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番外編

番外編 筆頭侍女の事情

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 秋も深まった頃、エンソールド王宮には一人の新米侍女があった。王妃付きの侍女で、王妃派の大物であるロンカロス伯爵の長女ルカーナだ。
 とはいえ、彼女が王宮に上がるのには、ちょっとした騒動があった。国王の弟で現在王位継承順位第一位のサトゥリグード大公ヨアドが、自身の派閥の娘も王妃の侍女にしろとねじ込んできたのだ。
 反対派閥に連なる娘など、王妃の側に置ける訳もないのに。何を考えているのか、と王妃付き護衛騎士のノインは思う。
 結局大公の意向は国王によって退けられて問題なかったのだが、新米侍女の方に問題があった。別に当人が何かしたという訳ではなく、王宮に上がる日にちがずれにずれたのだ。
 どうやらあまり丈夫な令嬢ではないらしく、体調を崩して臥せっていたという。運のない娘だ。せっかく王妃付きの侍女になれるというのに。
 だが、王宮にきたルカーナという娘は、どう見ても病弱には見えなかった。では何故、再三にわたって王宮に上がる日付を変えたのか。父親であるロンカロス伯爵は親ダーロで王妃派なのだから、心配する必要はないのかもしれないが、どうにも引っかかる。
「そんなに怖い顔をして、何を考えているのですか?」
 いつの間にか、考え込んでいたノインの耳に、柔らかい声が響いた。王妃ヤレンツェナの筆頭侍女であるイザロ侯爵夫人ヘーミリアだ。
「……そんなに、険しい顔をしていましたか?」
「ここに、深い皺が出来ていてよ」
 そう言って笑うヘーミリアは、昔とあまり変わらない。ノインに向ける笑みが普段と違って作り物めいて見えないのは、お互いに気心の知れている間柄だからか。
 ヘーミリアは異国であるエンソールドにあっても、ダーロ風を意識した装いを崩さない。高く結い上げた髪や、細身を意識したラインのドレスがそれだ。
 おかげで現在、エンソールド王宮では急速にダーロ風が流行りだしているらしい。これはヤレンツェナも時折ヘーミリアと示し合わせてダーロ風の装いをするからだろう。
 ヤレンツェナの輿入れに際し、彼女と親交のあった二人の女性を先にエンソールドにやっている。目の前のヘーミリアと、件のロンカロス家に入ったジェーナだ。奇しくも、どちらも後添いとして嫁いでいる。
 ジェーナの方は本人は初婚だが、ヘーミリアは再婚同士だ。相手のイザロ侯爵には前妻との間に嫡男がいる為、後継ぎを求められずに気が楽だと言っていたのを聞いた事がある。
「どうかしましたか?」
「いえ……常よりもお忙しそうだなと思いまして」
「そうですね……ここから年末にかけて、王宮は行事が目白押しですもの。ヤレンツェナ様を煩わせないよう、準備を滞りなく済ませなくてはなりませんから」
 昔から、ヘーミリアは気配りに長けていた。子供の頃から見知った相手であり、一時は遊び相手でもあった人だが、皆でいる時にもあれこれと目を配っていたものだ。仲間内で一番年嵩だったという面もあるだろうが、おそらく本人の性分なのだと思う。
 そんな彼女の最初の結婚は、あまり幸せとは言えないものだったと聞いている。
 ヘーミリアは伯爵家の出身だが、同じ爵位でも家格が上の家に嫁ぐ事になった。その相手が、自分の親と同程度の年齢だったのだ。嫁いだ時ヘーミリアは十八歳、相手は四十を少し越えたくらいだったという。しかも相手は三回目の結婚だ。
 何故そんな相手に嫁ぐ事になったかと言えば、家の繋がりと格上の家からの申込みを断り切れなかったからだった。
 確かにヘーミリアは一種独特の美貌の持ち主だ。華やかなヤレンツェナとは別種のものだが、一部の異性を妙に惹きつけるものがある。それがあの結婚を呼び込んだのだから、なんとも言えない。
 最初の結婚の頃、夜会や舞踏会などで時折見かける彼女は、日に日にやせていくのがわかった。笑顔も少なくなり、貼り付けたような微笑だけになっていくのを見るにつけ、胸が痛んだのを覚えている。
 そんな不幸な結婚も、ヘーミリアが二十一歳の時に終わった。夫が王宮内で頓死したのだ。一時期は暗殺を疑われたが、争う相手もなく跡目にも問題がなかった為にただの突然死だと結論づけられた。
 結婚生活わずか三年で未亡人となったヘーミリアは、実は再婚の申し出がいくつもあったと聞いている。本人が首を縦に振らなかったので、実現しなかったそうだ。最初の結婚を無理強いした負い目があるらしく、親も口出しはしなかったらしい。
 そんな彼女に降って湧いた再婚の「国王命令」には、当人である彼女も驚いただろうが、何より周囲が驚いただろう。何せ自国の王女が輿入れするのが決定した国の、しかも侯爵家が相手なのだ。
 加えて、相手も死別の再婚である。一部には、「どうせ政略で送るのなら、もっと若い初婚の令嬢を」と進言した者もいたようだが、ダーロ国王ジハティールが全て退けた。
 ヘーミリアが選ばれた理由は、第一に嫁ぐヤレンツェナとの親密さにある。ジハティールにとっては正妃の産んだ第一王女である彼女は、王宮でもかなり変わった育ち方をしていた。本人の持って生まれた気性なのだろうが、とにかく型破りな姫だったという。
 一時期「ヤレンツェナ姫に比べれば、うちの娘のお転婆など可愛いものだ」というのが貴族の間での冗談としてまかり通っていた程だ。
 そんなヤレンツェナに、最後までつきあえた人物がヘーミリアとジェーナだった。ヤレンツェナの為にエンソールドへ嫁がせるのなら、この二人をおいて他にいないとジハティールが考えても不思議はない。
 だが、当初この命令をヘーミリアは断った。本来なら王命を断る事は出来ないのだが、内々に話を持っていったのでそういう結果になったのだ。
 それがどうして今に至るのか。実はあまり知られている話ではないが、ヘーミリアの返答を知ったイザロ侯爵がダーロまで来て、自身でヘーミリアを口説き落としたのだ。
 その際に強調したのが、王妃の侍女を最優先にして構わない事だった。それはつまり、エンソールド国内で侯爵家や夫、継子よりもヤレンツェナを優先して構わないという事である。
 普通ならばそんな事は言えない。侯爵家ともなれば、妻が背負う部分も大きい。特に社交や家内の雑事などは、ダーロでも女性の仕事とされている。それら全てをやらずとも良いとは、イザロ侯爵も思いきった事を言ったものだ。
 その約束は今でも守られているらしく、ヘーミリアは王宮で暮らす時間が長い。王都の侯爵邸にも、年末年始くらいしか足を向けないと聞いている。それで夫婦関係は冷え込まないのか。つい、そんな下世話な事を考えてしまう。
 それが顔に出たのか、ヘーミリアが不思議そうな顔でこちらを見てきた。
「何かありましたか?」
「いえ……何も……」
「相変わらず、あなたは嘘が下手ですねえ。今のうちに白状した方が身の為ですよ?」
 にっこり微笑んで言うような事ではない。だが、彼女の言葉は事実だ。昔、同じように隠し事をしようとして失敗し、散々泣かされた記憶が蘇る。
 普通に考えれば、今は体力差もあるし、何よりお互い体面というものがある。だが、幼い頃に刻み込まれた恐怖というものは、なかなかどうして大人になった今でもぬぐい去れるものではないらしい。
 大体、女性相手に腕ずくでどうこうする訳にもいかないではないか。自分の不利な状況に溜息を吐いたノインは、正直に話してしまう事にした。
「大きなお世話だと自覚していますが、こうも王宮にばかりいらっしゃってご家庭の方は問題ないのかと愚考いたしました」
「本当に愚考ですね」
「……」
 間髪入れずに返してくる辺り、やはりヘーミリアはヘーミリアだ。だが、次の瞬間彼女はくすりと小さな笑いを漏らす。
「本当に、人の事をどうこう言っている場合ではないでしょうに。でもまあ、昔から優しいノイン坊やに免じて、教えましょう」
 二十歳も当に過ぎた男を「坊や」扱いとは。やはりヘーミリアには一生敵わないのだろうと思う。一生敵わない相手は他にも数人いるのだが。
 ヘーミリアはドレスの隠しポケットから、一通の手紙を取り出した。
「これ、旦那様からのお手紙なのですよ」
「手紙……」
「日に一通は必ずくださいます。時折リュッヒ様からの分も入っているんです」
 リュッヒというのは、イザロ侯爵と前妻との間に生まれた嫡男で、今年十六だったはず。いきなり出来た継母相手に、彼も複雑な心境なのかもしれない。そう考えると、この家族は距離を置いている今の方がうまく回っているという事か。手紙で繋がる家族というのも、おつなものだ。
「出過ぎた真似を致しました。どうぞ、お許しを」
「私を心配してくれたのでしょう? 許すも許さないもありませんよ」
「ヘーミリア様は、私にとってもう一人の『姉』のような方ですから」
「あら、それはどういう意味で言っているのかしら?」
「そのままの意味です」
 別に他意はない。昔、姉と一緒にお転婆の限りを尽くしたこの人は、まさしく自分の「もう一人の姉」だったのだ。今までも、そしてこれからも。
 だからこそ、姉共々幸せになってほしいと思う。もっとも、ヘーミリアは既に自力でつかみ取っているようだ。自分があれこれ気をもむ筋合いではないという事か。
 そろそろ頃合いだ。あの新米侍女は、また廃棄手紙の箱を押しつけられている事だろう。あのような重い箱を一人で運ばせるなど、王妃付きの侍女は何をやっているのか。
 ノインは名残惜しい時間に暇を告げる。
「さて、そろそろ私は行きますね」
「お仕事、ご苦労様です。ああ、ノイン」
「はい?」
 部屋の扉の所で呼び止められて振り向くと、見とれるようなヘーミリアの笑顔があった。久しく、彼女のこんな笑顔は見ていない。
 だからか、ヘーミリアからの言葉は真っ直ぐノインの心に突き刺さる。
「姉から弟への言葉です。自らの幸せも忘れずに探しなさい。これは、あなたの本当の姉君も望んでいらっしゃる事ですよ」
 不意打ちだった。自分の中にあるどこか捨て鉢になっている部分を、しっかり見抜かれていたようだ。姉も、この人も、油断がならない。
「心に刻みつけておきますよ」
「忘れないようになさい」
 今度こそ、ノインは部屋を辞した。今は自分の事にかまけている暇はない。まずは王妃ヤレンツェナの身の安全を第一に、ダーロとエンソールドの同盟が長引くように動かなくては。
 ノインは決意も新たにエンソールド王宮の廊下を足早に歩いていった。
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