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夏の章
07 狐の弟子と天狗の弟子
しおりを挟む午後三時。稲荷神社の境内では、立ち会いが始まろうとしていた。
蓮は慣れ親しんだ基本の中段の構えで竹刀を構える。
静かに構えた剣先は相手の喉に向いていた。
対する三岳坊の弟子は昨日の三岳坊同様、錫杖のかわりの樫でできた杖を正中線上に構え、低い体勢を取っている。
静寂に包まれた稲荷神社で、聞こえるのはお互いの息遣いのみだ。
間合いがジリジリと近づいていくーー。
話は遡り、
「頼もう!頼もう!」
と天狗の三岳坊が稲荷神社に現れたのは立ち会い開始の五分前であった。
「こいつが我の一番弟子のタルトだ!ゆくゆくは最強の女天狗になるぞ!」
と言うと頭をポンポンと叩く。
横にいたのは、修行僧の姿の三岳坊とは真逆の姿をした少女だった。
全身真っ黒のワンピースからは肩と足が無造作に出ている。
マスクとチョーカーも真っ黒だ。
厚めのメイクでまつ毛は不自然に大きく、目の周りは赤いチークで塗られていた。
背中に背負った樫の杖が入った袋には、不自然に大きい、包帯とつぎはぎだらけのうさぎの人形がついていた。
蓮はひと目見てきづいた。
タルトは関わりたくないタイプの人間だ。
いわゆる地雷系ファッションを身にまとい、なんとも言えない負のオーラを醸し出している。
「タルトは人見知りで今は全然喋らないけど、悪気はないんだ。ホントは蓮と弟子同士仲良くしたいと思ってるんだぜ?」
と三岳坊は言うが、どこまで本当かはわからない。
タルトはごそごそと袋から樫の杖を取り出すと、ウォームアップに杖を振り出した。
立ち会いの開始までもう二分ほどだ。蓮も慌てて竹刀を振り始めた。
「この立ち会いの裁定は我、三岳坊が行う。人間同士の立ち会いのため、危険と判断した場合はすぐに止めるぞ。構えて……はじめぃ!」
三岳坊が開始の合図をして、立ち会いが始まった。
やはり、防具をつけない状態は緊張感が違う。
一撃が致命傷となり試合が終わる可能性があるのだ。
特にタルトの持つ樫の杖で手加減なく脳天を狙われた場合、下手したら死を覚悟するレベルの怪我をしてしまう。
ただし、蓮には自信があった。
この竹刀は紗季の神使の加護を纏っている。神使の加護は妖術の上位互換だ。
そしてなにより、応援して見守ってくれる紗季の存在が頼もしい。
先に仕掛けたのはタルトだった。
低い体勢から喉元に向けて何度も突きを繰り出してくる。
こいつ殺す気かよと思いつつも、蓮は冷静に捌いていく。
神使の加護のおかげで相手の攻撃が良く見える。
自然と避けるように体が動き、突きを竹刀で払って防御した。
すると効果が薄いと考えたタルトは攻撃を横薙ぎに切り替えてきた。
「突かば槍 払えば薙刀 持たば太刀」と呼ばれる杖術だけあって、攻撃の引き出しが広い。
こめかみ、脇腹、足払いと上下のフェイントをかけながらブゥンと杖を振り回す。
蓮は攻撃を避けながら、足払いが来る瞬間を狙っていた。
足を半歩軽く引き、足払いにきた地面付近の杖を思いっきり竹刀で叩き落とす。
振り回す杖の遠心力に竹刀の力が加わったことで、杖はタルトの手から外れ、弾き飛ばされた。
そのまま返す刀で蓮はタルトの頭上に竹刀を振りかぶり、ギリギリのところで振り下ろすのを止めた。
「メンッ」
と蓮が小声で言うと
「それまでぃ!」
と三岳坊は試合を止めた。
タルトはしょぼしょぼと樫の杖を拾いにいくと、蓮の方に向かってきた。
蓮は若干ビビりながら後ずさっているが、タルトはお構いなくどんどん距離を詰めてくる。2人がぶつかりそうな距離まで来ると、タルトは蓮の耳元で
「私、強い男好き」
と囁き、頬に軽くキスをした。
硬直して動けなくなる蓮。
スタスタと通り過ぎるタルト。
後ろでは妖刀を振り回そうとする紗季を必死に三岳坊が止めていた。
「いやぁ、完敗であったなぁ。さすがは紗季さんの弟子だ!わしの弟子も鍛え直さないとな!」
と言いながら、結局上機嫌の三岳坊は、大きな壺に入れてきた日本酒を升についで、紗季と二人で楽しんでいる。
「ヤケ酒じゃ~」
と泣いている紗季が少しかわいそうだ。
横でタルトはマイペースに危険な色をしたエナジードリンク缶にストローを刺して飲んでいる。
今日の勝者、蓮は年齢的に喜びの美酒とはいかないが、水筒に入れた氷入りの麦茶で戦いの疲れを癒していた。
少し怖いけど、タルトと話してみようと思い、蓮はタルトの方へ向かう。
人間で天狗に弟子入りした経緯にはとても興味があった。
タルトと蓮が話している間に、紗季と三岳坊は二人に聞こえないよう小声で話していた。
「紗季、お前弟子に神使の加護なんて使ってないだろ。あれは本人の動きだ」
「そうじゃの、本来の精神力が発揮されれば蓮の能力はすさまじい」
「今まで眠っていた才能が思い込みで開花したのか、皮肉なもんだ。妖力もまだ引き出してないんだろう?あれだけの武才と妖術の才があるってことは、あいつはつまり……」
「それくらいにしたらええじゃろ。あまり探りごとをするでないぞ」
紗季にたしなめられ、三岳坊は黙りこくってしまった。
蓮は竹刀袋をかつぎ、気持ちよく帰路についた。
久しぶりの試合はとても楽しかった。
今までの防具を付けた剣同士の試合と違い、防具なしで杖と対峙する緊張感は相当なものであった。
その中で見事勝利し、紗季の期待に応えられたのも誇らしい。
神使の加護のおかげといえばそれまでだが。剣道部の最後の大会で思うような結果を残せなかった蓮にとっては、今日の立ち会いで何か掴みかけた感覚がしたのはとても嬉しかった。
まだ、自分の前に剣の道は続いているのかもしれない。
今日掴みかけた感覚を手のひらに再現しつつ、自転車を走らせた。
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