卓、その上には資料が広がっていた。

「真ん中の部屋は仕事部屋。資料広がっててごめんね」

 言いながらあゆみは冬彦を中へ招き入れた。冬彦は入って靴を整える。

「麦茶なら冷蔵庫にあるよ。いる?」
「いや、いい。料理の材料確認していい?」
「ほんとに作ってくれるの?」

 あゆみが笑った。冗談だと思われていたのかと冬彦は肩をすくめる。手を洗うと、食卓横にある冷蔵庫を開けた。冷蔵室と冷凍室が一つずつの一人暮らし用のサイズだ。
 とりあえずそこに卵と、痛みにくい野菜があることは確認して、あゆみを見る。

「米とかは?」
「炊いてもいいけど、冷凍庫にもご飯入ってるよ」

 あゆみは言いながら冷凍庫を開けた。一食分ずつになったご飯と、冷凍の弁当用惣菜が入っている。

「弁当持っていくの?」
「んー、じゃないと食べはぐれることがあるからね。それでも食べられないこともあるけど」
「とんだブラック企業だな」
「教師なんてそんなもんよ」

 あゆみは軽やかに笑って、冷蔵庫の中にあった麦茶を二つのコップに注ぐ。

「なんか食べたいもんある?」
「ふふ。作ってくれるなら文句言いません」
「あ、そう」

 あゆみは笑んだ目のまま麦茶を口にした。冬彦がその頬に手を伸ばす。
 コップを下げたあゆみの頬を、冬彦がそっと包んだ。

「……変なの」
「何が?」
「初めてなのにね。うち来るの」

 冬彦はあゆみに続きを促すような視線を送る。あゆみは笑った。

「小野田くんがいても、違和感がない。不思議」

 冬彦は微笑んであゆみに近づき、そっと抱き寄せた。

「ずっと一緒にいたような気がする?」
「……うん。変なの」
「そうだね」

 あゆみは冬彦の腕の中でくつくつ笑う。その機嫌のよさは少女のようだった。

 ずっと一緒にいたような。
 中学生の頃から。
 近くに。隣に。ずっと。

 冬彦の心に、じわりと温かさが広がっていく。

「小野田くんも?」
「ん?」
「そんな気がしてるの?」

 腕の中からあゆみが冬彦を見上げて来る。冬彦は笑って、その頭を撫でた。

「うん。してる」

 頷いて、頬に手を添え、唇を重ねる。
 触れ合うだけの口づけを受けるあゆみは抵抗することもなく目を閉じた。
 そっと離れ、互いの目を見つめ合うと、照れ臭さが込み上げて笑った。
 あゆみが手にしたままだったコップを机に置き、くすくす笑いながら冬彦の背中に手を回す。
 冬彦は優しくそれを受け止めた。あゆみが冬彦の胸に頬を寄せる。

「やだなぁ」
「何が」
「夢見てるみたい」

 あゆみは夢でないことを確認するかのように、冬彦の背中に回した手に力をこめた。

「目が覚めたら、中学生に戻ってて、相変わらず無愛想な小野田くんの尻を叩いて、ああまたオカンみたいなことしちゃったって後悔したりして」
「そんな後悔してたの?」
「してたよー」

 くつくつ笑い、あゆみは冬彦を見上げる。

「男の子は好きな子いじめたがるっていうけど、女の子は好きな子の世話焼きたがるよね」

 冬彦はあゆみの顔を見下ろしながら目をまたたかせた。
 あゆみの表情はすっかり緩み、親しいものに見せる目になっている。
 彼女の素直さが故か、それとも、本当に自分に気を許してくれているからこそかーー
 後者だと思おう、と自分に言い聞かせつつ、冬彦はあゆみの髪を撫でる。

「そういうもん?」
「そういうもん。生徒たち見てても思う。アドバイスしたくなっちゃう。オカンになったら駄目よって」

 あゆみは冬彦の背中に回していた手を滑らせ、胸の前から冬彦の頬へと伸ばした。
 冬彦の両頬に手を添え、懐かむような笑顔を浮かべる。

「どうやったら近づけるのか、わかんなかったんだもの。小野田くんはいつもみんなに囲まれてて、可愛い子もたくさんいて。とてもじゃないけど女の子としては近づけなかった」

 冬彦は息を吐き出した。

「だったら、せめてスカート履いて来るとか、すればよかったんじゃねぇの」
「やだよー。小学生のときにスカートめくり流行ってから、嫌いになっちゃったんだもん、スカート。似合わないし」

 言われて気づく。そういえばあゆみは、今でもスカートをはかないらしい。同窓会以降、見た姿はどれもパンツスタイルだった。

「……はけばいいじゃん」
「持ってないもん」
「買ってあげるよ」
「えっ、えー」

 どこか慌てるあゆみに、冬彦は微笑む。

「じゃあ、俺の前でだけでいいから。家の中だけでもいいし」
「……それ、意味あんの?」
「あるある」

 言いながら、冬彦はあゆみの背中に回していた手でやんわりとその背を撫でる。
 そのタッチにそれまでと違う意図を察し、あゆみが身体を強張らせた。

「……あの?」
「なに?」
「その、手は……どういう」
「別に、気にしないで」

 冬彦は微笑みながら、あゆみの身体を撫でさする。背中、肩、腰回りと手が降りていき、あゆみが慌ててその手を押さえた。

「ま、待った。ストップ。そこまで」
「なんで?」
「だ、だって……」

 頬を染めたあゆみが目をさまよわせ、冬彦を見上げる。
 その必死さに、冬彦は噴き出しそうになりながらも微笑のまま堪えた。

「な、なんか怪しい」
「怪しいとは?」
「そ、そのぉ……」

 直接的な言葉を避けようとしているのだろう。あゆみは言葉を探すような仕種をした後、うつむいた。

「……えっちなこと、しようとしてるみたいで」

 か細い声に、冬彦は堪えられず噴き出す。
 くすくす笑いながらあゆみを抱きしめ、その耳元に口を寄せた。

「うん。したいなーと思ってる。駄目?」
「だ、だから、明日の予習が」
「予習が終わったらいいのな?」

 あゆみが黙る。冬彦はくつくつ笑った。

「明日の予習があるから駄目なんだよな? じゃあ、それが終わったらいいってことでしょ?」

 冬彦が確認するように繰り返すと、あゆみは冬彦を迫力のない目で睨みつけた。

「……小野田くん」
「何でしょう」
「弁護士さんが、そういう、素人の言質を取るような真似しちゃいけないと思います」
「素人っつったって、国語の教員だろ」
「な、なんでそれを」
「唯一の得意科目だって言ってたろうが」

 冬彦はにやりとしながら、あゆみの頬を撫でた。
 唇が触れ合いそうな距離にまで顔を近づけ、その目を覗き込む。

「言葉を仕事道具にしてるのは、どっちも一緒だ」
「そんなーー」

 なおも言いすがろうとするあゆみの唇を、冬彦の唇が塞ぐ。あゆみはまばたきをして、物言いたげな目で冬彦を見た。
 冬彦はいたずらっぽい笑みを浮かべながら唇を離し、あゆみの唇を人差し指で塞ぐ。

「予習、するんだろ」
「す、する……」

 冬彦が抱擁を解くと、あゆみはほっと息を吐き出した。
 その頬の赤さを見て取って満足すると、冬彦は玄関先へ向かった。

「買い物してくる。コンビニあったよな」
「え、あ、うんーー」
「何か欲しいものあったら連絡ちょうだい。買ってくる」
「あ、ありがとう。とりあえず大丈夫」

 あゆみは戸惑った表情で靴を履く冬彦を見ている。靴紐を締め終わると、冬彦が身体を起こした。

「じゃ、あゆみ。ちゃんと仕事してろよ」
「……分かってるよ」
「無駄ごとしてたらおしおきな」
「……おしおき?」

 なんとなく嫌そうな顔をするあゆみに、冬彦は笑いながらドアノブに手をかける。

「そう、おしおき。目標時間決めとこう。どれくらい時間かかりそう?」
「え? え……に、二時間くらい、かな……」
「じゃあ、二時間ね」

 冬彦は腕時計を見た。15時半。二時間後だと夕飯の時間にはちょうどいい。

「オッケー。がんばってね」

 言って、あゆみの頬に手を伸ばす。戸惑いながら冬彦を見上げるあゆみの頬に唇を落とし、またドアへ向かった。

「じゃ、行ってきます」

 あゆみは照れたらしい。頬に少し赤みが走った。

「……行ってらっしゃい」

 冬彦は笑ってドアを開けた。
 交わした挨拶は不思議と自然に感じられて、照れ臭かった。
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