梯の皇子と夢語り

佐木 呉羽

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念願の対談

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 鶯王は目が覚める前の、遠くに行ってしまった意識が戻ってくる感覚を認識した。額に感じた冷たさに、ゆっくりと頭が働き始める。
 閉じていた目蓋を持ち上げると、鶯王の視界に見知らぬ女性の顔が飛び込んできた。
 白いスベスベとした肌の可愛らしい顔が、すぐ目の前にある。覆い被さるように上体を傾ける体勢のせいで、肩口からサラリと流れる女性の黒髪が、鶯王の頬に触れそうだ。

「なっ! な……っ!」

 目を見開いて息を飲むと、鶯王の視線を受け止めた女性は黒い大きな瞳をパチクリとさせた。

「おや、お目覚めか。せっかくだから、介抱してやっていたのだ。ありがたく思うがよい」

 ニコリと笑みを浮かべる女性は、どこか気位が高そうだ。
 女性の手には、濡らした布。目覚めるときに感じた冷たさは、あれだったのかと鶯王は納得した。

「大牛蟹よ! 客人の目が覚めたぞ」

 女性は部屋の奥に向かって大きな声を出す。間もなくして、大牛蟹が姿を現した。
 外で対峙したときには空高く見上げるような大男だったのに、室内で見ると背の高い大柄の、普通の男に見える。

(鬼ではない。人だ……)

 鶯王がマジマジと見つめていると、大牛蟹は器用に片方の眉を上げた。

「なんだ。言いたいことがあるなら、口で言え」
「あっ、いえ。失礼を」

 不躾な眼差しを向けてしまったことに、無神経だったと恥ずかしさを覚える。
 大牛蟹はフンッと鼻を鳴らし、鶯王の向かいに腰を下ろした。

「あの……ここは?」
「鬼住山城の一室だ。連れ帰ってみたら、捕虜にせよと騒ぐ輩と、見せしめに殺すべきだといきがる輩が煩わしくて、目が覚めるまでここに寝かせておくことにしたのだ。目の届かぬ所に寝かせていて、勝手に殺されでもしたら困るからな」

 意識が無い間に殺されていた可能性を示唆され、鶯王の背筋に冷たいモノが走る。

「可愛らしい男子おのこじゃの。大牛蟹にそのような趣味があったとは知らなんだ」
「バッ、違っ! 妙な誤解をするな」

 ホホホと口元を隠して笑う女性に、大牛蟹は心底嫌そうな表情で否定した。
 鶯王を前にしても仲睦まじい様子が、微笑ましいと思ってしまう。鶯王は、肩の力が少し抜けるのを感じた。
 世間話をするように、軽い調子で問う。

「お二人は、ご夫婦ですか?」
「違うわ」

 尋ねた瞬間に、女性からピシャリと否定された。大牛蟹も、頭を何度も横に振っている。

「私はカナ。大牛蟹の相談相手みたいな者よ」
「相談相手……」

 父である大王にとっての、夫婦の約束をしていないクワシやアサギのような存在なのだろうか。

「戦に出たと思ったら、すぐに敵方の男子を連れて帰ってくるんだもの。気に入ったのかしら、そっちの趣味があったのかしらと、胸をときめかせていたわ」
「だから、違うと言っているだろう。わしと話がしたいとか、面白いことを言うガキだと、わざわざ連れ帰ったまでだ」
「まぁ、それはそれは。いったい、どんな面白いことを言われたんですの?」

 大牛蟹は目を細め、口元をゆるめた。

「綺麗事だよ。戦の場において、この男子は盛大な綺麗事を言ってのけたのよ」
「そこまで盛大な……綺麗事だったでしょうか?」

 自分の命を長らえるために、出任せではないけれど、口から出てしまった言葉である。胸の内で思っていたことは確かだけれど、運よく聞く機会に恵まれたことは、幸いと思うことにしよう。

「ときにカナ。そのほうは、この男子をどう見る?」

 大牛蟹に尋ねられ、そうね……と、カナは赤い小さな唇に軽く指を添えた。

「素直、愚直、一途といったところかしら? 腹に一物いちもつどころか、裏も表も無いわね」
「なるほど、バカということか」

(バカ……)

 カナからの評価に、少しガッカリする。いや、カナの評価はそこそこだったかもしれないけれど、大牛蟹のまとめ方が雑なのかもしれない。

「そんな裏表の無い皇子様が、敵方の頭である儂に聞きたいこととはなんだ?」

 横になっていた鶯王は起き上がり、大牛蟹に向き直る。

「この地での戦は、長く続いていると聞き及びます。食料も枯渇し、近隣の村々から強奪しているとも。なぜ、降伏しないのですか?」

 フムと大牛蟹は腕を組み、少しだけ身を乗り出した。

「そのほうは、儂等をどのように認識している?」

 取り繕っても、必ずボロが出てしまうだろう。鶯王は正直に話すことにした。

「当初の私の認識は、この地で略奪をする鬼……盗賊でした」
「当初の、ということは、今は違うの?」

 口を挟んだカナに、鶯王は頷く。

「この地に到着して、私より長く戦に関わっている歳の近い方から、父である大王に……ヤマト族に抵抗し続けているイヅモ族だと聞きました。でも、討伐を……平定をしてほしいと望んで訴えをしてきたのは、この地に住むイヅモ族です。なぜ、同じイヅモ族同士で命を奪い合わねばならぬのかと……そのように思ってしまったのです」

「そなたは……この戦がなぜ起こったのか、知らぬということだな」

 確認をする大牛蟹に、恥ずかしながら……と鶯王は素直に認めた。

「イヅモ族であるという誇りのためにも、儂等が生業としてきた仕事のためにも、降伏をすることはできない」
「誇り、ですか?」
「そうだ。イヅモは、何代と代を重ねて豊かな国を作り、治める地を広げてきた。それを……正当な統治者は自分達であると、あとからヒョッコリ出てきた輩に、はいそうですかと渡すことができるか? 大事に育ててきた全てを……守ってきた資源を……好きに荒らされてなるものか」

「その資源というのは、鉄……ですか?」

 キビツから聞いた知識を元に答えてみた。しかし、大牛蟹はかぶりを振る。組んでいた腕を解き、大きく広げた。

「製鉄の技術のみではない。豊かな海、大地、全てよ。このイヅモという地は、海の向こうと舟で交易をしているおかげで物が溢れ、穏やかな気候と豊かな土壌のおかげで作物も豊富だ。雨と雪のおかげで、水にも困らぬ。この環境がどれだけありがたいことなのか、理解しているか?」
「なんとなく、は……」

 歯切れの悪い鶯王の答えには応じず、大牛蟹は言葉を重ねる。

「そんな暮らしができるのはなぜか。豊かな国になるようにと尽力したイヅモ代々の統治者のおかげだ。それなのに、美味い蜜を啜るように横取りしようとする輩を許せるか?」

 正直なところ、鶯王にそこまでの情熱は無い。父の一族であるヤマト族のことも、クワシが伝えていたヤマトに伝わってきたという技術も、どれもが鶯王の暮らす地域を豊かにしてくれていたから。

 敵対し、排除する対象ではなく、共に手を携えて生活をよりよくしていくよき隣人だったのだ。

「なぜ、共に暮らすことができないのでしょう……」
「なぜそうなる。ちゃんと話を聞いていたか?」

 大牛蟹の苛立ちを察知し、胃がキュッと小さくなる。けれど、鶯王は母であるアサギの想いを口にした。

「イヅモ族とヤマト族が、共に手を携えて、協力し合って生きていく。共存共栄していくことはできないのでしょうか?」

 それが母の願いなのです、と小さな声で続ける。

 大牛蟹は盛大な溜め息と共に、話にならん、と吐き捨てた。

「世の中を知らん、ぬるく甘い考えだ」
「たしかに母も、戯言と思って聞き流しなさいと苦笑していました。だけど私は、その戯言を実現させたいのです。なぜなら私の体には、イヅモ族である母とヤマト族である父の血が流れています」

 想いが溢れ、言葉に熱がこもる。鶯王は、知らず拳を握っていた。

「待てよ、噂で聞いたことがあるぞ。ヤマト族の皇子を骨抜きにしているイヅモ族の女が伯耆国に居ると。それがお前の母親か」
「そうです。父と母は仲睦まじく、誰もが羨み憧れる仲だったと聞いています」

 突如、大牛蟹は膝を叩いて笑い出す。どこが面白かったのか理解ができず、大牛蟹の行動に、鶯王は頭の中が混乱しそうだ。

「ハハハッ! これは傑作。お前の母は、利用されているのだ。イヅモにもヤマトにもいい顔をしようとする輩にな。この戦の発端もそいつだ。そいつが原因だ」
「どういうことです?」

 大牛蟹は、ピタリと笑うことをやめた。

「我が主であるイヅモの王は、血に準ずる者をヤマトの王に殺されたとお怒りだ」
「えっ……?」

 父が、イヅモ王家に縁ある者を手にかけたということか。

「なんで……」
「そこまでは知らん。権力に物言わせ、もてあそばれたのではないか?」
「父は、そのような男ではない!」

 感情のままに声を荒げてしまい、鶯王に後悔の念が押し寄せる。
 話したいと言ったのは自分なのに、感情のままに声を荒らげるなど、一番してはいけないことをしてしまった。

(どうしよう……)

 大牛蟹の語ったことが、真実なのか判断できない。
 十二歳の鶯王には、知らないことが多すぎる。話し合うもなにも、情報量からして同じ土俵に立てていないのだ。

(キビツやシンなら、もっと対等に話せただろうか?)

 無知が恥ずかしくて、悔しくて、情けない。

(なんで私は、もっと大人じゃないのだろう……)

 消えてしまいたくて、鶯王は両手で顔を覆い、殻に閉じこもるように背中を丸くした。
 ふぅ、という小さな嘆息たんそくが耳に届く。

「大人気ないぞ大牛蟹。まだ年端もいかぬ子供じゃ。自分の両親を悪く言われれば腹も立つ」

 カナは鶯王の肩に手を添え、俯く顔を覗き込んできた。

「そなたは、ただ純粋に、母の夢を叶えたいのだな」

 はい、と返そうとした鶯王の耳に、微かな#喚声__かんせい__が届く。大牛蟹にも聞こえたようで、鋭い視線で周囲の気配を探っている。
 カナはスックと立ち上がり、来ている……と呟いた。

「カナは、そいつと共に身を隠せ」

 言うが早いか、立ち上がった大牛蟹は身をひるがえし、疾風の如く駆け出していく。
 勢いよく出入口を開けると、大風に乗って大量の笹が吹き込んできた。
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