若き日の晴明、山中にて語らう妖。

佐木 呉羽

文字の大きさ
上 下
3 / 4

ぼっちの一人と一匹と

しおりを挟む
 晴明は、白に浮かぶ一対の蒼い瞳から視線を逸らせずにいた。
 快晴の空のように、澄み渡るあお。見詰めていたら、吸い込まれてしまいそうなくらい美しい。毛並みは雪のような白。
 小さな狐は、上目遣いに晴明を見ている。
 大きさからして、まだ生まれてから一年は経っていないだろう。

(コイツが、あれ程の瘴気を?)

 にわかには信じられない。
 しかも人語を操るのだから、もっと歳を重ね、老いた獣だと勝手に思い込んでいた。

(先入観を持っていては、やはり見誤ってしまうな……)

 もっと疑り深く、幾つもの可能性を考えられるようにしなくては。
 だがそれより、なによりも。

「美しいな」

 小狐の眉間が寄り、鼻の上にもシワが寄る。唇の端も、少しだけ捲れ上がった。なにを意図しての表情なのか、皆目見当もつかない。
 小狐は、プイとそっぽを向く。

『そんなことを言われたのは、初めてだ』
(なるほど。照れていたのか)

 人間ならば、顔が赤くなっていることだろう。
 巣穴の中で話をしていたときと比べ、今のほうが小狐に話しやすい印象を受ける。軽口を叩いても、大丈夫かもしれない。
 晴明は、ニンマリと意地の悪い笑みを浮かべた。

「そうか、初めてか。ならば慣れぬであろう。どうだ? こそばゆいか? むず痒いか?」
『う、うるさい』

 小狐は、フサリと大きな尻尾で顔を覆う。その様子が、なんとも可愛らしい。気付けば笑みを浮かべ、声を立てて笑っていた。

「はは! 恥ずかしいか。それもまた、初めての経験だろう」
『う、うるさい、うるさい! うるさいと言っている! いちいち心を読むな』

 晴明は軽く目を見開き、アハハ! と膝を打つ。

「心など読まずとも、初めて言われた言葉が嬉しいのなら、感ずる気持ちはどれも全て似通ったものだ。心を読むまでもない。想像の域だよ」
『そ、そうなのか……?』
「ああ。そういうものだ」

 小狐は少しだけ尻尾を下ろし、晴明の顔を窺う。まるで、小さな子供が大人の機嫌を伺っているときのように。もしくは、檜扇で顔を隠して殿方の様子を伺う女官のようだ。

(そもそも、コイツは雌なのか……雄なのか)

 見ためでは、ちっとも判断がつかない。犬や猫でさえ引っくり返して見なければ判断がつかないこともあるのだから、狐も見ただけで分からなくても当然と言えよう。

『だって……誰も、教えてくれなんだ……』
「え、ん? 誰も?」

 他のことを考えていた晴明は、危うく小狐の呟きを聞き逃すところだった。
 小狐はそんな晴明に気付くことなく、シュンと下を向く。ダラリと尻尾を垂らし、小さな肩を竦めた。大きな耳も、ペタンと頭の丸みに沿う。
 耳や尻尾の動きが逐一愛らしく、庇護欲を掻き立てられそうだ。

『おとーは、物心ついた頃にはもう居なかった。おかーは、猟師に撃たれて食われちまった。仲間からは、蒼い瞳が気味悪いと爪弾きにされているから、俺だけの力で生き抜いていかなきゃならんのだ』
「天涯孤独というやつだな」

 頼れるのは己だけという孤独に打ちひしがれ、場の空気を陰気に淀ませる瘴気を発するほどには、気持ちが落ち込み滅入ってしまっているのだろう。

『生きていくには、俺だけでは限界がある。この世界は、優しいようで優しくない。食べられる物も食べられない物も、教えてもらうか自らを実験体にしなくては分からない。ならばもう、いっそのこと……おかーの所へ行けば楽になれる……寂しくなくなるのではと思って』
(なるほど。自ら命を絶つつもりだったのか)

 それは、惜しい。欲しがるモノからすれば、喉から手が出るほど自分のモノにしたい容姿なのに。
 神から与えられた、神と繋がりが強い証の白い毛並みと蒼い瞳。
 その価値を知らなければ、爪弾きにされるだけの要因にしかならない。宝の持ち腐れ。勿体ないにもほどがある。
 しかし、そんな気持ちの中にありながら、なぜ小狐は晴明に応じたのだろう。
 晴明は手の中にある小石をカラリと鳴らし、小狐に尋ねた。

「どうして、巣穴から出てくる気になった?」
『それは……あんたから、俺と同じ匂いがしたから』
「匂い……?」
『ああ。あんたも、力を持て余している。孤独に寂しさを感じてるのに、虚勢を張っているんだ』

 しまった……と、胸中で舌を打つ。

(同調し過ぎてしまったか)

 霊力の強い獣なら、晴明の思念のほうが引きずられることもあるだろう。
 大舎人という役職に就いているとはいえ、もっと修行を重ねておかなければならなかった。
 今だけではない、これから先も同じようなことが起これば、足元をすくわれてしまうかもしれない。
 気を引き締め、用心しなければ。
 だが、今一番の問題は、この小狐を野放しにはできないということ。
 これほどまでに霊力の高い獣が、野生のまま己のためだけに力を行使するようになってしまっては、都にどんな禍をもたらすか。考えただけでも恐ろしい。

(なんとか、俺の手元に置いておくことはできぬものだろうか)

 神の使いである神使からすれば、黒いほど位が下で、白は上位にあたる色だという。そして、神の力が宿ると言われる蒼い瞳。
 このまま、野に放ち、命を絶たせるのは惜しい。
 この場で巡り会ったのも、なにかの縁と捉えてよいだろう。
 晴明が小狐に対してできることはなにか、一生懸命に思考を巡らせる。

(式神を使役するのと、同じ手筈でいけるだろうか?)

 生身の……しかも獣を相手に契約ができるのか。
 前例があるかもしれないけれど、今の晴明が蓄えている知識の中には見当たらない。前例があるのであれば、それこそ手順を踏まえた儀式かなにかが必要になってくるだろう。
 ただ、名で縛るだけなのに。

(そうか。名で縛るだけ……か)

 単純にできるか、やってみることにしよう。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

傍へで果報はまどろんで ―真白の忌み仔とやさしい夜の住人たち―

色数
キャラ文芸
「ああそうだ、――死んでしまえばいい」と、思ったのだ。 時は江戸。 開国の音高く世が騒乱に巻き込まれる少し前。 その異様な仔どもは生まれてしまった。 老人のような白髪に空を溶かしこんだ蒼の瞳。 バケモノと謗られ傷つけられて。 果ては誰にも顧みられず、幽閉されて独り育った。 願った幸福へ辿りつきかたを、仔どもは己の死以外に知らなかった。 ――だのに。 腹を裂いた仔どもの現実をひるがえして、くるりと現れたそこは【江戸裏】 正真正銘のバケモノたちの住まう夜の町。 魂となってさまよう仔どもはそこで風鈴細工を生業とする盲目のサトリに拾われる。 風鈴の音響く常夜の町で、死にたがりの仔どもが出逢ったこれは得がたい救いのはなし。

アデンの黒狼 初霜艦隊航海録1

七日町 糸
キャラ文芸
あの忌まわしい大戦争から遥かな時が過ぎ去ったころ・・・・・・・・・ 世界中では、かつての大戦に加わった軍艦たちを「歴史遺産」として動態復元、復元建造することが盛んになりつつあった。 そして、その艦を用いた海賊の活動も活発になっていくのである。 そんな中、「世界最強」との呼び声も高い提督がいた。 「アドミラル・トーゴーの生まれ変わり」とも言われたその女性提督の名は初霜実。 彼女はいつしか大きな敵に立ち向かうことになるのだった。 アルファポリスには初めて投降する作品です。 更新頻度は遅いですが、宜しくお願い致します。 Twitter等でつぶやく際の推奨ハッシュタグは「#初霜艦隊航海録」です。

公主の嫁入り

マチバリ
キャラ文芸
 宗国の公主である雪花は、後宮の最奥にある月花宮で息をひそめて生きていた。母の身分が低かったことを理由に他の妃たちから冷遇されていたからだ。  17歳になったある日、皇帝となった兄の命により龍の血を継ぐという道士の元へ降嫁する事が決まる。政略結婚の道具として役に立ちたいと願いつつも怯えていた雪花だったが、顔を合わせた道士の焔蓮は優しい人で……ぎこちなくも心を通わせ、夫婦となっていく二人の物語。  中華習作かつ色々ふんわりなファンタジー設定です。

都立第三中学シリーズ

和泉葉也
キャラ文芸
第三中学に通う「山本はじめ」は、入学間もなくグルグル眼鏡の「科学部部長」の勧誘を受け、強制的に悪名高い科学部員兼、部長の手下となった。破壊される教室、爆薬を投げつけられる候補者。混乱の最中、生徒会選挙への出馬計画が始まった。 インディーズゲームとして制作した作品の元小説です。 当時のままのため誤字訂正等はありません。ゲーム本編とは設定が異なります。

色色彩彩ーイロイロトリドリー

えい
キャラ文芸
その「色」との出会いは、衝撃だった。 大学で、植物から自然の色素を抽出する研究を続ける御影 彩人(みかげ・あやと)は、数年前に偶然目にした、ひとつの絵を忘れられずにいる。 しかし、その絵を描いた「天才画家の卵」であったはずの蘇芳 日和(すおう・ひより)が、なぜかまったく絵に関係のない学部に入学してきたことに、もやもやとしたものを感じていた。 そしてもうひとつ、彩人を悩ませる謎の怪奇現象が身の回りで起こり出す。 「色」が失われていく世界。 あるコンプレックスが元で永らく使っていなかった「力」を開放する決意をした彩人は――? ※この作品はフィクションです。史実上の人物や、話中に出ている研究等の内容につきましても創作としてのアレンジを加えておりますので、事実としての正確性を欠く場合がありますが、ご了承ください。 参考文献:「日本の色図鑑」(マイルスタッフ発行)

よんよんまる

如月芳美
キャラ文芸
東のプリンス・大路詩音。西のウルフ・大神響。 音楽界に燦然と輝く若きピアニストと作曲家。 見た目爽やか王子様(実は負けず嫌い)と、 クールなヴィジュアルの一匹狼(実は超弱気)、 イメージ正反対(中身も正反対)の二人で構成するユニット『よんよんまる』。 だが、これからという時に、二人の前にある男が現われる。 お互いやっと見つけた『欠けたピース』を手放さなければならないのか。 ※作中に登場する団体、ホール、店、コンペなどは、全て架空のものです。 ※音楽モノではありますが、音楽はただのスパイスでしかないので音楽知らない人でも大丈夫です! (医者でもないのに医療モノのドラマを見て理解するのと同じ感覚です)

【完結】領地に行くと言って出掛けた夫が帰って来ません。〜愛人と失踪した様です〜

山葵
恋愛
政略結婚で結婚した夫は、式を挙げた3日後に「領地に視察に行ってくる」と言って出掛けて行った。 いつ帰るのかも告げずに出掛ける夫を私は見送った。 まさかそれが夫の姿を見る最後になるとは夢にも思わずに…。

【完結】私が王太子殿下のお茶会に誘われたからって、今更あわてても遅いんだからね

江崎美彩
恋愛
 王太子殿下の婚約者候補を探すために開かれていると噂されるお茶会に招待された、伯爵令嬢のミンディ・ハーミング。  幼馴染のブライアンが好きなのに、当のブライアンは「ミンディみたいなじゃじゃ馬がお茶会に出ても恥をかくだけだ」なんて揶揄うばかり。 「私が王太子殿下のお茶会に誘われたからって、今更あわてても遅いんだからね! 王太子殿下に見染められても知らないんだから!」  ミンディはブライアンに告げ、お茶会に向かう…… 〜登場人物〜 ミンディ・ハーミング 元気が取り柄の伯爵令嬢。 幼馴染のブライアンに揶揄われてばかりだが、ブライアンが自分にだけ向けるクシャクシャな笑顔が大好き。 ブライアン・ケイリー ミンディの幼馴染の伯爵家嫡男。 天邪鬼な性格で、ミンディの事を揶揄ってばかりいる。 ベリンダ・ケイリー ブライアンの年子の妹。 ミンディとブライアンの良き理解者。 王太子殿下 婚約者が決まらない事に対して色々な噂を立てられている。 『小説家になろう』にも投稿しています

処理中です...