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赤硝子の城

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「大丈夫ですか?」
 タイガは息を弾ませるクローディアを支えた。
「すみません……。少しのぼせてしまったようです」
「私も舞踏の場は久しぶりでしたので、はりきり過ぎたようです。このあたりで休憩にしましょう」
 テレサのはからいで二人はバルコニーに用意されたテーブル席につく。微笑むクローディアは、まるで木立に降り注ぐ陽の光ように淑やかだった。だが、共にいるタイガの心中は別のところにあった。和やかな宴のざわめきの中で、リリスと踊るさまを思い描いた。タイガはそうかと閃いた。王様が回復された後に、快気祝いに舞踏会を開いたらどうだろうか。その場を借りて、リリスとの婚約を発表すればいいのだ。彼女は、宮廷舞踊は知らないだろうから、まずは、踊り方を教えなくてはならない。けれど、リリスとなら、一晩中だって踊っていられる。
 この思い付きに心躍らせるタイガは、この場にいるのがもどかしく、気持ちは逸る一方だった。頃合いをみてオルレアン城を出ようと考えるのだった。
 その足でリリス逢うのだ。
 しかし、王族の男子として貴族の令嬢に恥をかかせたとあっては後々厄介だ。大公の体面を潰さないよう、かろうじて踏み留るのだった。
 ローザが飲み物を運んできた。
「太公夫人からでございます」
 グラスの中でつぎつぎと小さな気泡が生まれ、はじけている。空気の玉は液体にガスが含まれている証拠だった。
「これは?」
「喉を潤す柘榴ざくろ酒にございます」   
 カナトスの地下深くから湧き出る水の中には、炭酸が含まれる水脈もあった。汲んだ水を瓶に詰めて保管する。カナトスの女性や子供はこれを酒で香りづけをして飲むのが習慣だった。
「ここからの景色はさぞかし雄大なのでしょうね」
「はい……。今は暗くて見えませんが、ここからの景色は、まるで樹木の年輪の中にいるように感じます」
 鉱山の露天掘りの地層がそのように見えるのだろう。クローディアの瞳は心なしか寂しげに見えた。オルレアン大公の娘は、苦労知らずの花のようにちやほやされて育ったと思い込んでいたが、どうやら先入観であったのかもしれない。
「大公のお嬢様が、またなぜ、修道院の聖女としてお暮しに?」
 クローディアは、はっと息を呑んだ。どうやら踏み込んでしまったようだ。タイガは野暮な質問をしてしまった自分に後悔した。
「実は……三年ほど前に、父が亡くなりました。母親は異国の貴族と再婚したため、私はカナトス川の上流にある“聖なる泉修道院”にあずけられておりました。大公様が遠縁の私を養女として迎え入れてくださったのはつい最近のことなのでございます」
 リリスといい、クローディアといい、美しい容姿とは裏腹に寂しい幼少時代を過ごしていた。だが、自分もそうだ。母は城の外で暮らしていて、会えるのは年に数度だけ。いくら食うに困らない恵まれた環境であっても、家族の愛に飢えていては人として幸せだとはいえない。慎ましくとも、家族が一緒になって暮らしたほうがどれだけよいか。
「なるほどそうでしたか……」
「すみません、高貴な皇子様には養女の私では不釣り合いでございますね」
「そうは思いません。生まれを言い出したら私なども側室の子ですから。でも、今はとても幸せそうだ。お見受けしたところ、大公夫妻があなたをとても大切にされている」
 クローディアはただ微笑んでいた。美しいが、リリスと違い、どことなく気まずく間が持たない。手持ち無沙汰になったタイガは、柘榴酒をごくりと飲んだ。喉がかっと熱くなる。アルコールが思っていた以上にきつかった。夜風のせいかクローディアの顔は青ざめている。それと同時に、タイガは急に眠気を覚えるのだった。
 ーー久しぶりに躍ったせいで酔いが回ったのか?
「皇子様? いかがなされました」傍で控えていたローザが話しかけた。 
「大事ない。どうやら酒に酔ったとみえる。コンラッドはどこだ? 」
 タイガは立ち上がるも、足元がふらついた。いつの間にか男の使用人を連れたテレサが来ていた。
「皇子様、ここは人目につきますゆえ、別室でお休みなさいませ」
 タイガはローザと使用人に支えられながら隠し扉から大広間を抜け出た。


 ****************************************

 大公はその場を取りつくろうように人形師を呼び、カトスの女神の再話を演じさせた。宴の場にいた銀狐がほくそ笑む。テレサを焚きつけ、オルレアン大公をその気にさせたのは他でもないクロノムだった。
 なぜ、ペルセポネの使い魔から身を落とした銀狐がオルレアン家に出入し、大それた助言を聞き入れてもらえたのかーー。
 あの世とこの世の境目にある風車小屋の主のホビショーは、仲間のもののけたちを引き連れて、黄泉の森を抜け出してはオルレアン大公の鉱山で石英採掘し、生計を立てていた。リリスがいなくなってからというもの気力を失ったホビショーはすつかり寝込んでしまったのだ。そこで、ホビショーに取って代わってクロノムがもののけたちを率いるようになった。そうはいうものの、銀狐の頭には汗水垂らして働くなどという考えはなく、もののけたちを働かせながら、自分はどうにかして大公に取り入りたいと機会を窺っていた。悪知恵を働かせ、鉱夫たちの疲労や、怪我などに目をつけると、リリスの見様見真似で薬を煎じて呪文により治療をほどこした。それが、たちまちのうちに使用人の間で評判になり、知られることとなった。関節痛に悩むテレサに、ホビショーのために作り置きしてあったリリスの煎じ薬を献上したところ、痛みが消えたことから大公の母に取り入ることに成功したのだった。

『そなた、クローディアをみてどう思う?』
 数日前、テレサの施術中にクロノムはこう質問された。
『大奥様、それは、それは麗しいご令嬢様でいらっしゃいます。誰もが妻に迎えたいと思うでしょうね』
『そうであろう。タイガ皇子もきっとクローディアを気に入るはず』
『大奥様、それはどういう意味です?』
『タイガ様を祝いの席にお呼びし、クローディアと会っていただくのです』
 クロノムはこのとき初めて憎いタイガがオルレアン城にくると知った。リリスの心を奪い、自分に深手を負わせた憎い皇子。今こそ復讐するチャンスがやってきたとばかりに、銀狐は思考をくるくると巡らせた。
『大奥様、顔合わせくらいでは手ぬるいのではないでしょうか?』
『何を申す。そなたクローディアでは不足と申すか?』
『大奥様、クローディア様には何の不足もございません。ですが、人の内面など表面では判らぬもの』
『まさか、今の今まで、浮いた話など何一つなかった皇子に限ってそのようこが……?  そなた、皇子に意中の女がいると申すか?』
『あくまで風の噂にすぎませんが』クロノムは含みを持たせつつニヤリと笑った。
『ならば、もののけのそなたなら、どうすると?』
『このクロノムを、そこいらのもののけと一緒にしてもらっちゃこまります。以前の私は、偉大な冥府の女神に仕えておりましたから。使い魔の手法を用いるならーー』
クロノムはもったいぶった言い方で前置きする。
『大奥様、事を一気に推し進めるなら男女が床を共にするのが一番です。これは、我らが恋人を引き離すためによく使う手ですから、間違いない。ましてや名家の令嬢に汚点をつけたとなれば、皇子は結婚をせざる得ないはず』
 一方的に恨みを募らせる銀狐は一計を案じた。
 その後、テレサは王家の血筋を欲しがっている大公に長寿祝いの席で、タイガを引き止めるよう計画させるのであった。

「さぁ、皇子を奥へお連れしなさい。クローディア急ぎ支度をするのです」
 廊下で使用人らをせかすテレサがみえた。
 こうも簡単に事が運ぶとは、人間とは実に欲深いものだ。宴の間から抜け出したクロノムは、廊下の奥へと運ばれてゆくタイガに目を細めながら見送った。リリスには悪いが、タイガは別の女と一緒になってもらう。ペルセポネの仕事が終わればまた黄泉の森に戻ってくるのだし、そうしたらホビショーだってリリスと結ばれるのを許すはずだと考えるのだった。
 タイガによって酷い目に遭わされたが、クローディアが良き妻なら、きっと感謝するはず。王様になれた暁には仕えてやってもよいと考えるのだった。








 




 


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