今度こそ幸せになります! 小話集

斎木リコ

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蛇足的な何か

最後の夢

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 虚空城の中庭、建物の壁にもたれてマーカスは石床に座り込んでいた。全身から力がどんどん失われていくのを感じる。
 今代の勇者の最後の情けか、ジューンの体は彼のすぐ側に横たわっている。彼らがここから消えてから、のろのろと手を伸ばし、愛しい人をその腕に抱きしめた。まだほんの少し温かみを感じる。
 彼女の死も、忠誠を誓った相手の裏切りも、自分が守ったはずの人々の愚かさも、何もかもをどうしても認めたくなくて、足掻いて足掻いてここまで来たが、これが自分の限界だったようだ。
 それをようやく認め、マーカスは口元に自嘲の笑みを浮かべた。結局自分はここまでの存在だった訳だ。ジューンはもうどこにもいない。彼女の魂を持つ娘は、別の相手を選んだ。マーカスの目の前で「自分はジューンじゃない」と、ジューンの姿ではっきりと言い切った娘。
 腕の中の愛しい存在は、既にその魂を失いただの抜け殻と化している。マーカスは霞む視界で辺りを見渡した。自分が仕えた国の王城。ここは権力の象徴であると共に、あの王の見栄の舞台でもあった。
 だからこそマーカスは都から根こそぎ持ち上げ、新たに魔王となった彼の居城としていた。あの愚か者がしがみついた城は、人々の、世界の敵となった彼が君臨する事によってその存在そのものが穢され、人々の記憶からも抹消されている。それだけは正直ざまあみろとあざ笑ったものだ。
 だがそれだけだ。自分が真に望んだものはそんなものではないのは、本人が一番良くわかっていた。復讐が望みだった訳ではない。世界を壊すのも同じだ。マーカスが一番望んだもの、結局彼はそれを手にする事は出来なかった。
 自分は一体どこで何を間違えたのだろう。だがこの結果が間違いの果てだとしても、同じ選択を迫られればきっと同じ道を選ぶ。黙って受け入れる事など、到底出来はしない。目を閉じたまま、マーカスはジューンを抱く腕に最後の力を込めた。
「君はよく粘った方だと思うよ」
 突然の声に、それでもマーカスは驚いた様子を見せはしなかった。なんとなくだが、来るような気がしていたのだ。
 この自分が女神の行動を読むなど。さらにおかしみがこみ上げてマーカスはとうとう声を上げて小さく笑った。
 目を開くと視線の先には女神像が浮いている。神殿の祭壇に飾られているそれだ。地方ごと、作られた時代ごとに差異はあるが、それでも共通した意匠が存在する。今マーカスの目の前にあるのは、そんなありふれた石造りの女神像だ。
 その女神像に、薄く半透明の人影が重なっている。不鮮明故に顔立ちは判別出来ないが、この人影が女神そのものなのだとマーカスは理解した。
 声の方も単一な物ではなく、いくつかの声が混ざったような不可思議な響きを持っている。以前、ジューンは女神に会い会話をしたという話を聞いたことがあるが、彼女もこんな姿の女神と話したのだろうか。
「違うよ。彼女にはちゃんと姿を見せるし、声も普通に聞かせてた。私の姿を見ていいのも声を直接聞いていいのも、彼女だけなんだ」
 相変わらずこの女神の言う事は理解しがたい。人には理解出来ない存在こそが神なのだと言われれば、マーカスは納得するだろう。
「満足か、女神。これでお前の望み通り、この世界は存続する」
 感情のこもらない声で、マーカスは女神にそう告げた。自分は女神に戦いを挑んで負けたのだ。マーカスの相手は今代の勇者でもジューンの魂を持つ娘でもない。魔王と化してからは、常にこの存在が敵であった。そして戦い続けて今日ここで負けた。再戦はない。負ければ死、あるのみだ。
 今までの戦いは決着が着かなかった。というより直接対決まで持ち込めなかったのだ。今回もそうである。今代を下し、ジューンを復活させる事が出来れば、ようやく女神との対決も叶うはずだった。
「そうだね。少し軌道が逸れたけど、このくらいなら修正可能な範囲だから、満足といえば満足かな」
 魔王という存在になり、この世界の仕組みの一部を覗き見たマーカスにしても、女神の言っている言葉の半分も理解は出来ていなかった。
 単純なようでいて、読み取れないほど深いもの。それが世界に対するマーカスの認識だった。
「満足ならもういいだろう。最後くらい一人で過ごさせろ」
「別にそれは構わないけど、君はここで終わってもいいの?」
 何を言い出すのか、とマーカスは女神を見上げた。そこには神殿で言われているような神々しさは、微塵も感じられない。ただの石造りの像、それだけだ。
 どちらかといえば、この女神の方が真実魔王と呼ぶに相応しい存在ではなかろうか。マーカスはふとそんな事を思っていた。
「何が狙いだ」
 女神がこんな事を言い出す以上、何か裏があるに決まっている。それも女神と世界にとって都合のいい裏だ。
「君は聡いから嫌いじゃないよ」
 そう言うと女神像に被った人影は、唇の端を吊り上げるようにして笑った。

「この世界の容量が小さいのは君も知ってるでしょ?」
 世界には容量が存在する。動植物、もちろん人間にもそれぞれ決まった『量』が存在し、世界の容量を超えた存在を内在することは出来ない。
 その量とは生命力だったり魔力だったりで、個々で微妙に異なっている。当然『強い』ものの方が量は多いのだ。この世界における『魔王』は、その最たるものだろう。
「知っている」
 これは魔王となってから知った事だ。初代魔王は世界の神秘まで解き明かそうとしていたようだ。その知識と技術を魂ごと飲み込んだのがマーカスである。
 この世界の容量は小さく、かつ今現在は満杯状態だ。魔王の存在に加え、それを打倒すべく勇者という存在を作り出したためである。
 そしてジューン。異世界から連れて来られた少女の存在の量はとてつもなく大きい。それは魂の容量である為、彼女の魂がこの世界で転生し続ける以上、質量も減ることはない。
「だから魔王という存在を見逃す訳にはいかなかったんだ」
「その割には千年以上も放置していたがな」
 初代魔王がこの世界に出現したのはマーカスがいた時代からでも五百年は昔の事である。それをマーカスが言うと、女神像からはどこか呆れたような声が響いた。
「千年ちょっと程度だから、影響が少ないんじゃないか」
 さすがのマーカスも、この言いぐさには呆れた。人と神との感覚の差は、これほど大きなものなのか。もっともつい先程まで魔王としてこの城にいたマーカスが、自身を人の括りにいれるのはおこがましというものかも知れないが。
 八百年近くをこの虚空城で過ごしてさえ、長すぎる時間に辟易していたというのに、それを五百年から超えるのを『千年ちょっと程度』と評するとは。
「神などというものは、人知を超えるものなのだな」
 ジューンが教えてくれた、彼女の世界の神。この世界では女神だけだが、彼女の世界には実に多くの神が存在するらしい。
 特に彼女の生まれた国には多くの神がおり、それを信仰する人々も存在するという。それだけ多くの神に囲まれながら、彼女はこちらの世界に拉致されてしまい、不幸な最期を遂げた。彼女の国の神は、彼女を守らなかったらしい。
「所詮神は、人の事など何とも思わんのだろうよ」
 人が虫の一生に思いをはせることなどないように。女神にとっては自分達人間の一生など虫のそれと大差ないのだろう。
「そんな事ないよ。この世界の存在は統べて大事なんだよ。欠けては困るものばかりなんだから」
 意外な女神からの返答に、マーカスは心の底が冷えていくのを感じる。ならば何故。
「ならば何故、ジューンを見殺しにしたんだ?」
 黙っている事など出来なかった。自らが選び、この世界へと誘(いざな)った相手であるジューン。姿を見せるのも声を聞かせるのも彼女だけだと言って特別扱いしておきながら、一番大事な場面で彼女の事を見捨てたのは何故なのか。
 マーカスは未だに忘れられない日の事を思い出した。

 初代魔王を倒し、諸々の後始末を終え、都には神聖術で無事全てを終えた事を伝えた日の翌日。都へ戻る為の準備をしていたマーカスの耳元で囁く声があった。女神である。
 勇者の力をジューンから譲り受けた後、マーカスも彼女と同じく女神の声を聞くことが出来るようになった。ただその声は、彼女の聞いているものとはまったく違うもののようだが。
「ちょっと都が変だよ。早く戻って」
 変とはどう変なのか。聞こうにもただ変だとしか返答がない。嫌な予感もするし、同行した同じ騎士のシーオドアと神官であるチェスターと共に急いで戻る事にした。
 魔王城へは、行きは馬で進んだ。元々この辺り、という情報だけではっきりとした場所がわかっていなかった為、手探りで進むより他に手立てがなかったからだ。
 だが帰りは違う。どこにどんな国と街があるかは把握している。その為神聖術の移動陣が使えたのは助かった。しかもチェスターはその手の神聖術が得意だったのだ。
 そのチェスターでも一度に移動出来る距離は限られ、何度も繰り返す移動には途中で休憩を入れなくてはならなかった。はやる気持ちを抑え、それでもその日の夜には都の入り口までたどり着く事が出来た。
 都の大門へ向かおうとしたマーカスの耳元に、再び女神が囁く。
「違うよ。中じゃない。あっち」
 そう言ってマーカスの意識を向けさせた先は、都の北西にあたる方角だ。その瞬間、マーカスは目を見開いた。都の周辺には畑や牧場が広がるが、北西の辺りには深い森があり、そちらには畑も牧場も存在しない。
 そこにあるのは、罪人の骸が投げ込まれる深い穴があるだけだ。

「マーカス!!」
 シーオドアが呼び止める声が背中にかかったが、マーカスは馬を急かして都の壁の外周を北西に向けて走らせた。元々人があまり通らない場所だけに整備された道はなく、馬を飛ばすには不向きであったが構わなかった。
 そんなバカな事がある訳がない、何かの間違いだ。この先にジューンがいるなんて。マーカスはそう頭の中で繰り返していた。
 いつの間にか単騎で森の中を走る細い道を駆けていたようだ。うっそうとした木々が生い茂る中、突然ぽっかりと開けた場所に出る。例の穴だ。
 自然に開いていたものなのか、「それ」用に人の手で掘ったのかは知らない。だがマーカスが子供の頃には既にあった穴だった。
 大きな穴は、月明かりの下で黒い口を開けている。周囲を見ても人影らしきものは見当たらない。
「ジューン!!」
 一縷の望みをかけて、マーカスは声の限りでその名を呼んだ。答える声はない。何度か呼びかけるが、やはり返事はなかった。彼の視線は目の前の大穴の底に注がれた。
 穴から立ちこめる腐臭に吐き気を催すが、マーカスは馬から下りると躊躇することなく穴へと飛び降りた。魔導の一つで浮遊したまま降下していく。
「待て! マーカス!!」
 やっと追いついたらしいシーオドアの声が穴の縁の方から聞こえる。その時には既にマーカスは穴の底に到達する所だった。
 魔王城へ至る道もこの世の物とは思えない程酷いものだったが、ここはまた違う意味でこの世の物とは思えなかった。
 罪人達は大抵拷問でその命を落とす。中には裁かれ極刑に処される者もいるが、割合は少ない。穴の底に転がる骸の大半が、目を背けたくなる程ひどい状態だった。それらが腐敗し、さらに原形を留めない状態になっている。
 マーカスは術で体を浮かせたまま、光源を取り出して意外に広い穴の中をぐるりと見渡した。いなければいい、いてはいけない、そんな思いも虚しく、ある一点に彼の視線は釘付けになった。
 周辺の骸に比べるとまだ新しい骸が三体、彼の視線の先にはあった。髪の色は薄い金色、茶色、そして、黒。心臓が早鐘を打っているのがわかった。目の奥が痛い。ふらつくようにマーカスは浮遊の術でその真新しい骸の側に寄った。
 うつぶせ状態の黒髪の白い肌が目に焼き付く。震える手を差し伸べて、魔力でその体を浮き上がらせて仰向けにさせた。あまりの状態のひどさに、一瞬声が詰まった。
 マーカスは浮かせたジューンの亡骸を、震えるその腕に抱き留めた。細くて白い体。ここに放り込まれる骸は全てをはぎ取られて放り込まれる。彼女もそうだったようだ。
 損壊率が高く、正直目を覆いたくなる状態だ。それでも見つめる視線を逸らす気はない。
「く……うぅ……」
 喉の奥から声が漏れた。こんなはずではなかった。責務を果たして戻れば、何もかもがうまくいくと信じていた。なのに。
「ふざけるな──!!」
 抑えたものが爆ぜるかのように、マーカスは絶叫した。憤怒の思いの限りを、声を張り上げて叫んだ。
 まだたったの十七歳だった。十五歳でこの世界に連れて来られ、半年近く城の中で訓練と称してきついしごきを受けさせられ、やりたくもない魔物退治をさせられ続けた。
 魔物といえど自らの手で殺す事に怯え、退治の後は酷く泣いていた。帰りたいと言って遠くを見、その為には魔王という存在を倒さなくてはならないのかと落ち込んでいた。
 その彼女を救いたくて、代理という形で魔王討伐を引き受けた。女神が彼女に与えた力を、彼女から譲り受けて。それは決して彼女をこんな目にあわせる為ではなかった。
 自分が都を出発して約一年半、彼女がこの世界に来てから二年近くの時が流れていた。旅の間も、彼女の存在がマーカスの心の支えだった。どんなに苦しくとも、彼女が待っていてくれると思えばこそ、戦い続ける事も出来た。
 なのに、全てを終えて帰ってきた自分を迎えたのは、物言わぬ冷たい骸とは。しかも罪人を投げ込む、墓ですらない穴での再会だ。
 叫び続けたせいで息が荒いマーカスは、もう一度ジューンの顔を見下ろした。
そのまま彼女の体に魔力を注いで、刻まれた無数の傷を癒していく。血で汚れた肌も、元通りに治した。
 マーカスは視線だけで足下の二体の骸を見下ろした。髪の色からジューンについていた侍女二人だと判断する。同じように魔力で浮き上がらせ、治療を施す。綺麗に治った顔は、やはり侍女のアンジェリアとソフィーだった。彼女達がここに放り込まれたのは、彼女を守ろうとしたせいだろう。
 問題は、誰が、何故ジューンを罪人として殺し、ここへ放り込んだか、だ。マーカスは沸点を超えて逆に静かになった怒りを抱えたまま、呟いた。
「女神……知っている事を全て教えろ」
 彼の声は低く穴の中に響いた。女神は世界の全てを知る事が出来る。彼女の知らない事など、この世界には存在しない。だからこそ、ジューンがこんな事になった事情も知っているはずだ。そう考えての事だった。
 途端に頭の中に流れ込んでくる情景があった。
 城門前広場に集まる人々。彼らの顔には歓喜の表情が浮かんでいる。口々に国王万歳、騎士様万歳と叫んでいる。その最中、城門が開き城からジューンが放り出された。その頭上から国王が声を張り上げる。
 その娘は魔王の手先だ! あろう事か勇者をたぶらかそうとしていた大罪人だ
 魔王が倒された今、今度はこの都を壊滅させようとしておったのだぞ
 皆の者、そのような罪人を許せるか?
 その国王の言葉に、城門前広場に集まっていた民衆の様子が一変する。彼らの瞳には一様に憎しみの色が浮かんでいた。
 首を横に振りながら違う、と訴える少女に、民衆はあっという間に群がった。教えろと言ったのはマーカスだが、あまりの情景に目と耳を塞ぎたくなった。だがこれは女神が彼の頭に直接送り込んでくるものだ。目をそらす事も耳を塞ぐことも出来はしない。
 人はここまで醜悪になれるものなのか。吐き気すら催すその情景に、マーカスはジューンを抱く腕の力を強くする。
 マーカスの中にどす黒い思いが広がった瞬間だった。自分が忠誠を誓った相手が、自分が守ったはずの人々が、自分から最愛の少女を奪った。彼女はこの世界を救う為に喚び出されたのに。自分が持つこの力も、元は彼女のものなのに。こんな皮肉があるか!
「マーカス!! どうした!? 何があったんだ!?」
 深い憎悪に囚われた彼の耳に、上の方から再び名前を呼ぶ声がかかる。シーオドアだ。彼の声で現実に引き戻されたマーカスは、短く瞑目すると上に向かって大声を張り上げた。
「シーオドア!! マントを二人分放ってくれ!」
 そう言いつつジューンの事は己のマントで包(くる)んだ。亡骸とはいえ年若い娘達だ。肌をさらしたくはないだろう。
 程なく上から二枚のマントが落とされた。畳んだまま落とされたそれを魔力で受け取り、そのまま手を触れずにアンジェリアとソフィーをそれぞれ包む。そうしてからマーカスは穴の上へとゆっくり上昇していった。三人の亡骸と共に。

 穴から昇ってきた彼らを見て、シーオドアもチェスターも驚きを隠せない。だがその驚きの種類は大分異なっていた。
「ジューン殿!?」
「ジューン様、どうかなさったんですか? どうしてこんな所に……」
 ここに彼女がいる意味を知っているシーオドアと、ここがどういう場所なのかを知らないチェスターの差だ。
 シーオドアはマーカスの腕の中にいるジューンを見た。まるで生きているように見えるが、命の炎は消えている。戦となれば人を殺す事もある立場のシーオドアだ。相手の生死の見分けは付く。
「これは……一体どういう事なんだ?」
 シードアの声が震えている。彼もジューンがどういう経緯でこの世界に来たかを知っている。彼女は女神が使わした、世界を救う存在だ。決して罪人になることなどない。
「シーオドア様?」
「ジューンは殺された」
 マーカスの一言は、二人に十分過ぎるほどの衝撃を与えた。チェスターにとってはジューンは彼が信仰する女神が遣わした存在として崇敬の対象だ。
「そんな……そんな、嘘ですよね? マーカス様」
 チェスターは弱々しくそういうと、マーカスの腕に抱かれているジューンに近寄りその頬に触れた。と同時にその冷たさに驚いて手を引き戻す。驚愕とも哀惜ともつかない表情で顔をぐしゃぐしゃにしている。
 シーオドアの方は呆然としながらも、チェスターよりは立ち直りが早かった。
「何故だ……一体誰がジューン殿を!!」
 シーオドアの憤りは当然のものだろう。共に魔王との戦いに赴いた彼にとって、ジューンは魔王と対抗出来る力をこの世界に運び込んだ、いわば恩人のようなものだ。その彼女が殺された。当然犯人を捕らえるつもりでいる。
「……お前達に頼みがある」
 シーオドアの質問には答えず、マーカスは抑えた声でそう言った。はぐらかされたと思ったシーオドアが口を開こうとしたのを制し、マーカスは要望を告げた。
「俺はこれから都に戻ってやることが出来た。お前達は都から離れてくれ」
 言われた事の内容に、一瞬シーオドアは眉間に皺を寄せる。
「……おいマーカス、それは」
「それと」
 シーオドアの言葉を遮り、彼は背後に視線を送り続けた。
「彼女達を弔ってやって欲しい。ジューン同様殺された」
「彼女達?」
 未だ呆然としているチェスターが、のろのろとマーカスの後ろを覗き込む。マーカスの魔力で浮かべられた二人分の亡骸は、空中を滑るように移動してシーオドアとチェスターの前に来た。
「一体これは誰の」
 何気なくシーオドアはマントをめくり上げた。そこにあった顔を見て、驚愕の表情で固まる。彼の声は喉の奥で張り付いた。
「ア、アンジェリアさん?」
 チェスターの悲鳴のような声が響いた。シーオドアは震える手でもう一つの方のマントをめくる。そこには彼の予想通り、ソフィーの顔があった。二人ともジューン同様、まるで眠っているように見える。顔だけだが、外傷があるようには見えない。
「ソフィーさんまで……」
 チェスターはがくりと膝から崩れ落ちた。つい先程まで、三人は高揚とした気分を味わっていた。長かった魔王討伐の旅を終え、無事魔王を倒す事が出来たのだ。
 それを王のいる都に報告し、やっと帰る事が出来ると喜び合っていた。大事な人、親兄弟、仲間や親しい友人など、会いたい人達を思い浮かべ、帰りはどうすれば一番早く帰還出来るかと、そんな事ばかり話していた。
 なのに帰ってきた自分達を待っていたのは、想像もしていなかった現実だった。一体誰が、どうしてこの三人を殺したのか。そしてどうしてこの罪人が放り込まれる穴に彼女達を放り込んだのか。
「……マーカス、知っているなら教えてくれ」
 押さえきれない怒りが、シーオドアの声にたっぷりと含まれている。
「シーオドア」
「おかしいだろう!? ジューン殿だって彼女達だって、一番安全と言われる王城にいたはずだ!! なのに!!」
 シーオドアにとって、アンジェリアもソフィーも妹のように思える少女達だった。いつでもくるくると快活に動き回るアンジェリア。控えめで、それでもしっかりとあれこれの作業を行うソフィー。
「しかもその亡骸が、よりにもよって罪人を放り込む穴に投げ込まれている。これで理由を聞くなという方が無茶だぞ!」
 詰め寄るシーオドアに、マーカスの返答は素っ気ないものだった。彼の感情はどこか焼き切れてしまったように感じる。今マーカスの中にあるのは、底冷えのするような暗いものだけだ。
 それでも騎士団の中でも一番の友であるシーオドアの事を慮る事は出来た。
「やめておけ。知らない方がいい」
「マーカス!!」
「自身の忠誠が崩れるぞ」
 マーカス自身の忠誠は崩れ去った。同じ思いをシーオドアにもさせたくない、そう思ったからこその言葉だった。
 だがシーオドアはその一言で大方の事を理解した。ジューンを殺させたのが誰なのか。アンジェリアとソフィーは彼女をかばおうとしたか救おうとしたせいで命を落としたのだろう。二人がジューンがどれだけジューンを大事にしていたか、シーオドアも知っている。
 シーオドアの目に浮かんだ絶望の色に、マーカスは自分が言葉の選択を間違えた事を悟った。だが口から出た言葉を戻す事など出来はしない。それにシーオドアならば自分と同じようにはならないという確信があった。
「とりあえず、都の大門の所まで戻ろう。二人の事はこのまま俺が運ぶ」
 そう言うとマーカスはジューンをその腕に抱いたまま、馬にまたがり駆けだした。シーオドアとチェスターも、無言のままその後を追った。

 大門の前で馬を止めると、マーカスは騎乗したまま大門に向かって手をかざした。静かに瞑目し、集中しているのが見て取れる。
 シーオドアとチェスターは邪魔をしないよう、静かにその様子を見守った。彼が何をやっているのかわからないので、見ているしかなかったのだ。
 やがて内側から大門が開き、何人かの人間がぞろぞろと出てきた。子供や老人が多いようだ。
 彼らは皆一様に半分眠っているかのようにふらふらと歩いている。最後の一人が通り抜けたのを確認したかのように、都の大門は静かに閉じた。
「マーカス様、彼らは?」
 チェスターが不安そうにマーカスに聞いてきた。当然だろう。いきなりおかしな状態の住民を連れて、都から離れろと言われてもはいそうですかと頷けはしない。
 マーカスはチェスターの方を見ずに、短く答えた。
「罪なき者達だ。彼らを連れて都から離れてくれ」
「お前はどうする気だ?」
 シーオドアはマーカスを睨みつつそう問うた。その後ろでチェスターもまだ何か聞きたそうにしている。これだけでは二人とも納得しないのはマーカスにもわかっている。だが話す気はなかった。
 マーカスは無言で彼らに背を向け大門の方へ歩いて行く。その腕にはジューンをしっかり抱きかかえたままだ。
「マーカス!!」
 呼び止めるシーオドアを軽く振り返り、マーカスは最後とばかりに念を押した。
「アンジェリアとソフィーの事はくれぐれも頼む。お前達はこの人達を連れて地方都市へ、幽閉されている王弟殿下を頼っていけ。理由はわかるな? シーオドア」
 その一言に、シーオドアが愕然とした。そのシーオドアの様子を見て、マーカスは再び彼らに背を向けて歩き出す。彼が乗っていた馬の背には、アンジェリアとソフィーの遺体が乗せられていた。
「……いつから、気付いていた?」
「最初からだ」
 シーオドアが本当の忠誠を誓う相手は王弟殿下だ。彼はたやすく己の忠誠の対象を替える男ではない。それはマーカスもよく知っている。国王に忠誠を誓う前に、王弟殿下に忠誠を誓っていたのだろう。
 今まで国王の元にいたのは、王弟側へ国王側の情報を送るためだったのだとマーカスは考えている。それが王弟殿下に頼まれたものなのか、彼自身が言い出したものなのかはわからない。だがシーオドアと王弟殿下の間には、確実に繋がりがある。
 チェスターだけが王弟殿下の元へ行っても、最悪門前払いをされる可能性があるが、シーオドアが共にあればそうはされないはずだ。チェスターはもちろん、アンジェリアとソフィーの事、罪なき民衆の事を考えると、あちらこちらを放浪させるのは忍びない。
「お前が共にあれば、彼女達も民衆もチェスターも受け入れてくださるだろう」
「マーカス……」
「すまない、後を押しつける形になる。シーオドア、俺はあの時の選択を今心から後悔しているよ」
 殿下が国王の勘気を被り幽閉される事が決まった時、シーオドアは軽い調子でマーカスに王弟殿下に付く気はないかと言ってきたのだ。
 あの時は国王に忠誠を誓っていて、それを違える気がなかったから断った。だが本心では国王よりも王弟殿下の方が統治者として優れていると思っていたのだ。
 あの時、国王へ誓った忠誠を捨てて王弟殿下の元へはせ参じていたならば、今日の悲劇は免れたのだろうか。今となってはわからない。
 もし王弟殿下が今の国王を追い落として王位に就いていたのなら、おそらく召喚術などは使わなかったろうから、自分はジューンとは永遠に出会えなかっただろう。
 だとするならその道だけは選べない。彼女がこの世界に来る結果が必ず今日を迎える運命にあるというのなら、自分はどんな手を使ってもその運命に抗おう。
 本当は、帰ってきたら彼女に伝えたい事があった。それはもう永遠に伝えられなくなってしまったが。いや、まだ道はあるはずだ。運命に抗うと決めたばかりではないか。
 だがまずは。

「罪ある者達へ、罰を与えなくては」


「あの時、貴様ならジューンを救えたはずだ。なのに何もしなかった。何故だ?」
 マーカスにはもう怒りを持続させるだけの力はない。長年魔王の魔力だけで維持してきた体も、じきに腐り果てるだろう。腕の中のジューンの体も同じだ。
「何故って……君に力が移った時点で彼女に干渉する事は出来なくなっていたんだよ。だから私は見ている事しか出来なかった」
 淡々と話す女神は、やはり人ではないのだなと思わされる。感情のような物を見せる時もあるが、人ならばここまで冷淡な反応は見せないだろう。しかも女神自身は冷淡とも思っていない。思うだけの心がないのだ。
 それでも昔にくべれば随分と人間臭くなったものだ。最初の頃などは言葉は通じるがまるで壁に描かれた絵と会話している気分がしたものだ。味も素っ気もないというのはああいうのを言うのだろう。
「ならば国王達の思惑がわかった時点で俺に報せれば良かっただろう」
「よくわからなかったんだ。彼らの言っている事が。どうして私が連れてきたジューンを、城から放り出したのか。それにあんな嘘を言うことも私には理解出来ない」
 感情の抑揚のない声。そうだ。マーカスが覚えている女神の声とはこういうものだ。
「今でも理解出来ないか?」
 ふと、聞いてみたくなった。何故かはマーカス自身にもわからなかった。マーカスの目の前にある女神像、それに被る人影はどこか戸惑っているように見える。おかしな話だ。人ならざるものが人のように戸惑うなどと。
「理解は相変わらず出来ないんだけど、でもその結果どうなるかは推測出来るようにはなってきてるよ。だから今代の彼女は救えるように、情報を全て勇者に流していたんだから」
 マーカスは瞑目する。ではジューンの魂を持っているあの娘もまた、ジューンのような目に遭いかけたという事か。
 彼女の魂を持って生まれた娘達は、何故かみんな不幸の道を辿っている。マーカスが見てきただけでも二代目、三代目の娘は道こそ違えど勇者を待つ間に死を迎えている。
 四代目以降は思う相手と結ばれないという部分は共通しているものの、四代目は待ち続け、五代目は途中で諦めて他の相手に嫁したが夫にないがしろにされ、六代目は安定していたのもつかの間、夫に捨てられていた。三人が三人とも、孤独な最後を迎えている。
 まるで女神の呪いのようではないか。マーカスはその皮肉さに笑いがこみ上げていた。
「どうして君も彼女も呪いっていうのかな。呪った事なんで一度もないんだけど」
「結果が不幸では呪いと言いたくもなるだろうよ。そうした部分はまだ学べていないようだな」
 女神は黙り込んでしまた。図星だったらしい。くだらない事に時間を使ってしまったが、どうせ残りの時間など大した事はない。短い最後を人ならざるものと過ごすのも、自分らしくていいのではないだろうか。
 そういえば、女神は何故今ここに来たのだろうか。
「で? 貴様が人の感情を学んだかどうかは俺にはどうでもいいんだが、何をしにここへ来たんだ? 愚かな男の最後を看取りにでも来たか?」
「ああ、そうそう。目的を忘れる所だったよ」
 そう言うと、女神像の人影は口の端を吊り上げるような笑い方をした。ように見えた。
「君、ジューンの世界に行く気はない?」
 マーカスは驚きに目を見張った。

「話が随分と逸れちゃったからね。私がここに来たのは君の意思を確認したかったからなんだ」
「どういう、意味だ?」
 マーカスの声に力がないのは、命の終わりを迎えているだけではなかった。一体この女神は何を言っているのか。理解しがたいのはこちらの方だ。マーカスはそう言いたかったがうまく言葉に出来なかった。
「どういう、ってそのままの意味だよ。さっきも言ったよね? この世界の容量は小さいんだって」
「それがどうした」
「ジューンの魂はこちらの世界を選んだんだ」
 その女神の言葉でようやくマーカスは理解した。ジューンの魂の質量は大きい。彼女の魂を恒久的にこちらの世界に受け入れるのなら、代わりに質量の大きい存在を放出しなくてはならないのだろう。
「つまり、魔王となっていた俺の質量も大きくなりすぎていた訳か……」
「理解が早くて助かるよ」
 にたり、とその口元が笑ったように見える。見えるだけで実際には石像に人影が淡く被さっているだけの代物だ。
「一つ考え違いをしているぞ、女神」
「何?」
「ジューンの魂はこの世界にいる事を選んだのだろう? なら俺がここから離れると思うのか? 彼女のいない彼女の世界など、俺には意味はない」
 抜け殻だとわかっていても、今も彼女を手放せないように。冷たくなった体は、これからすぐに硬くなっていく。構わない、自分もすぐそうなるのだ。
「いるよ」
 諦観しているマーカスに、女神は毒のある言葉を吹き込んでくる。その一言に彼の顔色が瞬時に変わった。女神の言葉には裏がある、そうとわかっていても抗えない程魅力のある内容だ。
「……どういう事だ?」
 先程と似た事を問いただす。意味合いは大分変わってはいるが。女神の方は唇の端を吊り上げた笑みのまま、話を続ける。
「彼女の希望でね。魂を複写してジューンとして向こうの世界に帰す事になったんだ」
 一条の希望が見えた気がした。それが本当ならジューンのいる世界に行く事はマーカスの望みとなる。だが、それだと話がおかしい。
 ジューンの魂をこちらの世界に受け入れるからこそ、世界の容量が危険状態になり、その為質量が増大したマーカスという存在を向こうの世界にやりたいというのが女神の望みだ。
 ジューンの元いた世界の容量がどれほどかはわからないが、世界の容量はそこまで余裕のある代物ではないはずだ。そこにジューンという、元々いた存在を戻し、さらにマーカスまで受け入れる余地があるのだろうか。
「話がおかしくはないか?」
「君の懸念もわかるよ。でもそれは問題ない。向こうの世界も決して余裕のある容量じゃあないんだけど、向こうに返すジューンの質量は実質無いに等しいんだ。だから君が向こうに行かないと、逆に向こうの世界の均衡が危うくなるんだよ」
 女神の言い分にマーカスは眉を顰めた。意味がわからない。質量が無いに等しいという事は、存在していないと同義だ。
 後半の均衡が危うくなるというのは理解出来る。世界の容量とは多すぎてももちろん問題だが、少なすぎても問題なのだ。その世界が存続できる容量を常に保ち続けなくてはならない。こちらの世界で言えば、女神がその容量の管理をしているのだ。
「世界の目から見れば、と言う事だよ。なにせ彼女の魂は複写したものだからね」
 ますますわからない。魂の複写とはどういう事なのか。訝しみながらマーカスは女神の次の言葉を待った。
「人の目から見れば、何もおかしな所はないよ。ただ……そうだなー、ちょっと影が薄い程度、かな? それ以外はいたって普通なんだ。世界が見る存在と人の見る存在は全く違うから」
「理解出来ん」
 正直に一言告げれば、女神の様子が困っているように見える。何が何でもマーカスに向こうへ行く事を了承させたいのだろうか。
「うーん……あ! こう言えばいいのかな? あのね、君が向こうへ行ってジューンと出会えれば、普通に恋愛も出来るし子供も持つことが出来るよ」
 その一言に、マーカスは心が動かされた。子供。ジューンと自分の。それを女神は見逃さない。
「さっきも言ったけど、ジューンの質量に関しては君が考える必要はないよ。あれは世界にとっての問題だから」
 女神のその言葉も、今のマーカスには届いていない。先程からどこか上の空で何事かに気を取られているようだ。
「ただちょっとした問題があってね」
 女神の声の調子が変わる。それに意識を引き戻されたのか、マーカスの視線が女神へと向いた。
「ジューンの記憶の事なんだ。多分だけど、こちらでの記憶は残っていないんじゃないかと思う。もしかしたら覚えているかも知れないけど」
「……そうか」
 マーカスは静かに呟いた。かえってその方がいい。覚えていたら、辛い思いをするだろうから。こちらでの事は、決して綺麗な物ではない。特に最後は凄惨な物だったから、あの記憶は確実に消えていて欲しいと思う。
「……気にならないの?」
「俺の事も忘れているのは残念だが、俺が覚えているならいい」
 そう、自分が覚えていられれば、それでいい。また最初から全てをやり直せばいいのだから。
「すぐにでも向こうへ行けるのか?」
「出来るよ。ああ、怪我はちゃんと治してあげるし、向こうで困らないだけの知識もあげるよ。これは私からの餞別だよ」
 そう言うと、マーカスの周囲が金色の光で包まれた。手早いことだ。だが確かに急いだ方がいいのだろう。虚空城は元々魔王の魔力で維持してきた存在だ。その魔王がいなくなったのだから、いつまでもこのまま中空に存在する事は出来ない。
 元はあの都にあった王城だが、八百年以上も魔王の魔力にさらされ続けてすでに物質ではないものへと変貌しているから、女神の力を受けて塵へと返るはずだ。
 マーカスはまばゆい光を感じながら、腕の中の愛しい存在を見やる。あの時伝えられなかった言葉。
「愛してる、ジューン。この先もずっと、君と一緒に生きていきたい。君が元の世界に帰ると言うのなら、俺も君の世界に行こう。君の生まれた世界で、ずっと共にありたい」
 もうこの言葉を聞いてくれる存在はいない。これから向かう世界では、彼女は自分の事を覚えていないだろうから。
 それでもいい。君がいてくれるなら。



 雨上がりの晴れ上がった空の下、少女達が固まっておしゃべりしながら歩いている。同じ制服を身につけている事から、学校帰りなのだろう。
「あーあ、何か良いことないかなー」
「そんな事言ってる間はないよーだ」
「あー! ひど! そういう事言う?」
 からかったりからかわれたりしながら、彼女達は移動していた。そんな友達を眺めながら、一人の少女が嬉しそうに笑っている。
「何? どうしたの」
「んー? 何でもなーい」
 目敏く見つけてそう聞いてきた友達をはぐらかし、少女はまた笑う。
「何よー? 言いなさいよー」
「本当に何でもないって」
 そう、本当に何でもない。その何でもない事が例えようもなく嬉しいだけなのだ。どうしてそう思うのか、自分でもよくわからない。いや、理由らしき事には思い当たる節がある。
 この所悪夢を見るのだ。ただ起きると「怖い夢を見た」という事だけを覚えていて、肝心の夢の中身を覚えていなかった。原因として思い当たるのはそのくらいだ。
 だがまさか「怖い夢を見たから、現実はこんなに何でもなく普通なんだと思ったら嬉しくて」とは言えない。笑われるのがオチだ。
「あ、ねえ、あの人。あの角にいる」
 集団のうちの一人が、隣にいる仲間に小声で囁いた。言われた方は素直に進行方向にある角に目をやった。そこには一人の男性がたたずんでいる。見ればその視線はこちらに向いているようだ。
「えー、何かこっち見てる? 外人? 顔立ちが違うよ」
「ちょっと良い感じしない?」
「あんたああいうのが趣味?」
「だってさあ」
「どうしたの?」
 集団の前方にいた二人の足が鈍くなっていたので、すぐに後続がつかえてしまった。先程少女に問いただしていた一人が、前の二人に何があったのか聞いてきた。
「いやー、それがさ」
「え? あれ? ちょ、ちょっと」
 二人のうち一人が何やら慌てている。集団の一番後ろにいた少女も、やっと何事かと思い前の方に視線を向けた。

 あっという間に、彼女の視界は黒い何かで覆われてしまった。背中に感じる圧迫で、自分が誰かに抱きしめられているのだと理解した。
 あまりの事に硬直している少女の耳元に、低い声が響く。それは何故かどこか懐かしい響きを持っていた。
「会いたかった……」
 その言葉と共にこぼれた「名前」。それは少女の名前に似た響きのもので、何かを思い起こさせるような気がした。
 少女が男に抱きしめられた数瞬の後、周囲にいた仲間が揃って黄色い声を上げた。

 やっと会えた。これから、何もかもこれから始めればいい。まずはあの時伝えられなかった言葉を言おう。

「愛してる、ジューン」
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