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ノウゼンカズラ

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 あれは、まだ始まりにすぎなかった。
 攘夷を企てる輩が会合を開くという情報を掴み、高揚に胸高鳴らせたあの日。
 新撰組の局長である近藤勇達と共に向かったのは、旅籠池田屋。
 新撰組一番隊組長を勤める沖田総司は、高まっていく鼓動と体温に刀を強く握り締めていた。
 盆地である京は、総司達が暮らしていた奥多摩よりも蒸し暑い。湿気がこもり、蒸された蒸気が充満する部屋の中に閉じ込められているかのようだ。
 額に巻く鉢巻が汗を吸い、かなり湿り気を帯びている。そのうち布が限界を迎え、汗がポタポタと滴り落ちてくるかもしれない。役割を果たさなくなった鉢巻は、不快でしかないだろう。

「いくぞ」

 近藤の低い声に、頷いて応える。
 ドンドンッと木戸を叩き、中の者に来訪を告げた。

「へぇ、どちらさんで?」

 僅かに開いた戸に足を挟み、手で押え、閉められないように固定する。

「新撰組だ。御用改めである」
「なっ!」

 驚く下男をそのままに、出入口に監視の隊士を配置に付け、総司達は中に乗り込んだ。
 階段の下に掛けてあった大刀を回収し、一階と二階の二手に分かれて広間を目指す。
 総司は階段を掛け昇り、近藤のために戸を開け放った。戸の向こうには、いい感じに酒の入った男達。
 攘夷だなんだと理想を掲げる勤皇の志士達は、仄かな酔いに身を任せていた。

「新撰組だ。御用改めである!」

 近藤の轟くような声に、男達の酔いが一気に冷めていくのが手に取るように分かる。
 脇差しに手を掛ける者。膳を引っくり返して立ち上がり、外へ向けて踵を返す者。

「蜘蛛の子を散らすように、とまでは言わないけれど……様々だったよっ、ゲホッ」

 御典医である松本良順に匿われ、千駄ヶ谷の植木屋で療養をしている総司は、膝上で丸くなる黒猫に話し掛けていた。
 庭の塀には、蔦を伸ばして絡ませたノウゼンカズラが橙色の花弁を開き始めている。ちょうど池田屋に踏み込んだのは、こんな季節だった。
 それはまだ、松平容保公により会津藩お抱えとなったばかりの頃。壬生浪士組から新撰組に名前が変わって暫くした頃だ。
 局長である近藤勇と副長である土方歳三を初め、だいたいの者が農民から武士となり、公方様のお役に立つのだと瞳を輝かせて夢と希望に満ちていた。
 武士になるのだと、熱く燃えていたのだ。
 そんな中でただ一人、総司は異質だったと思う。
 総司が役に立ちたいと思っていたのは、顔の知らない公方様ではなく、幼い頃から共に育った兄のような存在である近藤と土方だった。この二人のためなら、命を投げ出せる。口にはしなくても、心の中には常に在った想いだ。

「ニャ~」

 黒猫の鳴き声に、総司は青白い顔に笑みを浮かべる。

「話の続きが聞きたいの?」

 勝手な解釈を口にすれば、そうだ、と言わんばかりに黒猫は目を細めた。

「あの場に居た人数は十一人。命を奪ったのは五人。だけど近藤さんは、里に出す手紙には七人討ち取ったって書いてたんだ。見栄を張りたかったんだろうね」

 懐かしさに「ふふふ」と笑い、空に目を向ける。

「会いたいなぁ」

 今頃みんな、どこでどんなふうに戦っているのだろう。
 鳥羽伏見の戦いに向かうまでは、総司も加われていた。だが、鳥羽伏見へと向かう途中に負傷し、大阪へ護送される船の中で肺結核を発症してしまったのだ。今では病状が悪化し、戦線を離脱するはめになってしまった。

 なんとも口惜しい。

 刀を握っていた手は痩せて細くなっている。
 ひとつの希望として、肺結核から生還した人物を総司は知っているということ。それは、鬼の副長と恐れられている……あの、土方歳三だった。
 ちゃんと治療に専念すれば、また復帰できるはずなのだ。

「体力を戻して、動きを取り戻すのに……どれほど時間を費やすことになるんだろう」

 グズグズしてはいられない。早く元気になって、近藤や土方の元へ戻らなければ。

 ーー会いたいの?

「ん?」

 語りかけてきた声に、総司は疑問符を浮かべる。
 どこにも人の姿は無い。

(今、語りかけてきたのは誰だ……?)

 膝の上で丸くなっていた黒猫が、神妙な表情を浮かべる総司を黄緑色の瞳に映している。
 黒猫が口を開くと、頭の中で声がした。

 ーー最後の願いとして、叶えてあげようか?

 黒猫は立ち上がり、前足で細くなった総司の肩をトンと押す。
 猫のか弱い力でも、重心をずらされて傾き始める総司の体。縁側にバタンと倒れれば、視界が一気に暗転した。
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