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植物園に行こう! 1
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夏の一番の行事である聖マーティナ祭が終わって数日後。まだまだ王都は夏の暑さの中にある。
「さて、これで全員揃ったわね?」
今日はエドウズ商会の店休日だ。その店の裏手に、祭りの時のように工房のみんなが集まっている。それぞれの手には大きなバスケットが下げられている。
「来られる人間は全員よ。そろそろ出発してもいいんじゃない?」
点呼を取ったマキシーンがそうエセルに告げる。今日は工房のみんなで王立植物園へ行くのだ。
「楽しみねえ」
「夏の植物園って言ったら、アイスクリーム屋が屋台で出るのよねー」
「エミーったら、また食べる事?」
「いいじゃない! 大事よ? 食べる事」
エミーの食通情報に、アリエルが呆れたような声を出す。これもいつもの風景だ。
「そこ! 騒がないの! じゃあ行きましょうか」
エセルのその一声に、居合わせたみんなが何故か腕を振り上げて『おー!』と応えていた。
「え? ルイザってまだ植物園、行った事ないの?」
「え? うん」
聖マーティナ祭の翌日の工房で、そんな話が出たのは昼休み近くになった時だった。各々祭りの最中にどの辺りを回っていたかの話になり、ルイザがエセルに王都の名所案内をしてもらったくだりになった所だった。
いつもの仕事中のおしゃべりである。相変わらず口も動かすが手も動かす。彼女達は仕事の面では職人としての誇りを持っている。
「やだ! 王都に来てもう結構経つよねえ?」
エミーは大げさな程驚いている。確かに植物園は王都の観光名所の一つだとは聞いていた。だがそんなに全員が全員行っているべき場所なのだろうか。その疑問は素直に言葉になって出てきた。
「……みんな行くような場所なの?」
「王都の憩いの場の一つなのよう!」
「というか、恋人同士で行く場所の定番、かしらね」
脇からアリエルがエミーにちゃちゃを入れる。エミーの言葉には、いつも誰かしらが何か言うのがいつもの光景になっていた。
「家族連れだって多いじゃない」
「そりゃね。でもルイザくらいの年なら違う方じゃない?」
にやりと笑ってアリエルがそう言いながら、ルイザの方を見た。それに応える訳にもいかず、曖昧な笑顔で応対する。
言える訳がない。勇者となった元恋人を捨てる為に、故郷ごと捨てて王都へ来た、などと。
おかげで未だにルイザは『独り身』扱いではあるが、本当の事でもあるので黙っていた。
「そういやルイザが店に来てから、季節一つ超えたくらいだっけ?」
エセルの言葉にルイザはこくりと頷く。王都に着いたのが春先だったので、夏真っ盛りの今、そこそこの期間王都で過ごした事になる。
だが有り難い事に仕事が順調で忙しい為、貴重な店休日は食材だの生活雑貨だのの買い出しに当てられていた。あちこち出歩いていなかったのは、その余裕がなかった為でもある。
「まあ忙しかったからねえ。じゃあまだ王都、ろくに見て回ってないのね?」
「お祭りの時、ついでにエセルに色々教えてもらったのよ」
「ああ、それで植物園ね」
アリエルは合点がいったとばかりに笑った。大方エセルが自分の好みで王都を案内したのだろう。
エセルは植物園がお気に入りなのだ。綺麗な花が咲いているだけでなく、あの庭園は造りそのものが凝っている。
それもそのはず、王立という名は伊達ではない。植物園は元々王族の離宮があった場所なのだ。
その持ち主が亡くなる際、遺言で一般公開するようにと指示していたのだという。なので植物園の奥には、今でも立派な屋敷が存在しているのだ。
エセルが植物園を好むのは、ここに理由がある。屋敷は今では一般公開に会わせて中を少し改装し、一階は喫茶店に、二階は食堂になっている。
二階はさすがに値段的に高くて二の足を踏むのだが、喫茶店程度ならば十分普段使い出来る値段で、お茶とお菓子を楽しむ事が出来る。
そしてエセルはここでお茶をするのが好きだった。エミーのようにあちこちにお気に入りの店を持っている訳ではないのだが、エセルも十分食にはこだわりを持っている。アリエルはそれを知っていた。
「じゃあさ、今度一緒に行かない? 植物園」
「え?」
突然のエミーからの申し出に、ルイザは目を大きく見開いた。まさかこの流れでこういう話になるとは思わなかったのだ。
「ああ、それ良いわね」
エミーの言葉にはエセルも乗ってきた。
「何だったら店休日にみんなで行く?」
「そうね。まだちょっと暑いけど、植物園なら木陰もたくさんあるし」
「みんなでお弁当でも作って行きましょうか」
「賛成ー!」
あっという間に計画が立ってしまった。集合場所と時間が早速決められ、マキシーンが当日参加出来る人間を募ると、工房の全員が行くという。
先日の祭りの時にも思ったが、この工房の仲間は、非常に仲が良い。普通女ばかりの職場では大なり小なりもめ事が起こるものだが、エドウズ商会ではそれが極端に少ない。
よく見ていれば、工房の方はエセルが、店舗の方と工房、オーガストの三者の橋渡しはマキシーンとエルヴィラが担っている。その役割分担がきちんと機能しているおかげで、ぎすぎすしたところがないのだ。
入ってまだ日の浅いルイザにも、それは見て取れた。
「で? ルイザ、行くわよね?」
そうエセルに確認されるまでもなく、既にルイザの心は決まっていた。
「もちろん!」
ルイザは出かけるきっかけになった四日前の事を思い出していた。それからの仕事中の話題は、主に植物園の事になったのは言うまでもない。
ちなみにオーガストは不参加である。こういった工房の仲間で出かける場合、彼は参加しないのだそうだ。
普段から女性の多い職場を抱えているだけあって、女性に関する機微にはさとい。それ故の不参加だ。
それに雇い主である自分が参加すると、みんなが羽を伸ばせないだろう、という言い訳じみた理由もついているらしい。
昼食は各自弁当を持参する事になった。本日みんなの手にあるバスケットの中身がそうだ。
植物園の中には広い芝生があって、自由に敷布を広げて憩う事が出来るのだという。
屋台がいろいろ出ていて、昼食をそこで買う事も出来るようだが、昼時にはどこも混むので、なるべくなら持参した方がいいというのがエセルの談だった。
「結構普通の日でもそうやってお昼食べてる人、いるわよ」
「子供連れとかね」
「へー」
植物園までは距離があるので、乗り合い鉄馬車で行く。今日は工房のみんなで移動するので、相当な人数だ。
「乗り切れるかしら?」
「てか貸し切り状態になるんじゃない?」
エミーの言葉は正しく、全員が乗った時点で鉄馬車の御者は行き先を聞いてきた。それにエセルが答えると、馬車の先頭部分にある札を『貸し切り』に変更したのだ。始発の停車場から乗ったのは正解のようである。
これ以上人を乗せられないと判断したのだろう。それにさえ、みんなはこらえきれないように笑い出している。ルイザも一緒に笑った。
店舗から一番近い始発の停車場から植物園まで、乗り合い鉄馬車でも少しかかる。祭りの時はこの道を歩いたなあ、と車窓から通りを眺めつつ、ルイザはぼんやり考えていた。
窓から入る風が気持ちいい。朝のうちではあるが、もう気温は上がり始めている。今日もかなり暑くなるだろう。
鉄馬車は大通りを西に抜け、一度王都中央神殿の前を通り、そのまま王都を北上していく。植物園は王都の北側にあるのだ。
そして植物園の南側に広がるのは王宮である。間には背の高いロートアイアンのフェンスがあり、等間隔に兵士が常駐している。
だがそれすら植物園の醍醐味になるらしく、フェンス付近にはいつでも人が多いという。
鉄馬車は植物園の正門前で停まった。正門は西側にあり、朝の開園から夕方遅くの閉園まで、その大きな門を開いている。こちらもロートアイアンだ。
開園時間からさほど経っていないにも関わらず、聞いていた通りに人の数が多い。同年代同士や、親子連れとおぼしき人達も確かにいる。
意外なのは、明らかに貴族や富裕層とわかる馬車もちらほら見える事だ。その馬車はそのまま門を潜っていくようだ。
「ねえ、貴族なんかも植物園って、来るの?」
ルイザは隣にいたアリスンに聞いてみた。普段は少し取っつきにくい印象を受ける彼女だが、今日は外という事もあるからか、いつもよりも柔和な感じに見える。
聞かれたアリスンの方は、ルイザの方をちらりと見ると表情も変えずに淡々と答えた。こういう所は相変わらずだ。
「そりゃあ来るでしょう。夏だから季節外れではあるけど、ここの植物園も社交場の一つなのよ」
「え? そうなの?」
初耳だ。故郷では社交場などと言われるような場所はほぼなかったし、当然貴族も身近にはいなかった。地方領主はいるが、それだって地方都市の領主館にいて、滅多な事ではルイザの住む街までは来ない身だ。
ルイザとアリスンの会話を聞きつけ、エミーがすかさず追加情報を寄越した。こういう所は抜け目がない。
「植物園って、元は王族の離宮の庭園だったんだって。それが何代か前の持ち主の遺言で、市民に開放して王立植物園になったのよ。元が離宮だから、その名残の建物とかもあるしね。だからお貴族様の社交場にもなってるってわけ。もっとも庶民とは使う区域が別れてるから、かち合う事はないけどね」
「へー」
話を聞きながら、ぞろぞろと植物園の通りを進む。ルイザの手には入り口でもらった植物園の案内図が握られている。
王立植物園は東西に長く広がっていて、王都の大通りのように西から東へ一つ大きな通りが通っている。中央通りだ。
そこから小道がいくつも枝分かれしていて、それぞれの区画へと続いているのだ。
一行はまず一番の目玉になる、硝子製の大温室に向かっている。温室は植物園の丁度中央付近にある建物だ。
「ここからでも大温室の屋根だけは見えるわよ。ほら、あそこ」
エセルの指さす方を見れば、確かに木立の向こう側にドーム上の屋根がかすかに見える。強い日差しを受けて、きらきらと輝いているようだ。ルイザは強い日差しに手をかざすようにして、屋根の方を見上げた。
中央通りの両脇にも、見応えのある植物が植えられている。大きな木が並木のように植えられていて、降り注ぐ夏の日差しを遮るそれは、いい日よけになっていた。
その大木の足下には、綺麗に整えられた花壇が続いている。それも真四角ではなく、花壇の形そのものが花びらを模していたり、蝶を模していたりするのだ。少し離れた所から見るそれらは、とても可愛らしい。
花壇の作られている部分は、奥に向けて高くなるよう傾斜が付けられている。そのおかげで花壇全体を、通りを歩きながらでも眺める事が出来るのだ。
その通りを団体状態で進んで行く。周囲から見たら、自分たちは何に見えるんだろう、とルイザは思った。
「あー、もう出てるー!!」
エミーの声に驚いてそちらを見やれば、エミーがどこだかを指さしながら嬉しそうな表情になっている。
指の先を辿れば、何かの屋台のようだ。言っていたアイスクリーム屋だろうか。既に人の列が出来ている。人気があるようだ。
「エミー! あれはあーとーで!」
エセルに、まるで子供にでも言い聞かせるような言い方をされ、エミーは頬をふくらませる。それを見てまたみんなが笑った。これもまたいつもの光景だった。
屋台の前を通り過ぎ、ゆるやかに蛇行する中央通りを道なりに進んでいくと、少し大きめの小道が左脇に見えてくる。立て看板が出ていて『大温室はこちら』と書いてあった。
見ればあちこちの小道にも、大なり小なり立て看板型の案内板がある。道に迷わないようにする工夫だろうか。それらを見ていたら、ルイザはいつの間にか一行からはぐれそうになっていて、慌てて後を追った。
目の前にそびえる、大きな硝子張りの建物に、ルイザはしばし目を奪われて身動きすら出来なかった。
大きさもあるのだが、その美しさにも心を奪われる。陽光が反射する硝子も、枠組みの鉄骨さえ無骨には映らない。むしろ繊細な銀細工のように見えて、まるでおとぎ話の中に出てくる妖精の城のようだ。
「綺麗でしょう」
ぽかんと口を開けて見入っているルイザを見ながら、エセルが聞いてきた。その声でルイザは現実に戻ってこれたようだ。
はっとして口を閉じながら、声のした方を見る。穏やかな、どこか妹を見守る姉のような表情のエセルと視線があった。
先程までの自分の呆け振りを思い返すと、少々気まずい気もする。頬の辺りが暑いのは、陽気のせいだけではないだろう。
「ええ、とっても。さすがに王都ねえ」
「そうね。これだけのものはさすがに王国広しといえど、ここだけでしょうね」
先程の醜態を特に笑うでなく、エセルはそのまま大温室の説明を続けてくれた。
「この大温室はここが植物園として公開される年に作られたんだそうよ。仕掛けはよく知らないけど、一年中一定の温度になるよう管理されてるんだって。中の気温は少し高めに設定されてるから、ここらでは見られない南の方の花とか植物なんかも栽培されてるの」
その大温室は、ここの目玉であるだけはあって人の数も多い。建物の大きさに反比例する入り口の狭さのせいで、結構な人の列が出来ていた。
「並ぶのねえ」
「まあここの目玉施設だからね。初めて来た人は、最初はここ、っていうのが定番みたいなものだから」
そういえば、とルイザは今更ながらに自分も植物園に初めてきたのだと思い出した。
きっと一人で来たなら、どこから回ろうかとまごついた事だろう。こういう時にも工房の仲間は頼りになった。
──良い仲間に恵まれて、本当、良かったなあ
口にこそ出さなかったが、ルイザは心の底からそう思っていた。
「さて、これで全員揃ったわね?」
今日はエドウズ商会の店休日だ。その店の裏手に、祭りの時のように工房のみんなが集まっている。それぞれの手には大きなバスケットが下げられている。
「来られる人間は全員よ。そろそろ出発してもいいんじゃない?」
点呼を取ったマキシーンがそうエセルに告げる。今日は工房のみんなで王立植物園へ行くのだ。
「楽しみねえ」
「夏の植物園って言ったら、アイスクリーム屋が屋台で出るのよねー」
「エミーったら、また食べる事?」
「いいじゃない! 大事よ? 食べる事」
エミーの食通情報に、アリエルが呆れたような声を出す。これもいつもの風景だ。
「そこ! 騒がないの! じゃあ行きましょうか」
エセルのその一声に、居合わせたみんなが何故か腕を振り上げて『おー!』と応えていた。
「え? ルイザってまだ植物園、行った事ないの?」
「え? うん」
聖マーティナ祭の翌日の工房で、そんな話が出たのは昼休み近くになった時だった。各々祭りの最中にどの辺りを回っていたかの話になり、ルイザがエセルに王都の名所案内をしてもらったくだりになった所だった。
いつもの仕事中のおしゃべりである。相変わらず口も動かすが手も動かす。彼女達は仕事の面では職人としての誇りを持っている。
「やだ! 王都に来てもう結構経つよねえ?」
エミーは大げさな程驚いている。確かに植物園は王都の観光名所の一つだとは聞いていた。だがそんなに全員が全員行っているべき場所なのだろうか。その疑問は素直に言葉になって出てきた。
「……みんな行くような場所なの?」
「王都の憩いの場の一つなのよう!」
「というか、恋人同士で行く場所の定番、かしらね」
脇からアリエルがエミーにちゃちゃを入れる。エミーの言葉には、いつも誰かしらが何か言うのがいつもの光景になっていた。
「家族連れだって多いじゃない」
「そりゃね。でもルイザくらいの年なら違う方じゃない?」
にやりと笑ってアリエルがそう言いながら、ルイザの方を見た。それに応える訳にもいかず、曖昧な笑顔で応対する。
言える訳がない。勇者となった元恋人を捨てる為に、故郷ごと捨てて王都へ来た、などと。
おかげで未だにルイザは『独り身』扱いではあるが、本当の事でもあるので黙っていた。
「そういやルイザが店に来てから、季節一つ超えたくらいだっけ?」
エセルの言葉にルイザはこくりと頷く。王都に着いたのが春先だったので、夏真っ盛りの今、そこそこの期間王都で過ごした事になる。
だが有り難い事に仕事が順調で忙しい為、貴重な店休日は食材だの生活雑貨だのの買い出しに当てられていた。あちこち出歩いていなかったのは、その余裕がなかった為でもある。
「まあ忙しかったからねえ。じゃあまだ王都、ろくに見て回ってないのね?」
「お祭りの時、ついでにエセルに色々教えてもらったのよ」
「ああ、それで植物園ね」
アリエルは合点がいったとばかりに笑った。大方エセルが自分の好みで王都を案内したのだろう。
エセルは植物園がお気に入りなのだ。綺麗な花が咲いているだけでなく、あの庭園は造りそのものが凝っている。
それもそのはず、王立という名は伊達ではない。植物園は元々王族の離宮があった場所なのだ。
その持ち主が亡くなる際、遺言で一般公開するようにと指示していたのだという。なので植物園の奥には、今でも立派な屋敷が存在しているのだ。
エセルが植物園を好むのは、ここに理由がある。屋敷は今では一般公開に会わせて中を少し改装し、一階は喫茶店に、二階は食堂になっている。
二階はさすがに値段的に高くて二の足を踏むのだが、喫茶店程度ならば十分普段使い出来る値段で、お茶とお菓子を楽しむ事が出来る。
そしてエセルはここでお茶をするのが好きだった。エミーのようにあちこちにお気に入りの店を持っている訳ではないのだが、エセルも十分食にはこだわりを持っている。アリエルはそれを知っていた。
「じゃあさ、今度一緒に行かない? 植物園」
「え?」
突然のエミーからの申し出に、ルイザは目を大きく見開いた。まさかこの流れでこういう話になるとは思わなかったのだ。
「ああ、それ良いわね」
エミーの言葉にはエセルも乗ってきた。
「何だったら店休日にみんなで行く?」
「そうね。まだちょっと暑いけど、植物園なら木陰もたくさんあるし」
「みんなでお弁当でも作って行きましょうか」
「賛成ー!」
あっという間に計画が立ってしまった。集合場所と時間が早速決められ、マキシーンが当日参加出来る人間を募ると、工房の全員が行くという。
先日の祭りの時にも思ったが、この工房の仲間は、非常に仲が良い。普通女ばかりの職場では大なり小なりもめ事が起こるものだが、エドウズ商会ではそれが極端に少ない。
よく見ていれば、工房の方はエセルが、店舗の方と工房、オーガストの三者の橋渡しはマキシーンとエルヴィラが担っている。その役割分担がきちんと機能しているおかげで、ぎすぎすしたところがないのだ。
入ってまだ日の浅いルイザにも、それは見て取れた。
「で? ルイザ、行くわよね?」
そうエセルに確認されるまでもなく、既にルイザの心は決まっていた。
「もちろん!」
ルイザは出かけるきっかけになった四日前の事を思い出していた。それからの仕事中の話題は、主に植物園の事になったのは言うまでもない。
ちなみにオーガストは不参加である。こういった工房の仲間で出かける場合、彼は参加しないのだそうだ。
普段から女性の多い職場を抱えているだけあって、女性に関する機微にはさとい。それ故の不参加だ。
それに雇い主である自分が参加すると、みんなが羽を伸ばせないだろう、という言い訳じみた理由もついているらしい。
昼食は各自弁当を持参する事になった。本日みんなの手にあるバスケットの中身がそうだ。
植物園の中には広い芝生があって、自由に敷布を広げて憩う事が出来るのだという。
屋台がいろいろ出ていて、昼食をそこで買う事も出来るようだが、昼時にはどこも混むので、なるべくなら持参した方がいいというのがエセルの談だった。
「結構普通の日でもそうやってお昼食べてる人、いるわよ」
「子供連れとかね」
「へー」
植物園までは距離があるので、乗り合い鉄馬車で行く。今日は工房のみんなで移動するので、相当な人数だ。
「乗り切れるかしら?」
「てか貸し切り状態になるんじゃない?」
エミーの言葉は正しく、全員が乗った時点で鉄馬車の御者は行き先を聞いてきた。それにエセルが答えると、馬車の先頭部分にある札を『貸し切り』に変更したのだ。始発の停車場から乗ったのは正解のようである。
これ以上人を乗せられないと判断したのだろう。それにさえ、みんなはこらえきれないように笑い出している。ルイザも一緒に笑った。
店舗から一番近い始発の停車場から植物園まで、乗り合い鉄馬車でも少しかかる。祭りの時はこの道を歩いたなあ、と車窓から通りを眺めつつ、ルイザはぼんやり考えていた。
窓から入る風が気持ちいい。朝のうちではあるが、もう気温は上がり始めている。今日もかなり暑くなるだろう。
鉄馬車は大通りを西に抜け、一度王都中央神殿の前を通り、そのまま王都を北上していく。植物園は王都の北側にあるのだ。
そして植物園の南側に広がるのは王宮である。間には背の高いロートアイアンのフェンスがあり、等間隔に兵士が常駐している。
だがそれすら植物園の醍醐味になるらしく、フェンス付近にはいつでも人が多いという。
鉄馬車は植物園の正門前で停まった。正門は西側にあり、朝の開園から夕方遅くの閉園まで、その大きな門を開いている。こちらもロートアイアンだ。
開園時間からさほど経っていないにも関わらず、聞いていた通りに人の数が多い。同年代同士や、親子連れとおぼしき人達も確かにいる。
意外なのは、明らかに貴族や富裕層とわかる馬車もちらほら見える事だ。その馬車はそのまま門を潜っていくようだ。
「ねえ、貴族なんかも植物園って、来るの?」
ルイザは隣にいたアリスンに聞いてみた。普段は少し取っつきにくい印象を受ける彼女だが、今日は外という事もあるからか、いつもよりも柔和な感じに見える。
聞かれたアリスンの方は、ルイザの方をちらりと見ると表情も変えずに淡々と答えた。こういう所は相変わらずだ。
「そりゃあ来るでしょう。夏だから季節外れではあるけど、ここの植物園も社交場の一つなのよ」
「え? そうなの?」
初耳だ。故郷では社交場などと言われるような場所はほぼなかったし、当然貴族も身近にはいなかった。地方領主はいるが、それだって地方都市の領主館にいて、滅多な事ではルイザの住む街までは来ない身だ。
ルイザとアリスンの会話を聞きつけ、エミーがすかさず追加情報を寄越した。こういう所は抜け目がない。
「植物園って、元は王族の離宮の庭園だったんだって。それが何代か前の持ち主の遺言で、市民に開放して王立植物園になったのよ。元が離宮だから、その名残の建物とかもあるしね。だからお貴族様の社交場にもなってるってわけ。もっとも庶民とは使う区域が別れてるから、かち合う事はないけどね」
「へー」
話を聞きながら、ぞろぞろと植物園の通りを進む。ルイザの手には入り口でもらった植物園の案内図が握られている。
王立植物園は東西に長く広がっていて、王都の大通りのように西から東へ一つ大きな通りが通っている。中央通りだ。
そこから小道がいくつも枝分かれしていて、それぞれの区画へと続いているのだ。
一行はまず一番の目玉になる、硝子製の大温室に向かっている。温室は植物園の丁度中央付近にある建物だ。
「ここからでも大温室の屋根だけは見えるわよ。ほら、あそこ」
エセルの指さす方を見れば、確かに木立の向こう側にドーム上の屋根がかすかに見える。強い日差しを受けて、きらきらと輝いているようだ。ルイザは強い日差しに手をかざすようにして、屋根の方を見上げた。
中央通りの両脇にも、見応えのある植物が植えられている。大きな木が並木のように植えられていて、降り注ぐ夏の日差しを遮るそれは、いい日よけになっていた。
その大木の足下には、綺麗に整えられた花壇が続いている。それも真四角ではなく、花壇の形そのものが花びらを模していたり、蝶を模していたりするのだ。少し離れた所から見るそれらは、とても可愛らしい。
花壇の作られている部分は、奥に向けて高くなるよう傾斜が付けられている。そのおかげで花壇全体を、通りを歩きながらでも眺める事が出来るのだ。
その通りを団体状態で進んで行く。周囲から見たら、自分たちは何に見えるんだろう、とルイザは思った。
「あー、もう出てるー!!」
エミーの声に驚いてそちらを見やれば、エミーがどこだかを指さしながら嬉しそうな表情になっている。
指の先を辿れば、何かの屋台のようだ。言っていたアイスクリーム屋だろうか。既に人の列が出来ている。人気があるようだ。
「エミー! あれはあーとーで!」
エセルに、まるで子供にでも言い聞かせるような言い方をされ、エミーは頬をふくらませる。それを見てまたみんなが笑った。これもまたいつもの光景だった。
屋台の前を通り過ぎ、ゆるやかに蛇行する中央通りを道なりに進んでいくと、少し大きめの小道が左脇に見えてくる。立て看板が出ていて『大温室はこちら』と書いてあった。
見ればあちこちの小道にも、大なり小なり立て看板型の案内板がある。道に迷わないようにする工夫だろうか。それらを見ていたら、ルイザはいつの間にか一行からはぐれそうになっていて、慌てて後を追った。
目の前にそびえる、大きな硝子張りの建物に、ルイザはしばし目を奪われて身動きすら出来なかった。
大きさもあるのだが、その美しさにも心を奪われる。陽光が反射する硝子も、枠組みの鉄骨さえ無骨には映らない。むしろ繊細な銀細工のように見えて、まるでおとぎ話の中に出てくる妖精の城のようだ。
「綺麗でしょう」
ぽかんと口を開けて見入っているルイザを見ながら、エセルが聞いてきた。その声でルイザは現実に戻ってこれたようだ。
はっとして口を閉じながら、声のした方を見る。穏やかな、どこか妹を見守る姉のような表情のエセルと視線があった。
先程までの自分の呆け振りを思い返すと、少々気まずい気もする。頬の辺りが暑いのは、陽気のせいだけではないだろう。
「ええ、とっても。さすがに王都ねえ」
「そうね。これだけのものはさすがに王国広しといえど、ここだけでしょうね」
先程の醜態を特に笑うでなく、エセルはそのまま大温室の説明を続けてくれた。
「この大温室はここが植物園として公開される年に作られたんだそうよ。仕掛けはよく知らないけど、一年中一定の温度になるよう管理されてるんだって。中の気温は少し高めに設定されてるから、ここらでは見られない南の方の花とか植物なんかも栽培されてるの」
その大温室は、ここの目玉であるだけはあって人の数も多い。建物の大きさに反比例する入り口の狭さのせいで、結構な人の列が出来ていた。
「並ぶのねえ」
「まあここの目玉施設だからね。初めて来た人は、最初はここ、っていうのが定番みたいなものだから」
そういえば、とルイザは今更ながらに自分も植物園に初めてきたのだと思い出した。
きっと一人で来たなら、どこから回ろうかとまごついた事だろう。こういう時にも工房の仲間は頼りになった。
──良い仲間に恵まれて、本当、良かったなあ
口にこそ出さなかったが、ルイザは心の底からそう思っていた。
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『これも「ざまぁ」というのかな?』完結 - どうぞ「ざまぁ」を続けてくださいな・他
こうやさい
ファンタジー
短い話を投稿するのが推奨されないということで、既存のものに足して投稿することにしました。
タイトルの固定部分は『どうぞ「ざまぁ」を続けてくださいな・他』となります。
タイトルやあらすじのみ更新されている場合がありますが、本文は近いうちに予約投稿されるはずです。
逆にタイトルの変更等が遅れる場合もあります。
こちらは現状
・追放要素っぽいものは一応あり
・当人は満喫している
類いのシロモノを主に足していくつもりの短編集ですが次があるかは謎です。
各話タイトル横の[]内は投稿時に共通でない本来はタグに入れるのものや簡単な補足となります。主観ですし、必ず付けるとは限りません。些細な事に付いているかと思えば大きなことを付け忘れたりもします。どちらかといえば注意するため要素です。期待していると肩透かしを食う可能性が高いです。
あらすじやもう少し細かい注意書き等は公開30分後から『ぐだぐだ。(他称)』(https://www.alphapolis.co.jp/novel/628331665/878859379)で投稿されている可能性があります。よろしければどうぞ。
URL of this novel:https://www.alphapolis.co.jp/novel/628331665/750518948
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