青柳さんは階段で ―契約セフレはクールな債権者に溺愛される―

クリオネ

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《第10章》 天国の門

くるみ割り人形

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 忙しくしている日々の自分と、死にゆく藤原と、始まったばかりの飛豪との関係。その三つが混沌としていて、時折、うまく咀嚼できずに得体のしれない感覚に身震いする。

 熱をだしてしまったのは、その辺りも影響しているのかもしれない。

 ――わたしは冷酷な人間だから、藤原さんを「観察」してる。死を観察して、ダンスや、表現に取りこもうとしている。

 恩人の死をも餌にして、それを創作のための養分にしようとしていることを、瞳子は自覚していた。

 そんな自分が嫌いで、でも許せないとまでは思わない。病室にじっとりと滞留している死の気配は、恐ろしいと同時に、わずかな親しみも持てた。

 死が懐かしい。

 藤原の病室に行った日は、必ずと言っていいほど四年前に自死した母親のことを考える。

 そんな夜に飛豪の肌にふれ、体をかさねて抱きしめられると、明るい方へ引きもどされる。まだ生きていていい、と感じられる。

 ――来年、飛豪さんいなくなるなら、ちゃんと回復のプロセスを自分で作らないと。

 そんなことを考えながらうとうとと眠っているうちに、気づいたら午後になっていた。カーディガンを羽織り、スリッパをはいてリビングに出ると、誰もいなかった。まだ彼は戻っていないようだ。

 自室からノートパソコンを持ってくると、瞳子はインターネットでバレエ「くるみ割り人形」の全幕動画がないか検索した。英語やフランス語でさがすと、数多のバージョンが出てくる。その中で最も画質が良さそうなものを選んで、全画面モードにして観劇をはじめた。

 雪の降りしきるヨーロッパの異国の街なみ、黒いマントをなびかせた片眼鏡モノクルのドロッセルマイヤー、てっぺんに星の飾りをつけた巨大なクリスマスツリー、歓びにあふれたチャイコフスキーの軽快な音楽――懐かしい情景がいっぱいに広がって、瞳子はすぐに夢中になった。

 そう、昔は毎年、クリスマスといえばくるみだった。

 公演デビューはクリスマスパーティに招かれた子どもの役だったし、クララ役を踊ったこともあった。

 くるみ割り人形は、いつ観ても、どこを切り取っても幸せで美しい。

 ネズミたちとの戦闘シーンでさえも、コミカルで自然と笑ってしまう。かつてローザンヌで賞をとったとき、将来どんな役を踊りたいかとインタビューで訊かれて、瞳子は「ドン・キホーテ」のキトリと答えた。真っ赤なドレスの似合う、華やかで恰好のいい女の子。しかし、一番好きな演目は「くるみ割り人形」以外にない。夢からさめたあとも祝祭がつづく物語だ。

 画面に見入っていると、玄関ドアが開錠される音がして飛豪が帰宅した。第一幕、真夜中にベッドから抜けだしてきたクララが、くるみ割り人形を手にしたところだった。

 彼はパジャマ姿のまま起きだしている瞳子に視線をとめたが、話しかけることはなかった。ソファの彼女の隣に並んで腰かける。そのまま終幕まで一緒に観つづけた。

「これ、『くるみ割り人形』なんです」

 カーテンコールの途中でようやく瞳子が解説をいれる気分になると、飛豪は「さすがに一般常識として知ってるっつの!」とラフに突っこんだ。

「クリスマスシーズンに家族で観るやつだろ」

「どのシーンが好きでした?」

 普及活動のつもりで彼女が訊くと、「ネズミ」と彼は即答した。「ネズミ軍の動きがキレキレで、ついネズミの方を応援したくなった」

 ――うわぁ、男子っぽい。

 瞳子は次を促す。「……それ以外の感想は?」

「んー……アラブ風の露出度高めのダンサーがセクシーな踊りするシーンあるじゃん」

「ありますね……」嫌な予感しかしない。

「あのシーンって、無理やり連れてこられたオトーサン、オニーチャンのためのサービスシーンだよなって思った。バレエに普段関心のない客が眠くなりそうなタイミングで置いたんだなって配慮が見えて、演出側の戦略を感じた」

「……わたしもう、飛豪さんとバレエは二度と観ない」

 聞きたかったのはそういう感想ではない。

 そもそも、良い感想を期待したところに自分の押しつけがあったのかもしれない。瞳子は氷点下の声で宣言すると立ちあがった。
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