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本編

07

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(くだらねぇこと思い出させやがって)

 冬彦は心中毒づきながら、人の言葉に相槌をうつ坂下の横顔を見ている。
 その笑顔は昔から変わらない。一見穏やかなようでいて、正直、冬彦にはこの男が何を考えているのか読めない。
 人の心情や機微に聡い冬彦がわからないものを、他の人間はどう思っているのだろうと不思議に思ったことがあるが、そもそも他の人間は、坂下が腹に一物持った男だということにすら、気付かないらしい。
 坂下には人望があった。人徳があった。教師の信頼も生徒からの信頼も厚い。実技系科目は苦手だが、ペーパーテストはほとんど首位を守りつづけた。
 絵に描いたような優等生。
 そうーー坂下は、冬彦が唯一敵わなかったものを持っている男だ。

 * * *

 ペーパーテストの点数だけは、どうしても彼に敵わなかった。
 一度、本気で勝ちに行こうとしたことがある。三年の前期試験だっただろうか。冬彦は坂下を挑発した。
 坂下はそのとき笑って言った。

「いいよ。ーーじゃ、もし俺が負けたら」

 眼鏡の奥の目を細めた彼の言葉を、冬彦は忘れていない。聞くや舌打ちを返した。

「何かと思えば。そんなん要らねぇよ」
「ふぅん、そう?」

 坂下は笑っていた。冬彦はそれを睨みつけた。

「だって、いつも物欲しそうに見てるから。不思議だなと思ってさ」

 坂下の目はいつも穏やかだ。そこに弟の秋政と似た印象を受けるが、一つだけ、絶対的に違うのはその闘争心だった。
 ふとした拍子に垣間見える彼の闘争心は、むしろ冬彦よりも強い。
 冬彦はふんと鼻を鳴らした。坂下はそれでも笑っていた。

「ま、負けないけどさ。小野田には」

 残念なことに、そのときのテストは平均点がやたらと高かった。簡単だったのだ。
 ほとんどの科目で満点を取った二人は、合計点が全く変わらなかった。

「勝敗は次回に持ち越しかな」

 坂下は軽やかに笑った。
 冬彦は舌打ちしたが、もう勝負を申し込むのはやめた。
 ぼろぼろに負けはしないかと、テスト後どうにも落ち着けなかったからだ。

 * * *

「じゃ、坂下もうちょっとでパパになんの?」
「うん、そう。ちょうど仕事も句切りがいいし、一ヶ月育休取ろうかなと思ってる」
「マジで! 奥さんの希望?」
「んー、まあそれもあるけど。里帰りしたくないって言うからさ。産後あんまり動いちゃよくないらしいし」

 穏やかに話す坂下を、周りの男子が感心して見ている。
 冬彦はウィスキーを舐めるように飲み、息を吐き出した。

(ぼちぼち帰っかなー)

 十分でもいいから来い、と言われたので来たまでだ。開始から1時間。陽も落ち、窓ガラスの外に広がる風景はしっかり夜景となった。
 花田に一声かけようとその姿を探したとき、マイクを持って前に立っていることに気づいて諦めた。

『楽しんでますかー。盛り上がってるとこ悪いけど、せっかくだから思い出の写真とか映したいと思いまーす! んでもって、せっかくなんで写真に出てきた人にマイク回します。簡単に近況報告よろしくー。あんまり長いと最後まで回らないから、一人30秒でさくっと頼むよ!』

 言うや、ダウンライトが一部消え、窓際のスクリーンに写真が映し出された。写真が切り替わる度に懐かしがる声が挙がり、順番にマイクが回されていく。
 面影を残した同級生が、順に挨拶をして行った。同窓会に来ようという人間なのだから、そこそこ充実した生活を送っている人間ばかりなのだろう、それぞれ楽しげにマイクを回し、写真に写ったポーズを再現してみたり、ツッコミを入れてみたりと賑やかに進む。

(よくもまあ、それぞれの写真があったもんだ)

 思ってから、おおかたあゆみの仕業だろうと推測した。行事の度に廊下に張り出されるプロカメラマンが撮った写真を眺め、自分の映っていない写真にも焼き増しのチェックを入れている姿を見かけたことがある。
 どうしてそれを買うんだと言ったら、あゆみは照れ臭そうに笑った。
『だって、いい顔してるから。こんな顔みたら、疲れたときでもうれしくて、元気になれそうじゃない?』
 あゆみらしいなと思いつつ、馬鹿みてぇ、と答えたが、返ってきたのはあゆみの軽やかな笑い声だった。

 なかなか冬彦の番は来ないらしい。はやく帰りたいが、いざそのときになっていないとなったら、また花田がどやされそうだ。

(仕方ねぇな……残ってやるか)

 内心で友人想いな自分を褒める。
 そうか、だから後ろの方にしているのかと、推測に推測を重ねていたとき、驚くような歓声が挙がった。
 いくらあゆみがいい顔コレクターだとはいえ、冬彦の写真はおそらく花田が出して来るだろう、と推測していたーー
 のだが、大画面に写っていたのは、笑っている冬彦のピンの写真だった。
 大口を開けて、腹を抱えて笑っているーーその姿に、逃げたくなる。

(マジかよ)

 中学のときは、ほとんど笑わない男だったはずだ。卒業アルバムを眺めても、どの写真も睨みつけるような目をしている。
 写真を見れば、思い出せないことはない。そう、体育祭の昼休みだ。あまりの暑さに頭から水をかぶっていたら、花田が驚かせようと背中を押してきた。舌打ちをして蛇口に指をかけ、水を思い切り花田の顔にかけてやった。
 そのときの花田のあわてふためく様があまりにおもしろくて、しばらく腹を抱えて笑った記憶がある。
 あまりの気恥ずかしさに思わず一歩出口へ向かいかけた冬彦の腕を、坂下が掴んだ。
 顔を見やると、にやりと悪辣な笑みを口元に浮かべている。
 その眼鏡にはスクリーンの写真が写っていた。

「逃亡者確保」
「逃がせよ」

 睨みつけたが、坂下の腕を振り払うよりも花田がマイクを持ってくる方が先だった。
 冬彦はそれを受け取り、嘆息する。
 スクリーンに映し出される自分を見たくなくて目を反らすと、暗闇の先にあゆみの目が見えた。

『……何だよ、この写真。知らねぇぞ』

 ぽつりと呟くと、同級生が笑う。あゆみも声をあげて笑っていた。その目が懐かしそうな色を帯びて見え、冬彦は息を吐き出し、頭をかく。

『……まあヤンチャな時もありましたが。今はちゃんと仕事してます。小野田です。職業は個人情報ってことで個別に聞いて。今日は幹事から強制参加の通達があったのでーーこれ仕事ってことでいいよね、ギャラ出るよね? 花田』

 真顔で冗談を言うと、場に笑いが起こった。花田が笑いながら首を振る。冬彦も笑った。

『30秒経ったかな。じゃ、これでーー』
「小野田くんにしっつもーん!」

 声をあげたのは坂下だった。一同の目がそちらに向く。
 冬彦は舌打ちを噛み殺した。

「今、つき合ってる人とかっているんですかー?」

 坂下はあえて高めの声で言う。また笑い声が起こった。同時に、女子の目がぎらりと光る。
 冬彦は息を吐き出した。

『いませんけど、募集もしてません。以上』

 言い切ると、ブーイングも聞かずに花田にマイクを返した。にやにやしている坂下のところまで行き、その頭に軽く手刀を当てる。坂下は痛て、と笑って、冬彦の背中をたたいた。

「まあまあ。ちったー女子たちの励みになってよ」
「なんだよ、励みって。どういうつもりだ」
「だって、女の30って微妙なオトシゴロでしょ。小野田くんみたいないい男が売れ残ってるんだったら、希望も持てるじゃない」

 相変わらず本心がわからない坂下の緩んだ顔を、冬彦は黙って睨みつけた。坂下からは笑い声が返ってきただけだった。
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