エミちゃんとネコになった僕

むとう けい(武藤 径)

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ボスネコ

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 それから数日がたった、気持ちのいい秋の土曜日。
 エミちゃんはベランダで洗濯物を干していた。僕はエアコンの室外機の上にいて、エミちゃんのすることをのんびりと眺めていた。
「凛太朗はいいなぁ、のんびりお昼寝タイム。私もネコになりたかったかも」
 僕はニャーと呟いた。エミちゃん、それ、本気で言っている? 飼いネコなんかすることもなくて、退屈なだけなんだぞ。あぁそれにしてもなんて眠いのだろう。僕はうつらうつらとやりだした。

 ピロリロリン~♪
 ピロリロリン~♪
 業務車がアパートの角を左折する。
 
『さお屋、竿竹~』
 竿竹を積んだ軽トラが通り過ぎた。

 ブーンとミツバチが飛んできて、僕はしっぽで追い払う。不意に携帯電話の着信が鳴った。エミちゃんは洗濯物を置いたまま、部屋の中へと入っていった。『お母さん? うん、元気だよーー』きっとエミちゃんのお母さんも美人に違いないと思うのだった。

『コンポ、パソコン、冷蔵庫、洗濯機など、ご家庭で不要になったものを、 高く、高く買い取りさせていただきます』
 廃品回収の業者は町内をくまなく回っているようだった。

 なんて平和な日だろう……。つい一月前、雨に打たれ、路頭迷っていただなんて考えられなかった。エミちゃんに拾われていなかったら、今頃はどうしていたのだろ……。
 子供たちがキャッキャッと走り回る。ヘリコプターが空を横切り、時折秋の爽やかな風が吹いてきた。

 僕はほとんど眠りかけていた。そのときだった。中学生だろうか、数人がわいわいと集まって何かを放り投げた。
 パンと一発の破裂音が住宅街に響いた。次の瞬間、僕の頭上でバババッと爆竹と思われる花火が連続して破裂した。驚いた僕は室外機の上から飛びあがった。ベランダから部屋へ逃げ込むはずが、ジャンプする方向を誤ってしまったようだ。柵から空に飛び出した僕は、はるか下の地面に向かって真っ逆さまに落ちてゆくではないか。僕はしなやかに体をひねり、一回転しながら忍者のごとく地面に降り立った。だが、着地した場所が悪かった。らんらんと瞳を輝かせる六人の中学生と目が合った。にじり寄る中学生。ヤバイと感じた僕は通りを走り抜ける。自分でも驚くほどの身体能力に身をまかせ、本能のなすがままに逃にげた。住宅街のモータープールの中に逃げ込むと乗用車の下に身を隠した。
 しばらくたって、中学生たちがこないと判ると僕はタイヤの陰からそろそろと這い出した。そこは、古い戸建てが密集している場所だった。見たこともない景色に僕は呆然とした。帰るべきエミちゃんのアパートがどこにあるか判らないのだ。ニャーと鳴いて、エミちゃんに自分の場所を知らせるも、迎えにくる気配はなかった。仕方がなしに塀づたいに歩いてゆく。気づけば農家の庭先に入り込んでいた。
「ここ、どこだろう? 」草むらに丸々と太ったカエルが跳ねていた。それを視た僕はグーッと腹が鳴った。逃走にエネルギーを費やしたせいで腹がへったのだ。僕は無性にカエルが旨そうにみえた。飛び上がり前足でカエルを捕らえる。すると、どこからともなく地を這うような唸り声がいくつも重なって聞こえてきた。

「おまえ誰だ?ここいらで見かけねぇ顔だな」
 土塀の上にトラみたいに大きなネコが見下ろしていた。
「ボス、こいつ家ネコとちゃいますか?」
 軽トラのボンネット上のもう一匹は三毛ネコだった。子分は僕に向かって不敵な笑みを浮かべていた。
「す、すみません。道に迷ってしまいまして、すぐに出ていきますから」
「ほら、やっぱ家ネコですぜ」
「ふん、家ネコの分際で俺様の縄張り入り込むとはいい度胸しているぜ」
「ですから、迷っただけですので、すぐに出ていきます」
 だが、血に飢えた野良ネコたちは僕の話なんか訊いちゃいなかった。ボンネットから子分が降りてきた。しっぽを揺らしながらゆっくりと僕に向かってくる。一方、僕は身を低くする。背を向けたら、いつ襲われてもおかしくない状況に追い込まれた。
 シャーと威嚇すると子分は飛び上がる。僕は咄嗟足元のカエルをくわえると子分に向かって投げつけた。
「カエル!?」
「カエルだと!?」ボスネコもカエルに反応した。
 二匹の野良ネコがカエルに気を取られている隙に僕は逃げ出した。
 まんまと逃げおおせたと思いたかった。だが、ネコの世界はそんなに甘いものではないようだ。なぜなら、口の端からカエルの足が飛び出した状態のボスネコが僕を追いかけてきたからだ。僕は本能のおもむくままに突っ走る。モータープールまで戻ると車の下にもう一度逃げ込んだ。身体の大きなネコは身動きがとりにくい。僕はすばしっこく車の下から下へと移動する。うまく距離が開いたと思いきや、悪い事は重なるものだ、頭上の車がそろそろとタイヤをきしませ動き出した。
 ボスネコはチャンスとばかりにワギャーと雄叫びを挙げ、僕の背中に飛びかかる。
 まともに。僕はあらん限りの力を振り絞り瞬間移動のごとく猛ダッシュ、捕まる寸前のところで回避した。
「チッ! ネズミみたいな野郎だ」ボスネコは悔しそうだ。「だが、所詮ネズミはネズミだ」ボスネコの言った通り僕の背後にブロック塀がそそり立っていた。僕は文字通りの袋のネズミだった。

 凛太朗ーー

 このとき僕はエミちゃんの声を訊いたような気がした。僕はモータープールを見回す。ボスネコの背後にすらりとした人影が立っていた。
 
『エミちゃん! エミちゃん! エミちゃん!』
 僕の必死の鳴き声にエミちゃんが気づいた。

「凛太朗? なんてこと……。ーーコラッ! うちの凛太朗になんてことするの!」
 エミちゃんは拳を振り上げ、見たこともないような剣幕でボスネコを追い払う。先に子分の三毛ネコが逃げ出した。分が悪いと思ったのかボスネコはしぶしぶ退散する。僕は救世主のエミちゃんめがけて駆け出した。




 その夜ーー

 エミちゃんはベッドの中で僕を抱きしめながら言った。
「凛太朗がいなくなっちゃって本当に悲しかったよ。でも、戻ってきて良かった」
 僕はニャーと答える。
「凛太朗もそう思うの? 」
『もちろん!』
 エミちゃんの口もとが笑った。
「ねぇ、君はなんだかどこかネコっぽくなくて、それにとても賢いと思うよ」
 エミちゃんのふくよかな胸の中で喉を鳴らした。毎日一緒にこうしていられるなら、ネコのままでもいい。僕は存分に幸せを味わうのだった。

 
 
 

 
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