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思い出の中の想い人

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 徳利に入れていた純米大吟醸は、いつの間にか残りが少なくなっていた。
 祖母がお猪口で二杯を飲み、私が三杯飲んだ。
 缶チューハイやカクテルと違って、日本酒はアルコール度数が高いからだろう。量は飲んでいないはずなのに、ほろよい具合がフワフワと心地よい。
 祖母は横に置いた着物の感触を確かめるように、指先で優しく撫でながら、雲の切れ間から顔を出す月を眺めていた。
 子供の頃に会った、ツクヨミやセツに思いを馳せているのだろう。
 私は折り畳み式の机に置いていたスマートフォンを手にし、写真が入っているフォルダを開く。撮影した菊酒の写真を選択して、手早くSNSに投稿した。
 何人が、いいね! とリアクションしてくれるだろう。
 承認欲求が満たされたい。誰でもいいから、多くの人に、私がいいと思う物を認めてほしかった。
 今はデザインの専門学校に通っているから、そういうセンスには少なからず自信がある。でも、独り善がりではダメだと、授業の度に講師から注意を受けてしまう。
 見てくれた人の印象に残る物。私が表現したい物。クライアントができた場合、そのクライアントが納得してくれる物。これらを融合させ、形にしていく楽しさと難しさを学んでいる。
 そしてある意味、専門学校で勉強させてもらっている内容は、私の趣味と実益を兼ねていた。
 スマートフォンの画面を操作し、一枚のイラストを表示する。
 祖母の肩をポンポンと軽く叩き、注意を引きつけた。

「ねぇ、コレ見える? 描いてみたんだ~」

 スマートフォンの画面を祖母の眼前に掲げ、瞳の焦点が定まっているか確認する。
 目を凝らしているけれど、なにも見えていないようではない。きっと大丈夫。見えているはずだ。
 本当は大きな紙に描くのが一番なのだろうけど、空き時間を見つけて作業をするには、どうしてもデジタルのほうが便利になってしまう。イラストのデータはクラウドに保存してあったから、せめてタブレットかノートパソコンの大きな画面で見せればよかったと、少し後悔した。
 緊張した面持ちで凝視していると、祖母の表現が和らぐ。

「あらぁ……貴女は本当に、絵が上手ね」

 嬉しそうに、祖母の目が細められたことに安堵した。

「ありがと。でも、まだまだなんだよねぇ」

 照れ隠しに悲観してみせるけれど、胸の内では、祖母が喜んでくれたことがとても嬉しい。
 時間が経ってスマートフォンの画面が暗くなってしまったから、もう一度画面を操作して明るくする。
 表示されたイラストは、自分なりに納得し、気に入っている一枚だ。だけど、それは井の中の蛙。

「私より上手な絵師さんなんて、たくさん居るし。私は模写が得意なだけだもん。デザインやイラストに関しては……個性がさ、オリジナリティが無いって、いつも学校で言われちゃうんだよね。どれだけインプットしても、アイデアが枯渇してるって言うかさー」

 好きだから勉強しているけれど、やはりセンスというものは、努力だけでなんとかなるものではない。上には上が居る。天才は、居るのだ。
 私が頭を抱え、長い時間をかけて考え抜いたデザインよりも、感性で素晴らしい物を作り上げてしまう天才が。
 その才能が私には備わっていないと気づいているから、天才の域に居る人種が羨ましくて仕方ない。
 
「でも、これは特徴ある絵だわ」
「そんなことないよ」

 全て、誰かの模倣なのだから。
 目の描き方も、髪の質感も、全体的な色の塗り方も。いいな、と思った人のものを真似しているだけ。私の完全オリジナルではないのだ。

「でも、おばあちゃんは嬉しいわ」
「なにが嬉しいの?」

 己の実力に悲観している私からすれば、祖母はなにが嬉しいのか分からない。
 祖母は「ふふっ」と笑い、スマートフォンを指差した。

「また、ツクヨミ様に会えると思わなかったもの」

 祖母から聞いた特徴を元に描いた、ツクヨミの似顔絵。
 誰を描いたのか説明していないのに、分かってもらえたことが嬉しい。

「……記憶の中に居るツクヨミ様と、似てる?」

 疑心暗鬼になりながら問えば、祖母は「えぇ」と頷く。

「ツクヨミ様の雰囲気も出ていて、素晴らしいわよ」
「そ? なら……よかった」

 褒めすぎだと思うけれど、祖母は落ち込んでいる私を励まそうとしてくれているのかもしれない。祖母の気持ちは、十分ありがたい。褒めてもらえることは、モチベーションに繋がる。
 私の唇にも笑みが浮かび、少しだけ心が軽くなっていた。
 また暗くなっていたスマートフォンの画面を明るくし、自分で描いたイラストを眺める。
 実力不足ではあるけれど、削除するには惜しい一枚。
 白い肌に、白銀の長い髪。翡翠色の瞳に、優しい眼差しと微笑みを浮かべる美男子。
 我ながら、上手く描けたと思う。
 
「ツクヨミ様、イケメンだね」
「そう、美しかったのよ。おばあちゃんの、初恋」

 初恋、という言葉を自分で口にしておきながら、祖母は顔を赤くし、照れている。
 何十年と遡り、恋する乙女に戻っているかのようだ。
 祖母と恋バナをする日が来るとは夢にも思っていなかったから、ここぞとばかりに深堀してみることにした。

「やっぱり……神様の、ツクヨミ様が……ばあちゃんの初恋?」

 祖母は沈黙し、横に置いていた着物を手にすると、ソッと頬擦りをして胸に抱く。静かに目を閉じて、そうよ、と呟いた。

「ツクヨミ様が、おばあちゃんの初恋。ツクヨミ様には、どの分類の好きか……いろんな経験をして大人になったら分かるだろうって言われてたんだけどね。いろんな分類の好きを経験したから、確信が持てたの。ツクヨミ様に対する好きは、憧れの好きでも、家族みたいな好きでもなく、恋人の好きとも違う。ただ……もう一度だけ会いたかった、あのときの気持ちに名前をつけるなら……やっぱり、織姫様が肯定してくれたように、初恋が正解だったなぁって」

 祖母は着物を抱き締めたまま、空を見上げる。私も一緒になって、空を見上げた。
 雲の切れ間から、優しく夜空を照らす月。ツクヨミのシンボルは、祖母にとって、思い入れのある特別な場所だ。
 ねぇ、と呼びかけられ、私は月から祖母に視線を戻す。
 どことなく、祖母は不安そうな表情を浮かべている。

「ステキなレディになってやるんだから! って啖呵を切ったんだけど、なれているかしら?」

 祖母の瞳には、自信の無さが見て取れた。

「ねぇ、貴女の目からは……おばあちゃん、どう見える?」

 これは、祖母の承認欲求だ。
 きっと、この歳まで生きてきた自分を肯定してほしい。認めてほしいのだと思う。
 私の知る祖母は、長生きして疎まれるような人生を送ってなどいない。自信を持っていい人生だ。

「私も将来は、ばあちゃんみたいなおばあちゃんになりたいよ。穏やかで、いつも笑ってて、でも叱るときはちゃんと怖くって……ばあちゃんは、最高だよ」

 私の言葉で、祖母が報われるか分からない。祖母の承認欲求が満たされたかどうかも分からないけれど、精一杯の気持ちは込めた。

「そぅ、ありがとう」

 嬉しそうに目を細めた祖母は、おもむろに私の手を取り、空に向かって掲げる。そして、月に向かって語りかけた。

「ツクヨミ様、セツちゃん。この子が、私の……自慢の孫ですよ。ソッチの世界から、見えてるかな?」

 祖母の目には、記憶の中に居るツクヨミやセツの顔が見えているのだろうか。
 私も月に目を向けるけれど、そこには、いつもと変わらない天体としての月があるだけだ。
 しばらくして、掲げられていた手が、力無く下ろされる。私の手を握っている祖母の握力は、とても弱々しい。
 歳を経てシワが寄り、皮膚がたるんでしまっている祖母の柔らかな手。そんな手を眺めていると、どこか切なく、でも、とても愛しく思える。
 祖母の顔を見遣れば、寂しそうに目を伏せていた。

「……なんて、ね。聞こえてるわけないし、見えてもいないわよね」

 諦めたように溜め息を吐くと、背中がアルマジロみたいに、より一層丸くなる。
 私は祖母の背中を撫でながら、ねぇ、と声をかけた。

「小さい頃みたいにさ……また聞かせてよ、ばあちゃんの話。ツクヨミ様や、天神人形や、菖蒲の剣で戦った話を」

 祖母は、フルフルと頭を横に振る。

「忘れちゃったわ。もう、鮮明に思い出せないの」
「大丈夫だから!」

 思わず、大きな声を出してしまった。
 悲しそうな祖母の姿を見ていたくないなんて、私のエゴでワガママだと、重々承知している。だけど、このまま……祖母を寂しい気持ちのままにしておきたくない。
 祖母の両肩を勢いよく掴み、諦めてしまっている祖母の顔を覗き込む。

「大丈夫だよ、ばあちゃん! 何十回も聞いてるから、ある程度は私が話を覚えてる。ばあちゃんの、不思議で……妖しいお話。だから、一緒に答え合わせをしていこうよ。そんで私が、ばあちゃんの特別な体験を……イラストとか絵本とか、なんかそういう形の物にして残すから!」

 私の勢いに圧倒され、祖母はポカンと口を開けている。
 善は急げ。祖母との会話が成り立っているうちに。思い立ったが吉日なのだ。
 あらすじをメモに取るより、ボイスレコーダーとか、そういった形で残しておいたほうが空気感も伝わるし、繰り返し確認できるだろう。
 インタビュー映像のように、動画に撮っていってもいいかもしれない。なんなら、そのまま動画投稿サイトにアップしてしまうのも手段としてはありだ。
 頭の中でいろいろとシュミレーションしながら、スマートフォンを操作する。

「動画にして……ばあちゃん慣れてないから、インカメで一緒のほうがいいかなぁ……っと、よし!」

 今以上に認知症が進んでしまったら、これから思い出せなくなってしまうであろう……祖母の宝物のように大切な、記憶を残してあげたい。
 祖母にとって特別で、大事にしている、生きた証なのだから。

「えーっと、じゃあ最初は、ススキを摘みに行ったとこからね」

 録画開始のボタンをタップする。
 スマートフォンの画面に映るのは、顔の造形が似ている私と祖母。
 私の大好きな祖母ーー陽菜は、そうねぇ……と呟きながら、とても懐かしそうに、白い輝きを放つ月を茶褐色の瞳に映していた。


《終》
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