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本編
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指定されたホテルは鉄道会社の系列で、駅から徒歩数分のところにあった。
立ち並ぶビルの横には室外機が並べられ、ときどき細い通りから熱風を感じつつ雑踏を掻き分けて進む。
ホテルに着く頃には、電車の中で冷やされた身体も少し汗ばんでいた。
見合い、というのがどういう形式のものかは分からないが、場所がそれなりなので、夏用のスーツにノーネクタイ。
ちなみに自宅を出るときに、水泳に出かけようとしていた秋政が見かけて目を丸くした。いつ買ったとも知れない服に無精髭の弟と、スーツ姿の兄。
「兄さん、ビシッと決めてどうしたの」
問われた冬彦はあきれた顔を弟に向け、
「お前なぁ。せめて髭ぐらい剃れよ」
指摘された秋政は肩を竦めて黙った。
そんなやりとりを思い出しつつ、ホテルへ向かって歩いていく。
待ち合わせ場所についた冬彦は、初老の男性に声をかけられた。男性の後ろには背の高い女が立っている。こざっぱりとしたワンピースは白地に小花柄がちりばめられており、着る人を選びそうだが、少なくとも違和感はなかった。
「小野田……冬彦くんだね」
「はい。初めまして」
冬彦は男性と女を見ながら挨拶を述べた。が、女の顔に既視感を覚える。
歳のころは冬彦よりも二、三下というところか。
(……どっかで見たような)
思いはするが、女は何も言わずににこりと笑うだけだ。冬彦は男性の紹介を受け、二人でお茶でもしてこいとホテルのレストランへ促された。
14時と、ちょうどお茶の時間のレストランは、思ったよりも込み合っていた。お見合いなど流行らないと思っていたが、見渡す限り、こうしたところにいるのはカップルと見合いが半々のようだ。いるところにはいるものだなと感心しながら席に着き、ウェイトレスにコーヒーを頼む。女ーー梨華はレモンティーを頼んだ。
白いテーブルクロスが引かれたテーブルの上には、一輪挿しの花が置いてある。
向き合って座った梨華はちらちらと冬彦の顔を見上げ、ご機嫌にしている。どちらかというとすました風情のある美人だが、その笑顔には愛嬌もあった。
気まずい沈黙が訪れるより前に、梨華が口を開いた。
「お見合いは初めて?」
「え? ……ああ、まあ」
冬彦が答えると、梨華は笑った。
「私も初めて。だから、小野田さんがいいっておじさんに言ったの」
その言葉に違和感を覚え、冬彦は首を傾げる。
「……あの。やっぱりどっかで会ったことあります?」
「あはは」
梨華は笑った。
「化粧とか服とか違うから分からないですかね。I商事の秘書やってるんですよ、私」
言われてようやく納得した。どこかで見たと思ったら、伯父の会社の取引先だ。思わずああと頷く冬彦を見て、梨華は軽やかな笑い声をたてた。
「小野田さんが来る日、秘書のみんな気合い入れて化粧直したりしてるんですよ。アポの電話も取った人は羨ましがられるし。知ってました?」
知らないが、予想していなかった訳ではない。行く先々で、色目には満たない好奇心の眼差しを向けられる。
それは仕事中だけではなく、ほとんど日常と化しているが。
そう答えるわけにもいかないので、冬彦は曖昧な表情のまま、肩をすくめた。
ウェイターが飲み物を持ってくる。
「飲み終わったら、少しぶらつきません?」
梨華が首を傾げると、巻髪を結わえたポニーテールが頭後ろで揺れた。
「……お見合いなのに?」
「お見合いって言ったって、ここでじっとしてなきゃいけないなんて決まりないでしょう」
「……まあ、それもそうか」
梨華は笑って、レモンティーの入ったカップを手に取る。
口元にそれを引き上げながら、上目遣いになった。
「小野田さんと、ちょっとデート気分、味わってみたいんです。……駄目?」
じっと見上げられ、冬彦は目を反らす。コーヒーカップに口をつけると、香ばしい苦みが口に広がった。
(……くだらねぇ)
思いながら、嘆息する。
「うん。いいよ。ーー行こうか」
ビジネス用の笑顔を貼付けた冬彦の投げやりな言葉に、梨華はにこりと笑顔を返してきた。
* * *
「小野田さん、彼女いないんですか」
「いないよ」
「どうして?」
お茶を飲み終えた二人は、ホテルから外に出た。
湿度の高い空気が肌にまとわりつく。
隣を歩く梨華の髪が、歩みに合わせてふわふわと揺れる。どこかつかみどころのない彼女に、そのふわふわした巻髪はよく似合っていた。
「遠慮ないね、随分」
「あ、すみません。ふふ」
梨華は笑って冬彦を見上げる。女にしては背が高いが、冬彦よりは十センチほど下に目がある。
「じゃ、遠慮ないついでに、手とか握っちゃってもいいですか?」
冬彦は少し驚いたが、渡航経験があるという話を思い出し、肘を差し出した。
「腕ならいいよ」
「わーい」
梨華は無邪気な声をあげ、冬彦の肘に手を添える。
「小野田さん、どうしてお見合いなんか引き受けたんですか?」
「え?」
「だって、そんなことしなくても、女に困らないでしょ」
冬彦は言葉に迷った。自棄だったのだと言えば早いが、それも躊躇われて話をすり替えることにする。
「君こそ、男に困らないでしょ。どうして見合いなんかしたの」
梨華はちらりと冬彦を見上げた。話をすり替えたことに気づいたらしい。が、梨華はただ笑って答えた。
「おじさんの知り合いなら、いい男いるかなぁって。話だけでも聞いてみようかと思ったら、小野田さんの名前出てきたから」
梨華は言って、冬彦の腕を胸元に引き寄せた。肩に頬を寄せ、また上目遣いで冬彦を見上げる。
マスカラでくるりと伸びたまつげに縁取られた目元は、好む男も多いだろう。冬彦は黙ってそれを見下ろした。
「小野田さん。私、カタイこと言わないから、相性確認してくれてもいいよ」
囁くような声に、冬彦は苦笑を返す。
「そうだなぁーー考えとくよ」
「あはは」
梨華は楽しげに笑った。
「小野田さん、意外と硬派?」
「そういうつもりもないけど」
答えながら、思い直す。
この女を抱いたら、あゆみを抱いた自己嫌悪感を、上書きすることができるだろうか。
不意に黙り込んだ冬彦を見て、梨華はまた笑った。
「大丈夫、抱いたんだから責任取ってとか騒いだりしないから。ちょっと興味あるだけ」
「興味?」
「小野田さんみたいな男の人、日本で見たの初めてだから」
冬彦は首を傾げた。
「……よく分からないけど」
「いいの。私が分かれば」
梨華は笑う。
「ねえ、映画とかどう? あんまり好きじゃない?」
「いいよ。嫌いじゃない」
「正直ね」
笑う梨華に、冬彦は目を上げる。
「そういうとき、普通なら嘘でも『好き』って言うところじゃない?」
指摘されて、冬彦はまた肩をすくめた。
立ち並ぶビルの横には室外機が並べられ、ときどき細い通りから熱風を感じつつ雑踏を掻き分けて進む。
ホテルに着く頃には、電車の中で冷やされた身体も少し汗ばんでいた。
見合い、というのがどういう形式のものかは分からないが、場所がそれなりなので、夏用のスーツにノーネクタイ。
ちなみに自宅を出るときに、水泳に出かけようとしていた秋政が見かけて目を丸くした。いつ買ったとも知れない服に無精髭の弟と、スーツ姿の兄。
「兄さん、ビシッと決めてどうしたの」
問われた冬彦はあきれた顔を弟に向け、
「お前なぁ。せめて髭ぐらい剃れよ」
指摘された秋政は肩を竦めて黙った。
そんなやりとりを思い出しつつ、ホテルへ向かって歩いていく。
待ち合わせ場所についた冬彦は、初老の男性に声をかけられた。男性の後ろには背の高い女が立っている。こざっぱりとしたワンピースは白地に小花柄がちりばめられており、着る人を選びそうだが、少なくとも違和感はなかった。
「小野田……冬彦くんだね」
「はい。初めまして」
冬彦は男性と女を見ながら挨拶を述べた。が、女の顔に既視感を覚える。
歳のころは冬彦よりも二、三下というところか。
(……どっかで見たような)
思いはするが、女は何も言わずににこりと笑うだけだ。冬彦は男性の紹介を受け、二人でお茶でもしてこいとホテルのレストランへ促された。
14時と、ちょうどお茶の時間のレストランは、思ったよりも込み合っていた。お見合いなど流行らないと思っていたが、見渡す限り、こうしたところにいるのはカップルと見合いが半々のようだ。いるところにはいるものだなと感心しながら席に着き、ウェイトレスにコーヒーを頼む。女ーー梨華はレモンティーを頼んだ。
白いテーブルクロスが引かれたテーブルの上には、一輪挿しの花が置いてある。
向き合って座った梨華はちらちらと冬彦の顔を見上げ、ご機嫌にしている。どちらかというとすました風情のある美人だが、その笑顔には愛嬌もあった。
気まずい沈黙が訪れるより前に、梨華が口を開いた。
「お見合いは初めて?」
「え? ……ああ、まあ」
冬彦が答えると、梨華は笑った。
「私も初めて。だから、小野田さんがいいっておじさんに言ったの」
その言葉に違和感を覚え、冬彦は首を傾げる。
「……あの。やっぱりどっかで会ったことあります?」
「あはは」
梨華は笑った。
「化粧とか服とか違うから分からないですかね。I商事の秘書やってるんですよ、私」
言われてようやく納得した。どこかで見たと思ったら、伯父の会社の取引先だ。思わずああと頷く冬彦を見て、梨華は軽やかな笑い声をたてた。
「小野田さんが来る日、秘書のみんな気合い入れて化粧直したりしてるんですよ。アポの電話も取った人は羨ましがられるし。知ってました?」
知らないが、予想していなかった訳ではない。行く先々で、色目には満たない好奇心の眼差しを向けられる。
それは仕事中だけではなく、ほとんど日常と化しているが。
そう答えるわけにもいかないので、冬彦は曖昧な表情のまま、肩をすくめた。
ウェイターが飲み物を持ってくる。
「飲み終わったら、少しぶらつきません?」
梨華が首を傾げると、巻髪を結わえたポニーテールが頭後ろで揺れた。
「……お見合いなのに?」
「お見合いって言ったって、ここでじっとしてなきゃいけないなんて決まりないでしょう」
「……まあ、それもそうか」
梨華は笑って、レモンティーの入ったカップを手に取る。
口元にそれを引き上げながら、上目遣いになった。
「小野田さんと、ちょっとデート気分、味わってみたいんです。……駄目?」
じっと見上げられ、冬彦は目を反らす。コーヒーカップに口をつけると、香ばしい苦みが口に広がった。
(……くだらねぇ)
思いながら、嘆息する。
「うん。いいよ。ーー行こうか」
ビジネス用の笑顔を貼付けた冬彦の投げやりな言葉に、梨華はにこりと笑顔を返してきた。
* * *
「小野田さん、彼女いないんですか」
「いないよ」
「どうして?」
お茶を飲み終えた二人は、ホテルから外に出た。
湿度の高い空気が肌にまとわりつく。
隣を歩く梨華の髪が、歩みに合わせてふわふわと揺れる。どこかつかみどころのない彼女に、そのふわふわした巻髪はよく似合っていた。
「遠慮ないね、随分」
「あ、すみません。ふふ」
梨華は笑って冬彦を見上げる。女にしては背が高いが、冬彦よりは十センチほど下に目がある。
「じゃ、遠慮ないついでに、手とか握っちゃってもいいですか?」
冬彦は少し驚いたが、渡航経験があるという話を思い出し、肘を差し出した。
「腕ならいいよ」
「わーい」
梨華は無邪気な声をあげ、冬彦の肘に手を添える。
「小野田さん、どうしてお見合いなんか引き受けたんですか?」
「え?」
「だって、そんなことしなくても、女に困らないでしょ」
冬彦は言葉に迷った。自棄だったのだと言えば早いが、それも躊躇われて話をすり替えることにする。
「君こそ、男に困らないでしょ。どうして見合いなんかしたの」
梨華はちらりと冬彦を見上げた。話をすり替えたことに気づいたらしい。が、梨華はただ笑って答えた。
「おじさんの知り合いなら、いい男いるかなぁって。話だけでも聞いてみようかと思ったら、小野田さんの名前出てきたから」
梨華は言って、冬彦の腕を胸元に引き寄せた。肩に頬を寄せ、また上目遣いで冬彦を見上げる。
マスカラでくるりと伸びたまつげに縁取られた目元は、好む男も多いだろう。冬彦は黙ってそれを見下ろした。
「小野田さん。私、カタイこと言わないから、相性確認してくれてもいいよ」
囁くような声に、冬彦は苦笑を返す。
「そうだなぁーー考えとくよ」
「あはは」
梨華は楽しげに笑った。
「小野田さん、意外と硬派?」
「そういうつもりもないけど」
答えながら、思い直す。
この女を抱いたら、あゆみを抱いた自己嫌悪感を、上書きすることができるだろうか。
不意に黙り込んだ冬彦を見て、梨華はまた笑った。
「大丈夫、抱いたんだから責任取ってとか騒いだりしないから。ちょっと興味あるだけ」
「興味?」
「小野田さんみたいな男の人、日本で見たの初めてだから」
冬彦は首を傾げた。
「……よく分からないけど」
「いいの。私が分かれば」
梨華は笑う。
「ねえ、映画とかどう? あんまり好きじゃない?」
「いいよ。嫌いじゃない」
「正直ね」
笑う梨華に、冬彦は目を上げる。
「そういうとき、普通なら嘘でも『好き』って言うところじゃない?」
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